第五十六話 生着替え
羽交い絞めにされるということは実態があるということになる。
実態がある相手であればいくらでも対処する方法はあるのだ。
俺は相手の足の間に左足を潜り込ませつつ右足を大きく開いて腰を少し落とした。後ろから俺を羽交い絞めにしている人は俺が急に動いて驚いたのか全く反応していなかったので、そのまま相手の体を俺の腰に乗せる形に持っていくことが出来た。その流れのまま俺は相手を腰に乗せつつ右手で相手のズボンを持って体を浮かせ状態で体を左方向にひねって投げ飛ばすことに成功した。
受け身をとることに失敗したのか悶えているその女の胸の上に膝を置いて動けないようにして右手で顔を掴み、こめかみを思いっきり押し付けるように握った。
「痛い痛い痛い痛い。バカバカバカバカバカ、痛い痛い痛いって痛い痛い痛い」
「急に何なんだお前は?」
「痛い痛い痛い、バカかバカバカバカ。離せ離せ離せ。痛いんだから離せって」
「俺の質問に答えろ」
「わかったからわかったわかった。答えるから離せって。本気で痛いんだから」
背中を思いっきり打っているはずなのに呼吸も乱れていないし、離せという割には俺の手を掴んでどかそうという意思は感じられなかった。俺が体を押さえていることを考えても手は空いているのだから俺の手をどうにかしようとするはずなのに、それをしないのはどういうことだろう。
俺の知らない何か不思議な力が有るとでもいうのだろうか?
「後ろから抱きしめただけでこんな仕打ちに遭うなんて聞いてないんだけど。女の子にはもっと優しくした方が良いと思うよ。そんなんでも君はモテそうだけどさ、いつか本気で刺されるんじゃないかな?」
「でも、横で見てた私はちょっと面白いなって思っちゃった。愛華ちゃんがいきなりくるっと一回転して地面に叩きつけられてるんだもん。今までそんな経験したことないでしょ?」
「あるわけないじゃない。って言いたいところだけど、前にも同じことされたんだよね。あの時はもっとスムーズに投げられてたと思うんだけど、君って腕が鈍ったのかな?」
人の顔を覚えるのが苦手な俺でも人間じゃない相手の顔を忘れることはないだろう。
この女の顔を覚えていないということは、俺はこいつを見たことなんて無いということになるのだが、いったいこいつは俺を誰と勘違いしているんだ?
とにかく、こいつらから情報を引き出さないことには何も始まらない。
俺は拘束を解くと女は何事もなかったかのようにスッと立ち上がった。
「その顔は覚えてないって顔だな。うーん、あんなに激しい時間を一緒に過ごしたのに覚えていないなんて、お姉さんは悲しいな」
「この子が死ぬ前のことを覚えているわけないでしょ。前田と違ってこの子は死んだら記憶もリセットされちゃうんだから。体だってあの時とは違うでしょ?」
「そう言われてみたらそうかも。あの時はもっとシュッとしてて無駄を削ぎ落したって感じだったよね。人を殺すために余計なものを全部取っ払っちゃったって感じに見えたかも」
「お前たちは前田のことを本当に知っているんだな?」
「知ってるよ」
「だから、私たちに会いたいって思ったんでしょ?」
本当に俺に都合よく物事が進む。
多分、この二人は俺が探している伝説のサキュバスで間違いないのだろう。
それさえ確認することが出来ればいいのだ。
大人になるというのがどういう意味なのか何となく分かってはいるけれど、どうにかしてそれを避けることが出来れば一番良い。
「じゃあ、さっそく大人になるための儀式を始めようか?」
「そのために私たちを呼んだんだもんね?」
そういいながら二人は下着を外すようなしぐさをしていた。どう見ても何も身につけていないようにしか見えなかったのにもかかわらず、手が太ももから膝を通って脛のあたりまで移動するとパンツらしきものが見えていた。
どんな手品なのかと思って見ていたのだが、なぜかそれを感じ取った女たちは恥ずかしそうに背を向けて脱いだパンツを俺の方へと投げてきた。
投げられたパンツを拾った方が良いのかと迷ったけれど、俺はそれには一切触れずに黙って見つめていた。本当にジッと見つめていた。
「ちょっと、そんな風にみられると恥ずかしいんだけど。何もついてないよね?」
「何もついてはいないと思うけど、見られるのはちょっと恥ずかしいよね。そんな趣味とかあったの?」
俺は無言でパンツらしきものを見ていた。
本当に何も言わずに黙って見ていた。
何を言われようと俺は無視して見ていたのだ。
勘違いしないでほしいのだが、俺はパンツだから見ていたというわけではない。
何もないところからいきなり出てきたことに驚いていたし、いったいどういう理屈で登場したのかが気になっていたのだ。見ていたところで何もわからないとは思うのだが、こうして見ていないとまた消えてしまうのではないかと思っていた。
消えたところで何の問題もないのだけれど、間違ってあんなものを踏んでしまったらいやだなという思いは俺の中に芽生えていた。
「ねえ、そんなに欲しいならあげようか?」
「どっちが良いか選んでくれたらあげるよ」
「どっちもいらない」




