第三十三話 二人の誘惑
目の前の誘惑に負けたからベッドに向かっているのではない。
綺麗なお姉さんと可愛い女の子が俺を誘っているのを断るのはどうかと思ったから仕方なく向かっているだけだ。こんな時でも俺の心はちゃんと麻奈ちゃんに向かっているし、イザベラちゃんの事だって考えている。
だから、俺は何も悪くない。
「あらあら、そんなに緊張しなくてもいいのに。お姉さんが優しく教えてあげるわよ」
「ゆきのちゃんよりは詳しくないけど、私も出来るだけわかりやすく教えてあげる」
「愛華ちゃんはまだまだ知らないこともいっぱいあるんだし、この子と一緒に覚えていけばいいのよ。今まで知らなかった世界を知る事って、とってもいい事なんだからね」
ゆきのさんは俺に向かって手招きをしているのだが、ゆったりとした手の動きを見ているとなぜかさらに緊張してしまう。
愛華ちゃんは布団にもぐって鼻から下を隠しているのだが、俺のことをまっすぐに見つめていた。見つめられると、緊張してしまう。
一歩一歩ベッドに近付いてはいるのだけれど、どういうわけかベッドまでの距離が縮まっていないように思える。前に踏み出しているはずなのに体は後ろへ下がっている感覚になっていて、少しずつだが確実に二人との距離が広がっている。
歩くのをやめると変化はないのだが、俺が前に進もうとするとなぜか体は後ろへと下がっていった。駆けだそうと思っても俺の体は歩くことしかできず、その方向も前ではなく後ろに進んでしまっているのだ。
その理由は、俺にはわからない。
「そっかそっか、そんなにお姉さんたちとイイコトするのが怖いんだね。最初は誰だって緊張しちゃうと思うけど、出来るときに経験しとかないとあとで困ることになっちゃうかもよ。でも、あなたは心に決めた人がいるみたいだし、それまで取っておくってのも大事なことかもしれないね。私たちよりも、その子の方があなたには魅力的に映ってるってことなのかな?」
確かに俺は麻奈ちゃんに全てを捧げたいと思ってはいる。
今まではそれが叶わぬことだとも知っていたが、この世界に来てからの麻奈ちゃんは依然と少し違うみたいで俺のことを完全に拒否してはいないのだ。ということは、俺を受け入れてもらえるチャンスもあるということではないだろうか。
そんなことを漠然と考えているからこそ俺は後ろへ進んで二人との距離をとっているのかもしれない。だが、二人にお願いしちゃってもいいのではないかという思いも少しだけではあるが、俺の中で芽生えつつあった。
「正直に言ってあなたがそこまで固い意志を持っているとは思わなかったよ。君くらいの年頃の男の子は簡単に落とせるって思ってたんだけど、やっぱり君は特別なんだね。あの魔王に求められただけのことはあるよ」
「そうだね。ゆきのちゃんみたいな綺麗なお姉さんと私みたいな可愛い女の子を目の前にしても心が乱されないなんて驚いたよ。そこまで強い意志を持ってるからこそ、あの魔王が求めてるんだろうね。こんなことなら私もゆきのちゃんみたいにスタイルがいいお姉さんになればよかったな」
「そんなこと言わないでよ。今の愛華ちゃんも十分可愛いわよ」
「ゆきのちゃんみたいに綺麗なお姉さんでいたらお兄さんも私たちのことを好きになってたかもしれないでしょ?」
「逆に、私も愛華ちゃんみたいにかわいらしい女の子になっていたら好きになってもらってたかもしれないよ」
「「ねえ、どっちが好き?」」
そんな質問が来ると思っていなかった前田は思わず壁際まで下がってしまった。
これ以上下がることが出来ないところまで来ていたのだが、二人はベッドから降りる気配がなかったので少しだけ安心していた。
ただ、このままベッドの方へ行くのは危険な感じがしていた。
少しずつではあるが二人に近付いて行った前田ではあるが、どうしてもソファより前に進むことが出来なくて座ってしまった。
「うーん、私たちの作戦は失敗しちゃったね」
「今日はこれ以上何も出来そうにないね」
「これは困った困った。どうしようか?」
「近くに来てもらわないとイイコト出来ないけど、お話くらいだったら出来るんじゃないかな?」
「お兄さんも話くらいだったら聞いてくれるよね?」
「それくらいはしてくれるんじゃないかな?」
今まで生きてきた時間の中で女性と目を合わせていた時間よりも、この世界に来てから女性と目を合わせた時間の方が長いのではないかと思った前田。実際にはどうなのか答えはわからないけれど、その可能性は十分に高かった。
今まで生きていた世界では家族すら前田と目を合わせることがなかったし、女子生徒で目を合わせてくれたのはイザベラただ一人だけだった。一瞬だけ目が合ったと思う女子は何人かいたが、すぐに逸らされていたので目を合わせていた女子の時間をトータルしても一分ほどではないかと思われる。
そんなわけで、ゆきのと愛華が何か企んでいるのは間違いないのだけれど、前田は悪い気がしていなかった。
むしろ、自分のことをちゃんと見てくれる二人にだったら騙されてもいいのではないかと思ってみたりもしていたのだ。
「君が知らないこの世界のことを」
「君が知らない魔王のことを」
「私が」
「私が」
「「教えてあげる」」




