第三十二話 知らないお姉さん
異世界に転移して最初の夜。
特にすることもないので自分のために用意された部屋にあったテレビを見ているのだが、放送されている番組は元の世界のものと大差のないものばかりであった。さすがに出演者は知っている顔と微妙に違うのだけれど、そこまで注意して見なければ気にならない程度の違いでしかなかった。
あれだけ外の建物が破壊されていても何のニュースにもなっていないところを見ると、この世界では何かが壊れたりすること自体は珍しいことではないということなのだろう。
明日から色々と頼みごとをこなさないといけないんだと思うと少しでも早く横になって体を休めた方が良いのだろうが、どうしてもそんな気になれない。せっかく異世界にやってきたのだから普段できないことをしてみるのはどうだろうか?
例えば、朝まで寝ないでテレビを見ているとか。
休みの前の日でもめったにやらない徹夜をしてみるというのも面白いかもしれない。遅くまで起きていたって誰にも迷惑をかけることでもないし、おとなしく過ごす分には問題ないだろう。
あえて寝ずに明日を迎えることでみんなに俺が変わったという印象を与えることが出来るかもしれない。そうすれば、みんなの俺を見る目も変わるだろう。
もしかしたら、麻奈ちゃんが俺のことを好きになってくれる可能性だって生まれるかもしれないじゃないか。
「ねえ、そこでくだらないことを考えてないでこっちに来て一緒に横になろうよ。ほら、私も一人じゃ寂しいし、何もしないから横においでって」
三十分ほど前までは一人でまったりと過ごしていた。
そろそろ寝ようかと思ってベッドで横になろうかなと思った瞬間に事件は起こった。
ノックもせずに鍵を開けて勝手に入ってきたのはどこかで見たことがあるようなお姉さんだった。いつどこであったのか思い出そうとするのだけれど、なぜか服を着ておらず下着姿ということが気になって誰なのか思い出すことが出来ない。思い出そうとしても顔よりも胸と太ももが気になって集中出来ない。
こんなことならあのタイミングで寝ていれば今とは違った状況になっていただろう。うっそ時間を戻してやり直そうかと思ったのだが、俺が時間を戻そうと思った瞬間にまた別の女の子が俺の手を力強く掴んで阻止してきた。
「それはやっちゃダメだってまー君が言ってた。あなたのその力はこの世界にいる間は使わせないようにしろって言われてるから、あなたはその力を使っちゃダメなの」
細身の女の子とは思えないほどの力強さに思わず悲鳴を上げてしまいそうになったが、一応俺も男なのだからと必死に耐えていた。耐えてはいたのだけれど、この痛みから逃れるためにも時間を巻き戻そうと思った。
その瞬間、俺の手は物凄い音を立てて自分の意思とは関係なくだらりと垂れ下がっていた。何が起こったのかわからなかったし何も感じなかったのだが、俺の手首がぐにゃりと曲がって手が今にも下に落ちそうになっているのを見てから初めて痛みを感じ始めた。
あまりの衝撃に痛みを感じることもなかったのだが、自分の体がありえない方向に曲がっているのを自覚すると途端に痛みが腕から全身にかけて走り抜けていった。
「だからその力を使おうとしたらダメだって言ったでしょ。反省してくれるなら治してあげるけど、もう一度使おうとしたら次はちゃんと痛みを感じるようにゆっくり握りつぶしてあげるからね」
あまりの痛みに言葉にならない言葉で反省を伝え、俺は女の子に縋り付くように必死に許しを乞うた。俺の気持ちが伝わったのか、先ほどまでの無表情に近い真顔が少しずつ笑顔になってきて、少しずつではあるが俺の手の感覚も戻って痛みも引いてきた。
自分で動かすのも怖くなるくらいにだらりと垂れていた手も今は普通に動かすことが出来るようになっていた。いったいどんな魔法を使ったのかわからないが、あの痛みをもう一度味わうのはごめんだと心の底から思っていた。
「次にその能力を使おうとしたら、ここを掴んじゃうからね」
女の子が手を伸ばしきる前に俺は自分の首を両手でつかんで守っていた。こんなことで守れるとは思わないけれど、何もしないよりはマシだろうという思いで首を守ろうとしていたのだ。
「ねえ、いつまでも二人で遊んでないでこっちに来て一緒に寝ましょう。お姉さんがベッドの中でイイコトを教えてあ・げ・る」
「ゆきのちゃんだけじゃなくて私もあなたにイイコトを教えてあげるよ」
「私と愛華ちゃんの二人であなたの知らないことを、いっぱいいーっぱい教えてあげるんだから……ね」
健全な心を持った俺ではあったが、俺の知らないイイコトっていったい何だろうという思いには勝てそうもない。
俺の中に眠る知的好奇心を抑えることなんて出来ない。
何か深い意味があるわけではないが、俺の知らないことを教えてもらえる機会なんてめったにあるわけじゃないし、教えてもらった方が良いんじゃないかな。
でも、俺はこのまま立ち上がってベッドに向かうという勇気が出なかった。
こんな時に勇気が必要だなんて、思いもしなかった。
もっと素直になれる自分でありたい。
そう思っていた。




