第一話 「もう少しかかりそう」
いつもと同じように放課後の教室でノートをまとめているのだが、いつもと違うのは俺と麻奈ちゃんが二人だけであいつを待っているということだった。
他に誰もいないのだから近くに座ればいいような気もするのだけれど、俺から近付くことなんてできない。もちろん、彼女が俺の近くに来るような理由もないのだ。本音を言えば、俺はノートをまとめるなんてことはせずに麻奈ちゃんと話をしたいのだ。話をしたいといっても、何の話をすればいいのかわからない。彼女を楽しませるような話題でもあればいいのだけれど、俺と麻奈ちゃんの共通の話題なんて同じクラスであるということと、あいつと仲が良いことくらいしかない。
今まで何度も妄想の中で二人っきりになった時のことをシミュレーションしていたのだけれど、こうして現実になるとそこに至るまでの第一歩を踏み出すことができない。きっかけが何か一つでもあればいいのだけれど、そのきっかけを見つけることができずにいた。
ただ、幸いなことに麻奈ちゃんの席は俺よりも前にあるので彼女のことをチラチラとみることはできているので、何か話しかけられそうなタイミングを見つけることができればどうにかなるような気はしていた。
俺がノートをまとめ始めてどれくらい時間がたったのかはわからないが、大体の範囲はまとめることができた。ノートをまとめていると先生が何を伝えたいのかわかるような気がして有意義な時間を過ごすことができていると実感していた。
でも、そんなことよりも俺は麻奈ちゃんに話しかけて思いを伝えたいのだ。
心の底からあふれるようなこの熱い思いを全て余すことなく伝えたい。
好きになった人よりも好きになってくれた人のほうが自分を幸せにしてくれる。麻奈ちゃんがそんな風に考えてくれるのならば、俺の気持ちも受け入れてくれるんじゃないだろうか。俺の親がいつかカラオケで歌っていた「愛されるよりも愛したい」みたいな言葉が頭の中で何度も繰り返されているのも、その考えが正しいのだと自信になっていた。
それでも、退屈そうにスマホを見ながら確認するように何度も廊下を見ている麻奈ちゃんに話しかけることができなかった。
なんて言って話しかければいいのかきっかけをつかむことができないのだ。
そんな俺の苦悩を感じ取ったのか、俺のスマホに一件の短いメッセージが届いた。
「もう少しかかりそう」
いつものように主語も詳細も何もない短文だったが、まだ時間がかかるということだけは伝わっていた。ここでどれくらいかかりそうなのか聞いても答えが返ってこないということはわかっているので、俺はあいつと同じように短い言葉で返事をした。既読をつけるだけでもあいつには伝わるとは思うのだけど、自分が何も送らずに既読をつけるだけというのはどうも落ち着かない。スタンプでもいいような気もしたのだけれど、的確なものが見つからないので言葉で返したのだ。
「頑張れよ」
俺が送ったメッセージ既読になってから数秒もたたずに先ほどよりも短いメッセージが届いた。
思わず廊下のほうへ視線を向けてしまったのだが、そこには誰もいるはずもなく静かな空間が広がっているだけだった。
そんな俺の行動を見て麻奈ちゃんは俺に話しかけてきた。
「ねえ、まー君から連絡きたの?」
「うん、もう少しかかりそうなんだって」
「そっか、別にあんたじゃなくてあたしに連絡くれてもよかったのにね。あたしがまー君にさっき送ったのにも既読ついてないし」
麻奈ちゃんは俺に背中を向けたままだったが、俺に話しかけてくれた。
話を切り出すタイミングをうかがっていた俺はこのチャンスを逃してはいけないと思って頭の中で繰り返していたシミュレーションを実践で試すしかないと考えた。
考えたのだが、なんと言えばいいのだろう。
あれほど何度も頭の中で繰り返していたにもかかわらず、俺は何を言えばいいのか答えが出なかった。いざとなると何もできないという欠点があるのはわかっていたことではあるけれど、ここまで何もできないとは自分でも思っていなかった。
そして、そのままなんと言えばいいのか迷っていると話すタイミングもなくなり、俺と麻奈ちゃんしかいない教室に沈黙が訪れてしまった。
ノートをまとめていた時と同じように静かな教室に時々聞こえてくる麻奈ちゃんのため息。あいつから返事が何も帰ってこないということに対するいら立ちが伝わってくる。こんな状況で俺が話しかけることなんてできない。そんなことができるのであれば、もっと早く話しかけているはずなのだ。
沈黙の中でも時計の針が規則正しく動いているのを見ると、完全に話すタイミングを逃してしまったということだけは認識することができた。
何百回何千回と頭の中で考えたとしても、俺みたいな男がそれを実際に行うことなんて簡単なことではないのだ。あいつみたいに気軽に話しかけることができればいいのだろうが、俺にはそんなきっかけをつかむ力も勇気も持ち合わせていないのだ。話すきっかけはあったのだけれど、俺はたった一度のチャンスを掴むことはできなかった。
ゆっくりと進む時計の針を見つめながら、俺はスマホの画面を確認していた。




