第零話
放課後の教室に残っているのは俺と麻奈ちゃんの二人だけ。
俺も麻奈ちゃんも同じ理由で教室に残っているのだが、残念なことに俺と麻奈ちゃんの間に一切の会話はない。他に誰もいない状況なのだから近くに座って話でもすればいいのだろうが、お互いに自分の席に座って別の方向を向いていた。
麻奈ちゃんは廊下側に体を向けてスマホをいじっている。あいつからの連絡を待っているのか、あいつが教室に戻ってくるのを待っているのかわからないが、同じ教室にいる俺のことを気にしているそぶりは見られなかった。それどころか、俺が同じ教室にいるということを認識していないようにも感じられた。
俺は俺であいつを待っている間にすることがないので授業で習ったことをまとめてみたり、先生に作ってもらった特別課題に取り掛かっていた。
いつもこうしてあいつを待っているのは変わりないのだが、教室であいつを待っている女子はいつも違っていた。
今日は月に一度しかない麻奈ちゃんがあいつを待っているという特別な日なのだ。
クラスの女子たちで決めたことなのだが、誰も抜け駆けをしないように月に一度だけクラスの女子があいつと一緒に下校するという機会を設けているのだ。誰かがあいつに告白をするなんてことがないように、みんな平等にあいつとの時間を作るために決められた何よりも重要なクラスの決まり事なのである。
あいつと同じクラスになれた女子の特権なのだが、不思議なことに他クラスの生徒から不満の声が出ることは一切なかった。一緒に下校することが出来ない分、放課後に他のクラスに行ってお話をするというちょっとしたサービスがあるからなのかもしれない。
今日のあいつは先生にも呼ばれているのでいつもより帰りが遅くなるのかもしれないが、それでも麻奈ちゃんは黙ってあいつを待っているのだ。
勉強もスポーツもなんでも出来て性格もルックスも良いあいつはクラス中の女子から好意を持たれている。いや、学年中の女子から好意を持たれていると言っても過言ではないだろう。もしかしたら、他学年のほとんどの女子から好きとまではいかないまでも良いと思われてはいるのかもしれない。あいつのことを少しでも知った人なら誰でも好きになってしまうのではないだろうか。それが過言だとは思えないくらいにあいつは関わった人すべてに好かれている。
俺とは全く正反対の人生だ。
いつもならあいつはとっくに戻ってきて下校している時間なのだが、今日に限っては先生に呼び出されている時間があるのでいつもよりも遅くなっている。
ただ、それにしてはいつもよりも時間がかかりすぎているのではないか。
もしかしたら、あいつは俺に気を使ってくれているのかもしれない。
あいつは俺が麻奈ちゃんの事を好きだということを知っている。
あいつは優しいから俺が麻奈ちゃんと二人でいる時間を長くしてくれているのかもしれない。
この時間はあいつからのプレゼントなのかもしれない。
いや、あいつからのプレゼントで間違いないだろう。
つまり、この時間を使って麻奈ちゃんに俺の気持ちを伝えろということなのだ。
課題を解き終わった俺が席を立とうと体勢を変えたと同時に麻奈ちゃんが一瞬だけこちらを見て警戒しているように感じた。俺が何かするのだと思っているのだろうが、その通りである。
俺は今から、麻奈ちゃんに思いをぶつけようとしているのだ。
俺が自分の席を立って麻奈ちゃんの方へと近づくと、麻奈ちゃんは俺の方は見ないようにしているものの明らかに警戒をしているといった感じで全身に力が入っているのが分かった。何か特別な訓練をしていなかったとしても、麻奈ちゃんが警戒しているということは誰の目にも明らかなくらい肩に力が入っていた。
ゆっくりと歩いて麻奈ちゃんの背後まで来ているのに麻奈ちゃんは俺を見ようともせず、スマホから視線を外すことはなかった。一瞬だけスマホに映った麻奈ちゃんの目と俺の目が合ったように感じたのだが、麻奈ちゃんな俺が真後ろに立っているのに体の向きを変えることはなかった。
どのタイミングで気持ちを伝えればいいのか。
準備は何も出来ていないが、ここまで来てしまったなら素直に気持ちを伝えよう。
それが一番だ。
「俺は麻奈ちゃんの事が好きです」
単純な告白で何の飾り気もないそっけないものだったが、俺の素直な気持ちは伝えることが出来たと思う。変な言葉を重ねても俺はうまく気持ちを伝えることが出来ないと思うし、こんな短い言葉の方が素直に気持ちを伝えることが出来ると思っていた。
だが、麻奈ちゃんは俺の告白を聞いてもこちらを向くことはなくスマホから目を離すことはなかった。
スマホ越しに目が合うこともなかった。
「あのさ、お前があたしのことを好きなんだろうなってのは薄々感ずいてたよ。でもさ、そういう告白みたいなこと勝手にしないでもらいたいんだけど。あたしはお前の事をまったく何とも思ってないし、告白されるのも迷惑なだけなんだよね。お前みたいな男から告白されるのってトラウマになっちゃうかもしれないわ。見られているだけでもストレスなのに、そんな勝手な気持ちを押し付けられても困るんだよね。まー君がお前と仲が良くなかったらみんなでイジメちゃってたかもね。なんか、こうして話すのも嫌なんだけどお前と会話すのは今回で最後だから教えてあげる。クラスの女子はみんなお前のことが嫌いなんだよ。なんでかわからないけどまー君と仲が良いじゃない、まー君と仲が良いからギリギリ生きているのも許されているんだよ。それは理解しておいた方がいいと思う。お前がまー君と友達じゃなかったら、この世界に居場所なんて無いだろうね。近くにいるだけでも不快な思いをしてるんだよ。まー君と友達ってこと自体も罪だと思うけど、まー君は良い人だから特別に許してあげてたんだよ。なんでお前とまー君が仲が良いんだろうね。他の男子だったらよかったなってみんな思ってるのに。そんなお前があたしに好きだとか言うの本当に無理なんだけど。お前が告ったのがあたし以外の女の子だったらその子は自殺してるかもしれない。あたしは今日まー君と一緒に帰れるから自殺なんてしないけど、このタイミングじゃなかったら確実に命を絶ってると思う。お前のその勝手な告白は人の命を終わらせるものだって自覚した方がいい。それに、お前も知ってると思うけど、あたしはまー君のことが好きなんだよ。あたしだけじゃない、女子はみんなまー君のことが好きなんだよ。だからこそ、月に一回だけしかないまー君と一緒に帰れるチャンスを大事にしたいんだよね。なのにさ、お前ってまー君と近所だからって空気も読まずに一緒についてくるのどうかと思うわ。もう少しさ、あたしらのためにも空気を読んで先に帰るとか先に帰る理由がないんだったら何か部活でもするとかしたらどうなのかな。今日からでもそうしてくれたらお前があたしの告ったことを許してあげてもいい。……いや、それだけじゃダメか。あたしが不快になったのを償うためにも今すぐ死んでもらってもいいかな。そうすれば、明日からまー君と一緒に帰る邪魔もいなくなるし、それが一番いいよね。いったん、死んでもらっていい?」
お互いに素直な気持ちを伝えあうことが出来た。
俺が思っていた結末とは違うけれど、麻奈ちゃんの素直な気持ちを聞けたのはとても大きな収穫だろう。
よし、この失敗を次の機会に活かそう。
俺は泣きそうな気持ちをじっとこらえて、時計を見ながらあいつが戻ってくるのを待っていた。
いつもよりも時計の針がゆっくりと進んでいるように感じていた。