第93話 最高の文化祭にするために
衣装のサイズ感を母壁さんに確かめてもらった後、僕はすぐに着物を脱いで衣装ケースの中に保管した。
衣装はレンタルだからどこかで引っ掛けたり暴れたりして破けたら危ないからと、母壁さんにお母さんみたいなことを言われたので。
でも母壁さん的には小林くんの衣装を一番心配している様子だった。まあ……彼は膨よかだったし。
制服に着替えた後はちょっとだけ装飾物を作っていた。部活のない生徒達の最終下校時刻が定められていて、それまでにちょっとだけ時間があったから。
それに……もうこんな時間を過ごすこともほとんどないだろうし。
「失礼しました」
教室の鍵を職員室に返すのは日直の役割。今日は僕と母壁さんがちょうど日直だったが、特に何もできてない僕が教室の鍵を返しにいった。
だから、みんなは先に帰っただろうと、下駄箱の前まで来る途中はそう思っていた。
「鍵、ありがとね」
「あ、うん。全然」
ちょうど下靴に履き替えていたところだったようで、大玄関の前に母壁さんが立っていた。
「みんなは、もう……」
「うん。みんな帰ったよ。私はトイレ行ってたから、みんなには先に行っててって」
「あ、そういうこと」
母壁さんは優しい女の子だ。面倒見がいいし、話す時は言葉を選ぶし、みんなの相談に嫌な顔せず乗っている。
しかし、それ故に僕は少なからず彼女に苦手意識を持っている。
優しい人にはどんな話をすればいいのか分からなくて、こんな優しい人に気に障るようなことをしてしまったら、その時僕は自己否定に走ってしまいそうだから。
こんな優しい人を怒らせてしまったと、周りが僕のことを冷たい目で見てくるかもしれないから。
優しい人はまるで白い卵のようで、軽く触れることはできてもどの程度の加減がいいのか計り知れない。少しでも強くいけば、もう元通りにはならないかもしれない。
母壁さんにはそういう脆さがありそうで少し苦手だ。
「母壁さんは、バスで?」
「ううん、私は電車。愛田くんはバスだっけ?」
「うん。じゃあ、バス停までかな」
早急に靴を履き替えると、僕は母壁さんと一緒に大玄関を抜ける。校門までの道中、右手に見える学校のグラウンドには久しぶりに部活に励む生徒達で溢れ返っていた。
「愛田くん、割と着物似合ってたね」
「ありがとう。でも初めて着たけど、着物って動きづらいイメージあったよ。あの着物は結構動ける感じのやつ?」
「動けるというか、着物は普段着より可動域狭いけど、そんな言うほどガチガチに動けないとかじゃないよ。愛田くんが今日着てたやつも特注とかじゃないし」
「そうなんだ。てっきり今回の文化祭用に動きやすいものを用意してくれたのかなって」
「そういうわけじゃないけど、でも今回は藤吉くんと小林くんの要望でレンタルしたものだから、たまたま動きやすいのが来たっていう可能性はあるかも」
「あー、そっか」
でも、なんだかんだ動きやすい着物で良かった。堅苦しい感じも特になかった。なにより着ててワクワクした。
「愛田くん、今回の文化祭は結構張り切ってる感じ?」
「まあ、高校最後だからさ。この先こんな大きな学校行事はもうないし」
大学に進学するならまた話は違ってたんだろうけど。
「そうだね。文化祭終わったら、受験だし」
「だね。大変だね」
僕からすれば、他人事でしかないんだけど。
「愛田くんは、もうどこの大学受けるか決めてるの?」
この時期になると当たり前の質問だろう。うちは進学校だから進路の話題となると大学進学が前提で話が降ってくる。
「いや、僕は就職することに決めたんだ」
「あ、え、そうなの!?」
母壁さんにしては珍しくリアクションが大きい。驚かれるとは思ってたけど、いつも和やかな彼女でもそうなるのか。
「うん。まあ色々考えて、そうしたんだ」
「え、でも……そっか。愛田くんなら、難関の有名私大とかいけたんじゃない? 成績悪くなかったよね?」
「母壁さんほどじゃないよ。母壁さんは国公立に行くんだっけ?」
「うん。って言っても、地方だけどね」
僕も母壁さんも他のみんなも、次の進路を考えて頑張っている。その決断が正しかったかどうか、とか……多分だけど、そういうのは今後も分からない気がしてる。
進路の話になるとあの時の楓の表情を思い出す。今もまだ、あのことについて話し合えてないままだ。
僕が就職を選んだことは間違いだったのか。そんな悩みは未だ消えないまま、しかし当時よりも落ち着いて思考できている。ただ、それでもなんの解決の糸口も掴めてないままだけど。
僕たちはいつの間にか校門をくぐっていたらしく、気付くと高校前のバス停が見えていた。
「あ、僕、ここでバス待つから」
「そっか、分かった。じゃあ……」
ここで別れの挨拶をするのだと、そう思っていたけど、母壁さんはふと僕の前に手を差し出す。
「最後の文化祭、楽しいものにしようね!」
「……うんっ!」
思わず、母壁さんの手を強く握りしめてしまう。言葉にも力がこもった。
母壁さんが向ける眼差しもまた純粋な喜びに満ちていて、僕に笑顔で応えてくれている。
「じゃあ、バイバイ!」
互いに手を解くと、母壁さんと僕は片手をあげて別れを告げる。
母壁さんは別れ際も笑顔を向けてくれた。それは別にお世辞みたいなものなんだろうけど、彼女らしい優しさだと思った。
進路の話をした時も、母壁さんは僕の事情を深く踏み込まないようあえて自分の話ばかりしていた。
いつも優しいところを見てるから、彼女のそんな些細なところも優しい一面として見てしまってるのかもしれない。
彼女からしたらなんてことない、意識すらしてない自然な所作だったとしても、それが母壁さんの持ち味だってことを僕は知っている。
『優しい子だったね』
「……うん」
『文化祭をいいものにする。そのためにもまずは被験者達、そして私達AIで話し合う事が必要ですね』
『そうだね』
「……そう、だね」
無論、僕が言わずとも二人は分かっている。敵AIの脅威はまったく衰えてなどいない。ただこの約一週間、運よく襲われていないだけの話だ。
敵の狙いは、僕たち被験者の意識体。いつどこから来るかも分からない。この文化祭準備期間中に襲撃されたってなんらおかしくない。
だからこそ、一日でも早く瓢太と渡会さんを交えて話す必要がある。今後の僕たちのことを。




