第85話 テストが明けて
教室にはクラスメイト三十二名と担当教諭一名がいる。しかし誰一人として言葉一つ発さない。この緊迫感漂う静寂がもう一時間近く続いていた。
けれど、それを容赦なく断ち切ったのは、テスト終了を告げるチャイムだった。
「はい、ペン置いてー。後ろから回収してこーい」
担任の鈴木先生の一声が聞こえてくると、それを機にクラスメイト達が皆、固く閉じていた口を開き出す。
「終わったー!」「やべぇ、全然分かんなかったー」「ねえねえ、この問題なんて書いた?」
高校最後の中間テスト最終三日目が終わった。僕は十一教科全ての解答用紙の空欄を埋めて、無事にテスト期間を走り切った。
これも勉強を教えてくれた渡会さんのおかげだ。いつものテストよりスラスラと問題が解けた気がした。
「どうだった? 介」
真後ろに座っていた瓢太が、疲れ切った声で話しかけてきた。
「まあ、なんとかできたかなーって感じ。瓢太は?」
「あー、まあなんとか白紙にしないよう頑張った」
「今言っても遅いけど、解答欄が全て名前を書く欄ではないからな」
「いや、それは分かんないだろ。歴史上の人物を答えるんだったら実質全部名前を書く欄だとも言える」
テストから解放された途端、こんなしょうもない会話をする余裕も生まれる。テスト期間は問題を出し合ったり、単語を覚えるのに必死でふざけることもままならなかった。
テスト期間最終日。今日までは終礼をせず、日程通りにテストが終われば自由解散となる。
時刻は昼の十一時。今日から部活がある生徒は残って昼食を取り、それ以外の生徒は下校する。中には図書室に行ってテストの復習をする人もいるのだろう。
僕は家の用事があるので、言わずもがな下校する。
「瓢太はこれから部活?」
「そうそう。徹夜明けの部活きちぃー……。まあサッカー部の奴らと集まって食って一旦昼寝するけど」
「そっか。今週末、決勝なんだっけ? 頑張れよエース」
「ただのフォワードやし。エースじゃねぇよ」
二言三言話して別れを告げる。そういうつもりだったけど、帰り際にふと思い出したことがあった。
「あ、瓢太。あの話さ、来週月曜の昼休みでいい?」
「ん? あの話?」
まあ、さすがに覚えてないよな……。
「あれだよね? 被験者が全員集まるってやつ!」
不意にそう言い出したのはクリエイトさん。瓢太の瞳と毛先の色が青紫に一変する。突然のことに、僕は思わず瓢太の近くまで足早に戻り、片耳にそっと近付く。
「ちょっ、クリエイトさん! ここ教室ですよ……」
「別にいいじゃーん。NPCには聞こえてないんでしょ?」
「そうですけど……」
おそるおそる周囲を見やると、誰も僕たちの方を気にしてない。いつものように、皆平然と教室を後にしていく。
「あと、NPCって言うのはやめてください。一応、その……実在してる人達っていう認識なので」
「そうだよクリエイト。表に出てくるときはある程度場所を選ばないと」
『リペア、あなたが言える立場ではないと思いますが』
僕が言い出す前にリードさんがつっこんでくれた。対応早くて助かります。
「とりあえず、来週月曜の昼休みに集合ってことだよな?」
「そう。大丈夫だよね?」
「おけおけ、来週ね。場所はいつもの?」
「うん、あそこで」
「りょーかい!」
瓢太と話を付けてから、ようやく僕はその場を後にする。
さっき久しぶりにクリエイトさんの声を聞いた気がする。
この一週間、テストに集中してたり敵AIの襲撃に警戒していたこともあったけど、単に瓢太と渡会さんの中にいるクリエイトさんとデリートさんと話す機会が無かった。
それこそ、リードさんとリペアさんと話すのも毎日の早朝トレーニングくらいだった。特に用がなければ話すことはないし、テスト目前でそれどころじゃなかったというのもある。
だからさっき、瓢太の外見が教室で一変した時はさすがに焦った。ここは仮想世界だとか被験者以外にAIは視認できないとか、そんなことに気を取られず今日まで過ごしていたから。
でもその期間が、僕の心身に良い影響を及ぼしてくれた。平和に過ごせることのありがたみが身に染みた一週間だった。
生死をかけた戦いを経験したせいか、今まで一番心が落ち着いていたテスト週間だったと思う。テスト本番直前に緊張するようなこともなかった。
そして、テストが終われば次は文化祭。しかし、その準備期間中も敵AIと対等に渡り合うためのトレーニングは欠かせない。
また心がざわつく日々が始まる。まずは瓢太と渡会さん、二人に改めて協力を求めるところからだ。
「あ、愛田くん! ちょっといいかな?」
大玄関の前まで歩いてくると、ふと前の方から歩いてくる一人の先生が僕を見つけるなり声をかける。
その人は三年生がいる二階では滅多に見かけない先生だけど、彼女が誰なのかはすぐに分かった。
「あ、はい」
「ちょっと……楓ちゃんの具合、どうかなって思って」
パチッと見開いた大きな瞳、凛々しいスーツ姿でも微かに存在感を示している胸元。
黒茶色の長髪をお団子に結わえているこの先生は、楓がいる一年一組担任の環田先生。確か下の名前は……菜月、だったと思う。楓が菜月先生と呼んでた気がする。
先生はおそるおそる廊下の端に僕を促すと、心配そうな顔つきで楓の現状を尋ねてきた。
「まだ、ちょっと……。もしかしたら文化祭、出られるかどうか」
「そっか。急にそんな体調悪くなるなんて……心配ね」
学校側には楓が勾留されていることを隠している。孝子さんには言わないよう口止めされていて、警察の方にも公にはしないようお願いしてあるのだとか。
僕も、楓の将来を思うと外部に話すことを避けたい。一応体調不良の原因は、僕が小学校時代に体が悪かったように楓も遅れて体調を崩すようになったと伝えている。
もちろん、そんな事は一切ない。
「今日からテスト明けなので、今から帰って楓の体調を診ないとなって思ってるので」
「そっかそっか。楓ちゃんには、お大事にって伝えておいてね」
「分かりました」
僕も一度、楓に顔を会わせた方がいいのだろうか。思えば、楓が病院のベッドにいたあの日以来ずっと顔を見れていない。
しかし気軽に行ける場所でもないし、なにより敵AIが急襲してこないかという懸念が頭の片隅にある。
僕が赴けばそこに敵AIが来て、また楓を奪っていくのではないか……。そんな起きるかも分からない不安がへばりついている。
いつか帰ってくる、その時に顔を会わせればいい。そう思ってたりもするけど……。
「それじゃあ、さようなら」
「はい、さようなら」
環田先生はその挨拶を最後に、僕の横を通って校舎の奥へと歩いていく。
楓の帰りを僕や孝子さんはもちろん、先生も待ち望んでいる。こればかりは西東さんと山田さんを信じて待つしかない。
僕は敵AIとより対等に戦うための体作りをする。できることと言えばそれくらいだ。
小さいことだけど、そんなことしかできないのかって自分を責めてしまいそうだけど、そんな自分を蔑んでる場合じゃない。
小さくても、どんなに初歩的な事でも、自分の今の位置を見誤らずできることをやっていくしかない。
僕は先生の背中をしばらく見届けてから大玄関に向かう。
下駄箱の前は生徒が多すぎて靴を履き替えることも多少厳しい状況だったが、どうにかその混雑を搔い潜って外に出ることができた。
帰れば、しばらくできなかったリードさんの即席トレーニングをやることになる。
テスト本番三日間は早朝でのトレーニングを止めてもらっていた。今日までは帰ってからトレーニングをやる方針に変えて、明日からは早朝に戻る。
最近はトレーニングの成果も出てきた感じで、息を切らさず長く走れるようになってきたし、懸垂も一セット半くらいは余裕をもってできるようになってきた。
それでも……ブレイクとの戦闘を思い返すと、今のパフォーマンスでも勝てる気がしない。
純粋な体格差と力量差は、この身をもって味わった。シンクロでの攻撃もまともに効いてない感じだった。
もしかしたら、リードさんとリペアさんの力、コマンド能力を早期に使っていれば渡り合えてたかもしれない。
……いや、それでもあの〈破壊の力〉を押し返せていたかどうか……。
やっぱり、どう考えても問題は自分の体力不足と力不足。より長く動けて、もっと強い攻撃をぶつけ続けるには、自分の体を鍛えないと根本的な解決にはならない……よね。
「テスト、どうだったの」
「うぉっ!?」
気付くと、隣に渡会さんが並んで歩いていた。ちょうど学校の門を出たところで彼女に話しかけられる。
久しぶりにサイトを開くと、ブックマークと評価をしていただいてる方がいました。本当にありがとうございます。
今回から「序:仮想世界〈ユートピア〉 文化祭編」が開幕です。楽しんでいただけますと幸いです。




