第77話 屋上扉の前で
あれから渡会さんが僕に対して警戒心を抱くようになってしまった。今朝も一緒に登校することはなく、渡会さんがひと足先に学校へと向かっていた。
それ以降は渡会さんの顔を一度も見ないまま、四限目が終わる。昼休みは瓢太と話す約束をし、今日もまた別棟の非常階段で話すことになった。
だけど、肝心の瓢太は弁当だけじゃ足らないからと、食堂に行っている。朝練後の弁当を食べてたのに、それでもまだ足らないとか……どんな腹してるんだ。
なんて思いつつ、リードさんとの朝トレーニングをやっている自分の食事量が瓢太に到底及んでないことに少し不安を思う。
もっとトレーニング量を増やして、もっと食べないといけないのではないか。強くなるためにはどうすればいいのか。
そんないつもの悩みをぼんやり考えながら廊下を歩いてると、ふと視界に入ったのは片耳に赤いピアスをつけた女子。
彼女はちょうど、別棟の階段へ差しかかるところだった。
『玲奈様ですね』
突如、リードさんが視界に現れる。こうして音沙汰なくいきなり視界に入ってくるのにもいい加減慣れてきた。
『介くん、追いかけてみたら?』
遅れて、リペアさんも視界に現れる。
「でもこの後、瓢太と一緒に食べるんだけど」
『昨日も購買部行ってからすぐに帰ってこなかったし、今日も多少遅れるって。それに朝からあんまり話せてなかったし、いいじゃん。一人っぽいし』
確かに、誰かと一緒に食べるといった感じじゃなさそうだった。一人で静かに食べるつもりの、そんな足取りだ。
「……ちょっと、追ってみる」
僅かばかり逡巡して、僕はその背中を追いかけることにした。きっと、僕が今から踏み入ろうとしているのは、渡会さんにとって触れて欲しくない部分かもしれない。
でも、彼女とはもう同じ家に住む一人の家族だ。別に深入りするつもりは無いけど、多少の事情は知っておきたいと思った。渡会さんに勘づかれないよう、忍び足でその後を追う。
昼休みが始まってからの数十分間、別棟の方は全くと言っていいほど人の気配がない。
ほとんどの生徒や先生は各々の席や教室で昼食を取ってるし、僕がこんな変態みたいなことしてるのを誰かに見られることはそうないだろう。
階段を上がっていく足音が止まない。このまま上へ行ったら、いずれ屋上に辿り着く。
けれど屋上の扉は施錠されていて開いていない。しかも、その扉前には使われていない机や椅子が積まれていたはず。
不審に思いながらも、僕はその後ろを追い続ける。三階と四階を挟む踊り場まで上ってきたところで、僕は一度足を止める。
次の上り階段を脇からそーっと覗いてみると、渡会さんが四階に留まらず更に上っていこうとしていた。
僕は追わず、そのまま今度は耳を傾けてみると、トントンと階段を上る乾いた足音が聞こえる。そこでようやく、渡会さんが屋上に向かっているのだと、確信した。
再び、僕はその後を静かに追う。案の定、四階まで来ても、更に上の方で階段を叩く乾いた音が鳴り続けている。
今度は四階と屋上を挟む踊り場まで来ると、三度渡会さんの姿を確認してみた。
すると、階段の踊り場にある窓から差し込む日光を反射する白くて細い脚、そしてチラッとスカートの中が微かに見えて、思わず僕は身を引く。
『今、見えたよね!?』
「見えてない……!」
小声で、しかし、固い意志を持ってはっきりと僕はリペアさんに反論する。
見えてない、大丈夫! スカートの影が濃くて黒かったから見えてない!
リードさんが呆れた顔つきになってるのを傍目に、僕は再度彼女の後ろ姿を確認する。
渡会さんの視線の先には、積みあがった机と椅子。その後ろには屋上へ続く大きな両開き扉がある。日差しはその扉の小窓からも差し込んでるけど、辺りは薄暗い。
渡会さんはここまで、慣れた足取りで上がってきてた。
「いつもここで食べてるの?」
ずっと黙って付いてきてることに罪悪感を覚えてしまい、僕は渡会さんが食事にありつこうとする前に声を掛けた。
案の定、彼女の肩はぴょんっと少しばかり跳ねてたけど、こちらを振り返ると固くなっていた頬の力を抜いていつもの冷静な顔つきに戻る。
「なんか用なの」
「僕、渡会さんのこと、まだよく分かってないからさ。僕も別棟の非常階段で友達と食べようとしてたんだけど、その途中で渡会さんを見かけたから、追いかけてきた」
これから一緒に暮らしていく彼女に対して変に嘘を吐きたくないと思って、僕は誤魔化さず真正面から本心を伝えた。
「意味わかんない。なに、また昨日みたいに覗こうとしてたわけ?」
「えぇー……」
だが、返ってきたのは不信感に満ちた表情と棘のある言葉。そりゃあ、挨拶したその日に裸体を見ようとしていた同居人を警戒しないわけがない。
加えて一人でいるところを見つけてその後を付けていたと分かったら、それはもう犯罪の臭いしかしないわけで……。でも悪いのは僕じゃないと思うけど!
「てか、なんでジャージ?」
「あ、これは昨日、制服が破けて着れないから、ジャージ着てるんだ。当分これで登校すると思う」
「あー……もしかして喧嘩とか?」
「いや、喧嘩とかではないよ。その……まあ、色々あって……破けたってだけ」
「ふーん」
聞くだけ聞いて、彼女はひっそりと弁当を食べ始めた。まあ話すテンションからしてそこまで興味なさそうだなっていうのは察してたけど。
「渡会さんは、なんでここに?」
「人目につかないここで食べてるの。あたし、友達いないから。ただそれだけ。なんか悪い?」
「いや、別に良いとか悪いとかじゃ……」
孝子さんと僕では全然態度が違う……。
昨日、裸を見ようとしてた僕、もといリペアさんの行動が響いてるんだろうけど、それでもここまで冷たくされてしまうものなのか。
僕を見る目が明らかに嫌悪している対象って感じだ。
「てか、あたしを見かけたとしても、友達ほっぽりだして付いてこないでしょ普通。街中で同じ学校の人見かけたら、一緒にいる友達置いて、その人のとこ行くの?」
渡会さんの言う通りかもしれない。でも、彼女の言ってる事は少し的を外れている。
「同級生とかじゃなく、家族を見かけたら話しかけにいくと思う」
だからといって、友達をほっぽりだしたりはしない。何をしてるのか訊くだけで、その後はまた友達の元へ戻る。僕ならそうする。
「ごめん。あたし別にあなたと家族になったなんて思ってないから。高校卒業したら孝子さんの家から出ていくつもりだし。今は未成年だから置いてもらってるけど、今年度で成人するからその間はいさせてもらってるだけ」
「……そう、だったね」
昨夜の夕食中にそれを聞いた時は驚いたけど、考えてみれば別におかしなことではない。
高校卒業後の進路が大学進学であれ就職であれ、一人暮らしをしている人は一定数いる。
孝子さん曰く、渡会さんは去年の大半の時間を行方不明の保護者がいない状態で一人生活していた。
彼女からすれば、それは元の生活に戻るだけのことで、大胆な決断でも何でもないのだろう。




