第74話 今日の夕食は
『介様。手が止まってますよ』
暗く落ちていくような思考を振り払うように、リードさんの声が脳内に響き渡った。
「あぁ……」
『どしたの介くん。妹ちゃんの心配? それとも、あっちの部屋が気になる感じ?』
それは元気づけようとしてくれてるのか、はたまた茶化してるのか。分からないけど、今の僕にはあまり気分のいい質問ではなかった。
「どっちかというと、前者ですけど……もうリペアさんは黙っててください」
『なんで!?』
『あなたは介様の体のメンテナンスに集中していた方が良いかと』
『え!? いや俺だって、介くんとコンタクト取りたいんだけど!?』
確かに、僕もリペアさんのことはあまり知らない。
強いて言うなら、力の詳細、現実世界でどんな立ち位置にいるか……くらいだろうか。かくいうリードさんのことも分かってない気がする。
というか、情報を求めたら際限ないんじゃないかという懸念があって、ここまで来ると逆に尋ねるのが億劫になってるところはある。
だが、良い機会だ。コピーを確保して、楓をコピーの支配から救出できた今、リードさんとリペアさんについて一度理解を深めておいた方がいいだろう。
もうここが仮想世界だとか被験者以外は皆NPCだとか、そういう規模が大きすぎて自分だけでは真偽を判然とさせられない、理解が追いつかないものは一旦考えないようにしよう。
まずは両親の探索と救出。その最終目標のためにも、共に居てくれるリードさんとリペアさんを知ることは必要なことだ。
「とりあえず……後で話そう、リペアさん。今は食事を作らないとだし」
『今のを意訳すると、察しが悪い人は静かにしてほしいってことですね』
『リードに言われると説得力増すじゃん! 辞めてよ、俺をいじめるのは!』
リードさんは無表情で、非情な言葉をリペアさんに突きつける。リードさんの言ってることは嘘じゃないんだけど……他に言い方がなかったものか……。
「いや、僕もリペアさんのことは知りたいと思ってるから。それは、ほんとなので」
『あ、ならおっけー! 介くんの体をいじってればいいんでしょー』
「え、いじんのは辞めてよ!」
『あ、ごめん。言い方が不味かった。正しくは修復する、だね』
言い直されても、なんだか信用ならない……。
『なに、なんで今手止めてるの』
「いや、別に」
『あなたが変なことを言うから、介様は不信感を持ってますね』
『大丈夫だよ! こう見えて俺、医療機関で働いてたAIなんだぜ! 介くんの体の不調なんてパパーッと治してやるぜ!』
「いや、不信感を抱いてるのはそういう技術面ではなく……あ、すみません。また後で……」
隣の部屋から二人が出てくる気配を察して、僕は無理やり話を切り上げる。最初に顔を出したのは孝子さんの方だった。
「あれ、制服のまま……てか、もしかして今日は鍋!?」
「うん。まあそろそろそういう時期かなって。それに、渡会さんも今日からここに住むし」
「おー、分かってんやん介くん! できる男か、このこのっ!」
どうやら鍋にして正解だったようだ。もし肉炒めにしてたら肘で腹をえぐってこられたかもしれない。
「そういえば、渡会さんは楓のこと知ってるの?」
「もちろん。介くんと楓ちゃんのことはここに来る前から話してあるし。ね? 玲奈ちゃん」
「あ、はい。二人のことは聞いてます。愛……介くんも楓ちゃんも、あたしと同じ学校なんだよね」
まあ……一緒に暮らすわけだから、さすがに僕と楓のことは話してあるか。しかし、不意に渡会さんの視線が僕とかち合ったからドキッとしてしまった。
「あ、うん。あの……申し訳ないけど、何組……」
「あたしは二組。介くんは五組でしょ?」
「え、あ、うん。知ってたんだ」
「うん、まあ」
僕たち三年のクラスは五組まである。五つのクラス教室は同じ本棟にあるけど、一組と二組、三組と四組と五組という形でクラスが隔てられている。
というのも、二組の教室と三組の教室との間に階段が存在するため、その構造的に僕の五組は比較的三組と四組との接点が多くなる。
そのため、一組と二組の人とはあまり関わらないし、よく知らない。それは逆も然り……と勝手に思ってたんだけど、案外知られてたりするのか……。
「えー、なになに。もしかして玲奈ちゃん、介くんのこと見てたのー?」
「いや、別にそういうのじゃないですけど……顔以外特に知らないけど、その人が何組なのかなんとなく知ってたってこと、ありませんか?」
「あ、いや……私もうおばさんだから、学生のそういう感覚分かんないや」
学生の僕もその感覚分からないんだけど……もしかして僕はおじさんだった?
「あー、えっと……顔と名前以外分からない人だけど、その人がどこの所属かなんとなく知ってるみたいな」
「あー分かる! 話したことないけど、あそこにいる人かってなるなるっ!」
あ、分かるんだ。
「でもそういうのって、周りをよく観察してるから分かるものなんだと思うよ。つまり……そういうことか!」
「あ、まあバイトで周りをよく見るってことはやってきたので」
僕もファミレスでバイトしてたことあるけど、思い返せばシフトあんまり一緒になったことないけど、顔と名前は知っててどこの担当なのかもなんとなく分かる人はいた気がする。
でもそんな感覚でこの人はこのクラスっていうのは……体育祭とかの行事ごとだったらそういうヒントを得る機会はあるか……。
つい黙考してしまっていると、傍で孝子さんが突然ぶーっと不貞腐れだした。
「もー、つれないなー あ、介くん。玲奈ちゃんに勉強教えてもらったら? 玲奈ちゃん頭いいし。介くん、今後の試験落とすわけにはいかないし」
「あ……じゃあ、機会があれば……その、頼らせてもらいます」
知らない女子と一緒に勉強……なんか緊張する。
だが、頭がいいとはいえ、おそらく渡会さんは受験生。かくいう僕はもう就活を終えて、彼女ほど勉学に力を入れるわけではない。
頼らせてもらうとは言ったけど、そういう機会はあまりないかもしれない。
「そうしなそうしな。来週から中間テストだし」
「え?」
「え?」
一瞬、空気が凍った。しんとした部屋の中に鍋のぐつぐつと煮立った音だけが僅かの間に流れた。
「え、玲奈ちゃん。来週だよね? 中間テストって」
「はい、来週月曜です。今日は火曜なので、もう一週間ないです」
「だ、そうだけど……」
来週……そうだ、すっかり頭から抜けてた。軽く絶望して、僕は重たいため息を吐く。
今日の昼以降は授業の内容なんて全く入ってこなかったし、敵の遭遇とか西東さん達の話とかで頭いっぱいになっててすっかりテストのことなんか忘れていた……。
そういえば提出物とかあるんだっけ? 今この時点でそこも知らないの……ヤバいな、これ。
「えっと……明日の放課後、時間あります?」
「明日はバイト。明後日からなら大丈夫だけど」
「あ……じゃあ、その時に……お願いします」
前言撤回。渡会さんにさっそく頼らせていただくことになりました。




