第73話 新しい家族の一員
今まで異性と話す機会は幾度かあった。もちろん、孝子さんと楓を除いての話だ。
しかし、距離の近かった異性がいたことは今までない。彼女はもちろん、女友達と呼べるような人もいなかった。
そもそも僕が学校を休みがちだったことも要因のひとつではあるだろう。決して女子が苦手という訳じゃないけど、一緒に暮らすとなると話は違ってくる。
孝子さんに同期の女子が来ることを言われてから、僕の頭の中は不安と心配でいっぱいになった。
というか、それ以降孝子さんと何を話してたのかもよく覚えてない。気付いた時には既に家の駐車場に着いていた。
「ただいまー!」
孝子さんの元気な声が、久しく家の中に響く。なぜか玄関の鍵は既に開いていて、部屋の中の電気も点いていた。
「おかえりなさい」
玄関から部屋の中に向かって伸びる廊下。その先に見えるダイニングから、僕の知らない女の子が一人顔を出す。
長い黒茶の髪がふわりと揺れて、ちらと覗く左の耳たぶには赤いピアスがキラリと輝いている。
奥二重の陰から覗く瞳が僕たちを捉えると、どこか申し訳なさそうに眉尻を下げながらいそいそと駆け寄ってきた。
「ごめんね、玲奈ちゃん! 迎えにいけなくて」
「いえ別に。大丈夫です」
彼女は、見慣れた仁徳大仙高校の体操服ジャージを身に纏っている。
その胸元には学年カラーの緑色の刺繍で「渡会」と名前が縫われていた。確かに僕と同じ高校、同じ学年だ。
「あ、前に言ってた愛田介くん。私の甥っ子で、玲奈ちゃんとは同じ高校で同じ学年の男の子」
「初めまして。愛田介です」
唐突な紹介だったが、僕は瞬時に応対してみせる。
「初めまして、渡会玲奈です。よろしくお願いします」
すると、渡会さんに丁寧な挨拶で返された。片耳のピアスを見て内心偏見を持ってたけど、そう警戒しなくてもよさそうだ。
というか、こんな子が同じ高校にいるなんて知らなかった。少なくとも、同じクラスになったことない……はず。イメチェンとかしてたらもうお手上げだけど。
「てか玲奈ちゃん、久しぶりだね! 高校入学以来だっけ? 元気してた!?」
「はい。まあ、なんとかやってました。あ、あたしの荷物とかってどこに置けば……いいですか?」
「あ、そうだそうだ! ちょっと待ってね」
孝子さんはいそいそと靴を脱ぐと、足早に家の中へ入っていく。
この家の間取りは2DK。二部屋あるうちの狭い方は俺が、もう一部屋は楓と孝子さんで使っている。
楓がいない間は広い部屋の方を渡会さんが使うのだろう。案の定、孝子さんは渡会さんに広い部屋の方を使うよう話している。
『おいおい、介くん。知らない女の子とひとつ屋根の下とか……ラッキーボーイじゃん!』
突然視界に現れたかと思えば、意地悪そうな顔でそう言い放ってきたのはリペアさんだった。
「どういうことですか……」
僕は二人だけに聞こえるよう、ひっそりと言い返す。
孝子さんと渡会さんは玄関前で突っ立ってる僕など見向きもせず、いそいそと渡会さんの居住スペースの構築を進めている。おかげで独り言を話してても怪しまれない。
『え? だって……ねぇ? もー言わせないでよ、介くーん』
その微笑み交じりのしたり顔がなんともうざったい。
要は『ハーレム状態やん、やったやん!』と言いたいんだろうけど、両親も妹もこの場にいない現状で、そんな呑気なことを思ってる余裕は僕にない。
「とりあえず、二人といろいろ話しておきたいです。今後のこ……」
二人に話し合いを持ち掛けようとしてたら、ふと視線を感じる。
目前のリードさんとリペアさんの背後を注視してみれば、渡会さんが廊下の道中に立ち止まってこちらをじっと見つめていた。
「玲奈ちゃん、どしたの? それ早く運んじゃおう」
「あ、はい」
彼女のあの視線は警戒してたり蔑んでるようなものじゃなく、こちらを観察してるような感じだった。
多分、制服の左袖が破けてるのが気になったんだろう。挨拶してる時もちらちら見てたし。
「てか、介くんもなんでずっと玄関にいんの。早く上がってご飯でも作っててよ」
「あー……はい」
僕の扱い方が少し雑なのが気になるが、とはいえ今の僕ができることと言えばそれくらいか。女子の服を棚にしまう手伝いとかできるわけないし。
まあ、とは言っても洗濯物を干す時に一応女性モノの下着は否応なく触れてるんですが。人間不思議なもので、数年やってたらなんとも思わなくなる。
『介様。お話は、食事が落ち着いてからお部屋で話しましょう』
「分かった」
家に上がるや、僕は洗面所まで行って手を洗う。昨日はとても冷たかった水が、今日は思ってたよりも少し温く感じる。
そんな小さな違和感を一瞬だけ思って、忙しない二人を横目に僕は早速キッチンの前に行く。
今日は肉と野菜を炒めた簡単な料理にしようと思ってたけど、渡会さんが来たとなるとそういうわけにはいかないだろう。というか、孝子さんがなんか言ってきそうだし。
じゃああんたが作れよと言い返したいけど、孝子さんがまともな料理を作れるとは思えないから言っても意味がないんだよなぁ……。
特にどうでもいいようなことを一考しつつ、隣の部屋から聞こえる慌ただしい物音にちょっとした心地よさを感じながら、僕は早速夕飯の支度を始める。
ふと、こうやってキッチンの前に普通に立てている自分の成長っぷりを思った。
中学生まではベッドの上で横になってることが多く、少しでも動くことに恐怖すら覚えていた。立ち続けることができない時もあったし、特に学校の朝礼は途中で地面に座ることがあった。
成長期を迎えれば症状も落ち着いてくる。そう医者に言われて、中学生から成長期が来ると思ってたけど、僕の成長期が始まったのは中学三年の頃。
とはいえ、当時は症状が軽くなったけどたまに体が気だるくなることもあった。
高校に上がってからは以前よりもその頻度が落ち着いて、体の調子は段々と良くなり、中学入学時からずっとやってみたかった部活動をようやく始められる……と、そう思っていた。
その矢先に、両親は行方不明になった。高校入学前の衝撃的な事件だった。体が悪かった頃は自分をよく蔑んでいた。自分は存在価値がないお荷物なのだと。
でも両親は人生山あり谷ありだと言って、いつかこんなしんどい時期も報われる日が来ると僕を励ましてくれた。
ついにその真っ暗なトンネルの中を抜ける時が来たんだと、そう思ってたのに……今もまだ、両親の行方は分かってない。
そして楓は、留置所に入れられている。トンネルを抜けた先は、暗雲がかかっていた。
しかし、時々雲間から月光が差すような……そんな時期を、今生きてるんだと思う。
いつになったら僕は、淀みのない空の下を駆けることができるんだろう。いつになったら、あの日行けなかった旅行のお詫びをできるんだろう。
いつになれば、胸を張って強く生きていくんだと……そう思えるんだろう。




