第71話 前を向いて
「やっ、介くん」
「孝子さん!?」
取調室から出てくるや否や、向かいの壁にあるベンチに孝子さんが座していた。ふと僕は、孝子さんの元まで駆け寄る。
「え、楓と一緒に留置所いるんじゃ……?」
「昨夜まではね。ごめんね、昨日は。家で一人にさせて」
「いや全然。それはいいんだけど……」
平然とそこにいたものだから呆気に取られた。ここで会えると思ってなかったし、もちろん会えたことは嬉しいんだけど……。
「あ、すみません。色々とご迷惑をおかけしまして」
「いえいえ。むしろこちらが彼に頼らせてもらってるぐらいですよ」
孝子さんは立ち上がると、僕の後に部屋から出てきた刑事さん達を見て頭を下げる。西東さんは、軽い会釈を返した。
「妹さんはお任せください。彼女の身の安全は保証します。妹さんの今後については、遅くとも来月頭には私の方から連絡させていただきますので。妹さんと面会する場合は窓口に行っていただければと」
「分かりました。楓を、どうかよろしくお願いします」
「……お願いしますっ!」
再度、西東さんに頭を下げる孝子さんに、僕もその隣で頭を下げる。きっと、孝子さんと一緒に頭を下げたところで届く思いの強さはそこまで変わらない。
だけど、僕にとって、今ここで頭を下げるということに意味を持つ。もちろん楓のことを思ってのことではあるけど、今後西東さん達の力を貸してもらいたいという要求でもある。
そんな複雑な思いまで西東さん達に伝わってないと思うけど、せめてその姿勢は見せなければいけないと、僕はそう思ったから。
視界上部でちらと見える西東さんは微苦笑を浮かべていて、照れくさそうに後頭部をポリポリと搔いていた。
「愛田さん」
ふと、山田さんに名前を呼ばれて、僕は顔を上げる。
すると、山田さんは僕の元まで歩いてくると、僕の左肩に手をそっと乗せて、目線の高さを僕に合わせて屈む。
「君は、ひとりじゃない。だから、この先も強く持って、前を向いていこう」
山田さんが笑顔を浮かべながら口にしたその言葉が、僕の背中をじんわりと熱くする。
同時に、なぜかコピーと戦っていた時のリードさんの鬼気迫る声音と、病院で一緒にいてくれた孝子さんの楽しげな声調が僕の脳裏を過った。
「……はい」
僕は努めて笑顔を浮かべ、首肯する。本当に笑えてたのかは分からない。もしかしたら顔が引きつっていて変な顔をしてしまったかもしれない。
だけど、ここで笑顔を作れなかったら、この先笑っていられないような気がしたから。
「介くん。帰ろっか」
「うん。あ、西東さん、山田さん」
孝子さんにつられて足先が出口へ向かおうとした時、僕はふと重要なことを思い出して再びその正面を二人に向け直す。
「あの……ありがとうございました!」
僕は二人に感謝を伝える。案の定、二人はその感謝が何に対してのものなのか思い当たる節がないといった様子だった。
だけど、その反応は正しい。これは、僕が一方的に思いをぶつけただけだから。
「失礼します」
僕は返答も待たずにそう言って頭を下げて、再び足先を出口の方に向ける。
孝子さんも刑事さん二人に頭を下げていた。署の自動ドアを通り抜けたくらいで、孝子さんは僕の隣に並んでくる。
「ずっと気になってたけど……その左腕、どうしたの?」
「あ、いや……これには色々とあって……でも、このことは刑事さんには話してる」
「また、襲われたの?」
孝子さんの口から、思いも寄らなかった言葉が出てきた。
「え、知ってるの!?」
「そりゃあね。刑事さんからお話は聞いてるから」
「あー……そりゃ、そっか」
むしろ言わない理由がない。孝子さんは現状僕の保護者だし、ある程度の説明は西東さん達から受けててもおかしくない。
「その……ブレザーとカッターシャツ代は、僕のバイト代から出すよ」
「そっか、分かった。制服の注文は、介くんが学校の方でしておいて。お金が足らなかったら言って。その分、私の方で出すから」
「……うん。ありがとう」
今年の夏休みまでバイトして稼いだお金は、使わず貯金してある。
多く見積もって十万ほどするとなっても、僕の貯金であれば払えない額じゃない。孝子さんのポケットマネーを貰うことはないだろう。
だけど、頼ってもいいよと、そう言ってもらっただけで僕は嬉しかった。
「孝子さん、電車で帰るよね?」
「ううん。車だよ」
言うと、孝子さんはズボンのポケットから車のキーを取り出した。
「え、あれ? 確かここまでパトカーで来たん……だよね?」
「あ、そうそう。でも今朝、電車で一回家に帰って、楓ちゃんの必要なものまとめて、車で一度職場にちょっと挨拶しにいって、それからここまで来たんだ」
「あ、そういうこと。一回帰ったんだ」
今日はてっきり仕事に行ってると思ってたから、孝子さんが取調室の前にいた時は驚いた。
孝子さんが僕たちのことを何より優先してくれてる人だっていうのはこの数年一緒に暮らして分かってる。
嬉しい反面、孝子さんの仕事の方が気になって仕方がない。なんせ職場に爪痕、もとい弾痕を残してしまってるので……。
そんな心配を思ってると、目の前に広がる駐車場で白い軽自動車が一台、黄色いハザードランプを点滅させ、ガチャリとドアロックの解除音が鳴った。
僕は特に何を言うでもなく、孝子さんから言われるでもなく、当然のようにその車のドアを開けて助手席に座る。
孝子さんもまた当然のように運転席に腰を据えた。
「昨夜は楓と一緒に泊まったんだよね?」
開口一番。シートベルトを締めながら、僕は孝子さんに尋ねた。
「うん。楓ちゃん一人だと心配だったし」
孝子さん同様に、僕も楓のことが心配だ。楓は留置所に、長くても半月くらいは入ることになる。
その間の生活をどうするのか不安で仕方ないし、起訴されたら楓の将来が危うくなるのは確実。
意味も分からず犯罪者扱いされたら、多分僕だったら死んだ顔をするか気が狂うくらい怒ると思う。
「楓、どうだった? やっぱり……怒ってた?」
車が駐車場を出てから少しして、僕はおそるおそる訊いた。
「怒っ……てはいたかな。まあどっちかというと、すごい困惑してたよ。楓はやった覚えがないのにーって」
そうだよね。そりゃそうなるよ。




