第61話 この世界で生きている記憶
「……聞い、てくるんだ」
「あぁ、聞いてやるよ。言ってみろ。それでお前の悩みが吹っ飛ぶなら、いくらでも聞いてやる」
相手が口にした言葉は、本来なら優しいと感じてしまうものだろう。
だけどその薄緑色の瞳には、不思議と殺気が感じられる。加えて相手は怒ってるかどうかも判然としない無表情を向けてくる。
そんな屈強な成人男性を前にしてると、むしろ言わなければ殺られるとすら思ってしまう。僅かな沈黙の間を置いて、僕は恐る恐る口を割った。
「僕には、助けたい人がいる。でも、その人は、本当は存在しない人かもしれない。存在しない人を助けにいくのは、意味ある……のかなって」
誤って相手の機嫌を損ねるようなことを口にしてないかと思う半分、相手にこんな話をしたところで意味があるのかと、そんなことを考えながら僕は話した。
「そいつは、物語に登場するような架空のキャラクターのことか?」
相手の表情はピクリとも動かない。むしろその様を不気味にすら思う。あくまでも僕と相手は敵同士。なのに相手は淡々と僕の話を聞いて応えてくれる。
相手が僕を騙して襲ってくるような奇襲を仕掛けてくる素振りも窺えない。本当に相手が言った通り、僕の話をただ真っすぐに聞いてくれている。
薄っすらと警戒心を抱きながらも、僕は躊躇わず相手と言葉を交わす。
「いや、違くて……仮想世界にはいるけど、現実世界には存在しない。意味わからないかもだけど、そういう人」
「なんだ、じゃあ存在してんじゃねぇか」
「……え?」
僕が思ってた返答とは全く逆のニュアンスのものが来て、不意に素っ頓狂な声が出た。もしかしたら本当に意味が伝わってなかったのかもしれない。
「いや、現実世界には存在してない人で……」
「現実世界には存在してなくても、この仮想世界にはいるんだろ?」
「……そう、だけど……」
しかし、どうやら聞き間違いでも言い間違いでもないらしい。相手のさっきの返答は僕の話してることを分かった上での返答だったんだと、認識を改めた。
だけど、それでも相手の返答はまだどこか的を射ていない。僕が思い悩んでるのは助けに行こうとしてる人が現実世界に存在しない人間であるということだ。
「でも、現実世界には存在しない人だし……」
「例えそいつが現実世界に存在してなくても、この仮想世界にはいるんだから、助けにいけばいいじゃねぇか」
話が噛み合ってないのか、僕の頭が悪いだけか。相手の回答は何かズレてるように感じてならない。
しかし、それでも僕が今思い悩んでいる答えをくれるかもしれない。そんな淡い期待に従って、僕は三度問う。
「……でも、その人は……」
「別に現実世界にいなくてもいいんじゃねぇか? だってお前の頭の中には、そいつと過ごした記憶があるんだろ?」
相手のその言葉は、僕にとってとても衝撃的なものだった。開いた口は塞がらず、まるで頭に大きな石でもぶつけられたような感覚に陥って、僕の思考回路が止まる。
「ここではそいつと触れ合ったり話したりできる。そしてそいつと過ごした思い出は、例えお前が現実世界の方にいたとしても、お前の中に消えることはないだろ。そいつと何したか知んねぇけど、そいつとの思い出っていうか、そいつの容姿とか話していた言葉とかその時の表情だとかは実際に起きた事実として記憶してんだろ? なら現実世界の方では、そのメモリーを大切にしながら生きていけばいいじゃねぇか。現実世界にいなかったとしても、そいつと過ごした思い出は、お前の中で事実として記憶されてるんだからよ」
再び、僕の脳に衝撃が走る。だけどそのおかげで、止まっていた思考が再び動き出して、自分の考えがいかに小さなものだったのかと気付かされた。
僕は家族の実体にあまりに固執しすぎてた。家族が現実世界に存在しないなら、助ける意味なんてないと思ってしまっていた。
でもそれは、この仮想世界の中で一緒に過ごしてくれた家族との思い出を捨てる行為に等しい。
体の弱かった僕を支えてくれた家族を助けない理由が「現実世界に存在しない」というのは……冷静に思うと、とても酷い決断な気がしてきた。
「仮想世界にいる時はそいつとの時間を過ごす。現実世界にいる時はそいつと過ごした思い出を大切にしながら生きていく。それでいいじゃねぇか。だからそいつを助けにいけばいいんじゃねぇか? お前は今、このIZの中にいるんだからよ」
もちろんリードさんに約束した通り、いずれ現実世界に帰る気でいた。
しかし、それがずっと、何をする時も何を考える時もその決断が付きまとっていたのだろう。だから僕は、家族が現実世界に存在しない事を知って酷く落ち込んでしまっていた。
未来のことを考えすぎていたんだ。先のことを考えすぎて、思いすぎて……今この瞬間、現在、この世界にいる僕自身のことを蔑ろにしてしまっていたんだ。
「まあ残念なのは、俺が形のあるものしか壊せないってことだな。記憶、思い、気持ち。少なくともそういう不定形のものは俺には壊せない。でもいつかはそれすら壊せる最強のAIになって、お前の中にあるそいつとの思い出も全部ぶっ壊せるくらいになってやるけどな!!」
そう相手が嬉々として高らかに宣言したことは、今の僕にとって特にどうもいいことだったから頭には入ってこなかった。
けど、相手のおかげで僕の凝り固まっていた思考は壊された。
だから僕は今、迷いなく、この言葉を相手にぶつけられる。




