第10話 夜明け
──いいの? 奨学金を借りれば、大学に進学することも可能なんだよ? 入学金ぐらい、別に重たく考えなくても……。
──お兄ちゃんは、大学どうするの? 有名私立とか狙ってる感じ?
──お金の問題なら、私がどうにかするし、もしかしたら奨学金は無利子で借りれるかもしれない。そんなに生き急ぐことなんてないんだよ?
──俺はサッカーを続けたい。介はどう思う? 俺、スポーツ推薦とかもらえたりすると思う?
──お金の心配をするのは分かる。だけどな、愛田。正直、大学には行っておいた方がいい。まだ分からないと思うが、最終学歴が大卒か高卒かだけで、大人の世界では選択の幅が違ってくる。まだ時間はある。保護者の方からお金を出すと言ってもらえてるなら……もう少し考えてみて欲しい。
──大人になるから働かなきゃいけないっていうのは分かるけど……でもね? 介くんが責任を感じることはないんだよ。お母さんとお父さんがいなくなったのは、全部が全部、介くんのせいじゃないんだよ?
──お兄ちゃんは私のためじゃなくて、自分のためだけに頑張ってよ!
「はっ……!」
パッと目が開いた。なぜか荒々しい息遣い、ドクンドクンと騒がしい心臓。懐かしくも息苦しい夢を見た気がする。何かに、追い詰められてたような……。
最初に目に飛び込んできたのは、どこか見慣れたシミのついたミルク色の天井。そのシミの数を数えるでもなく、とりあえず荒い息遣いが整うまで静かに見上げる。
なぜか今は何も考える気になれないし、体を起こそうとも思わない。
しばらくして辺りが気になり始めて、僕は体勢そのまま視線だけきょろきょろと彷徨わせる。すると、突如一人の人影が視界の中に飛び込んできた。
『お目覚めですか、介様』
「……うん」
『放心状態ですね』
この人は確か……リードさん、だっけ。
「ここ……は?」
『日朝病院という総合病院です。通りすがりの方が、悲惨な状況を見てすぐに警察と救急車を呼んでくださっていました』
「……そう、なんだ……」
ここは……病院なのか。そういえば僕、なんかすごい疲れて……。
『体の方はどうでしょう』
訊かれて、試しに布団の中で手を開いたり閉じたり、足を動かしたりしてみる。
「ちょっと、筋肉痛が……」
あ、そうだ。思い出した。僕、狙われてたんだ。相手は……アイ・コピー、だっけ。銃で攻撃してきて……八人の人達を操って襲い掛かってきた……。
『昨夜のこと、気になりますか?』
「昨夜……」
ふと、光が差す窓の方に首を捻ると、どこまでも澄んでいる青い空が僕の虚ろな瞼を優しく開けてくれた。
「今日、って……」
『今日は九日の木曜日です。現在、時刻は午前六時半。あれからもう十二時間は経過しています』
昨夜……十二時間前……。瓢太とは六時に駅で別れて、その後に非通知電話に出たらリードさんが現れて、それから……。
「楓……そうだ、楓! 楓は!?」
なんで早く思い出せなかったんだ!? 寝ぼけすぎだろ、僕! そうだ……楓が電話に出て、倒れて、そのまま動かなくなったんだ!
「楓は! 楓はどうなったの!?」
『残念ながら、楓様の所在は存じていません。視界が遮られていたものですから。ただ、おそらくですがこの病院に運ばれてきてるのではないかと思います』
「なら早く探さなっ……!」
慌ててベッドから降りようとしたら、足に全く力が入らず、崩れ落ちるように両手両膝を床に思いっきりぶつける。
まるで噛み合わせの悪い歯車のように、上手く力が入らない。
『介様、あまり無理はしないでください』
「だ、大丈夫……」
『とてもじゃないですが、大丈夫だとは思えません。全身の筋肉を酷使してしまった私が言えた立場ではありませんが、今は安静にしていることが最善です』
ダメだ……自分でも情けないと思うくらいまともに動けない。まず脚を動かすことすらできないなんて……。
「それでも関係ない。楓の安否を確認しないと……そうじゃないと、気が済まないんだ……」
兄として、家族として。お母さんとお父さんが帰ってきた時に僕と楓が元気な姿を見せるまでは……。
ベッドの脇に見つけた手すりを握って、僕はどうにか立ち上がることができた。しかし松葉杖とか歩行器とか、そういう支えがないと歩けそうにない。立ち続けるだけで精一杯だ。
どうにか歩行を試みていると、病室扉の向こうから硬い廊下を踏み鳴らす音が聞こえてくる。その足音は次第に大きくなって……
「あれ、介くん!?」
病室の扉が開いたかと思えば、一人の女性看護師さんが入ってきた。その人は、僕の保護者に当たる伯母の孝子さんだった。
「あ、孝子さん!」
「いや、何してるの!? まだ寝てなきゃダメじゃない」
僕は駆け寄ってきた孝子さんに両腕を支えられて手すりから離れると、今度は孝子さんの両肩をぐっと掴む。
「楓は? 楓はどこ!? 楓は無事なの!?」
「その話は安静にしてから。両膝、笑いっぱなしじゃない」
「ダメだよ! 楓の安否が知りたい! 孝子さんの口からでもいい! 楓はどこ? どこにいるの!?」
「介くん。院内では静かに。他に入院してる患者さんいるから。心配なのは分かるけど、とにかく介くんはまず、冷静になって」
「……分かった」
感情的に叫んでしまっていたことは認めざるを得ない。でも楓が意識を失くしたように倒れて、あの乱闘が終わった後も目を開けていなかった。
一晩経った今、ただただ楓のことが心配だ……。
僕はやきもきする気持ちをひとまず押し留めて、孝子さんに促されるままベッドに腰を下ろした。
「でも、良かったー……介くんが無事で。ほんと良かった。ほんと……」
一度大きく息を吐くと、孝子さんは安堵の言葉を並べ始める。それを聞いて、僕は孝子さんを心配させていたことに気付いた。
「……楓は、どうなりましたか……」
僕もまだまだ未熟だ。それでも頭の中は楓のことばかりで、また訊いてしまった。
「……」
だが、返答はない。病室の空気が次第にどんより重たくなるのを肌で感じる。
すると孝子さんはベッド横にあった椅子に腰を据えると、神妙な面持ちで口を割った。
「楓ちゃん。病院のベッドで、目を瞑ってるよ。息もしてる」
「……………………そう……ですか」
途端、なんとも言い表しがたい感情が胸中を渦巻いた。
安堵はあった。けれど多少の不安もあって……とても複雑で、楓が無事だと聞かされてもイマイチ納得できていない自分もいた。
「大丈夫?」
「あ……はい」
大丈夫じゃないのに、なんとなくで頷いてしまった。存外、まだ僕は混乱しているのだろう。
「楓は……寝てるんですね?」
「寝てるし、まだ目は覚ましそうになかったよ。他の人の容態も一応見回ってきて……で、最後に介くんの部屋に来たら、介くんが起きてたの。介くんが一番に目覚めた」
僕が一番……なぜだろう。妙に何かが引っかかる。それに昨日からずっと胸中で不安が蟠っている。
僕が得体の知れない気持ち悪さに眉間のしわを寄せていると、孝子さんがいきなりどっと大きなため息を吐いた。
「ほーんと、心配したんだよ? その時はちょうど家の前に着いた時だったもん。電話が来て、番号は介くんの携帯なのに、声は警察の人だったから、もうびっくり! 話聞いたらめちゃめちゃ近所だったし。慌てて駆けつけて、そこにいた警察の人に改めて話を聞いたら、介くんが担架で運ばれてるのが見えたから。ほーんと、びっくりしたんだよ?」
そうまくし立てる孝子さんの表情は終始豊かで、しかし、その声音は時折震えていた。
「とりあえず、介くんが運ばれる救急車に一緒に乗ったんだよ。で、後から楓ちゃんが運ばれてるのも知って……もーなになにー!? って。えー!? って。しかも別の救急車には九人も運ばれてるし。ほんと何、なんなの!? 何が起こったの!? って」
「……すみません」
いろいろと言いたいことはあるけど、罪悪感だったり情報過多だったり心を蝕まれていたりと、色んなことが思考を邪魔していてうまく話せない。
とりあえず、孝子さんにまで被害が及んでなくてよかった。それだけは本当に。




