第1話 噂の非通知電話
意識を失った妹を抱きかかえ、地に両膝を付いている。そんな僕の額には今、黒い筒のついた銃口と警察官のにたりと微笑んだ眼差しが向けられていた。
僕はふと、ここに至るまでのほんの数時間を、まるで走馬灯のように思い返す。
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【発信元不明 「謎の着信」、全国に拡がる】
それが満十八歳になる僕の目に止まったネット記事のタイトル。
やけに不安を煽るものだったからか、もしくは見慣れた単語が目に付いたのか。
ただ呆然と画面をスクロールさせていた指がついに止まった。
【各地で鳴り止まない着信音 世間は騒然……】【通信事業者 非通知電話の発信元わからない】
関連記事欄のタイトルには案の定、似通った文字列が散見される。
というのもここ一か月、やたらとこの非通知電話が世間で噂になっている。
SNSのトレンドにはしばしばこの、非通知電話という単語を目にするし、「謎の非通知電話が掛かってきた!」と、なぜか自慢げに投稿している有名人達を見かけるようになった。
今では非通知電話の新しいネット記事も、一日に一回は更新されている。
【謎の非通知電話 海外にも】
直近の記事によれば、どうやら謎の非通知電話はついに世界を巻き込み始めたらしい。
僕はその記事を見つけると、気だるげに落ちていた瞼に思わず力が入った。
非通知電話の主犯格が誰かは知らないが、まさか世界まで敵に回すようなヤバい奴だったとは……。
「えぇ……」
「おぉ、どうした急に。そんなごみを見るような目で」
つい漏らしてしまった声に、隣に座っている瓢太が反応する。
「あ、いや、また非通知電話の記事見てたら、なんか凄いことになってるなーって」
「へー そういえば介、最近よくそれ見てるな。おもろい?」
「いや、面白いとかそういうんじゃ……。なんとなく見ちゃうっていうか……」
なんて言うのは半ば嘘で、この非通知電話の件に関してはかなり興味があった。
というのも、こうして世間に取り上げられる前から、僕たちの高校ではこの非通知電話の件が話題になっていた。
一時期、掛かってきた人はこの世界に選ばれた勇者だとか、特別な人間にしかこない非通知電話だとか、そんな意味不明な噂が校内を駆け巡っていたし、それを鵜呑みにしていた人達が自慢げに非通知電話キター! とか暴露していた。
けど今では、非通知電話のことを鬱陶しそうに話している人が時々いるくらい。話の熱は既に冷め始めていた。
「まあでも、学校であれだけ騒がれてたもんなー 周りみーんな掛かってきたって言ってたし。介は? もしかして掛かってきた?」
「きてたらとっくに話してる。自分だけじゃ抱えきれないよ、こんな大事」
「なるほど。つまり……もう掛かってきたってことか!?」
「なんで今の話の流れでそうなった」
今は世界を敵に回しそうなこの非通知電話の犯人を馬鹿馬鹿しいと思う僕だが、その話題の熱に当てられていた頃はいつ非通知電話が来るかとソワソワしてた。
なんならその正体を探ってやろうかとか密かに企ててたこともある。
まあ結局、その謎の非通知電話どころか、僕にはまだ一回も非通知電話なんてかかってきたことがない……から?
だから……きた時のことを想像して、正体暴くための脳内シミュレーション……とか、しちゃってた時も……あった、けどぉ?
カエデ:お兄ちゃん、今って帰り? 駅のスーパーで買い物してるから荷物持ちしてほしい
過去のちょっと痛々しい奇行に内心赤面してると、手元の携帯画面にポンっとバナー通知が覗くのを視界の端で捉える。
見ると、それは妹の楓からのメッセージだった。
「お兄ちゃん……」
「ちょっ! いつまで人の携帯覗いて……」
「別にええやん。荷物持ちして欲しいって連絡なだけやろ? もしかして、変なやり取りしてんのかぁ? 妹と」
「発想ヤバすぎだろ。なんでいつもそう……。普通に荷物持ち頼まれただけだよ」
というか今の一瞬で全部見られてるし。瓢太は友達だけど……さすがにそんな探り入れてくるのは引くなぁ。
介:分かった。スーパーまで行った方がいい? それともいつものとこ?
カエデ:いつものロータリーのとこ!
介:了解、待っとく。てか、そこのスーパーって高いとこじゃなかったっけ?
カエデ:いいの! 月初めはそうするって決めてるから
月初めって……もう十月入って一週間は経ってるんですけど。
介:さいですか
そういえば今日は楓が夕飯当番だったか。
いつものように買い物して帰るつもりだったから、制鞄にエコバックを入れてきてしまった。
まあ、楓が買いすぎて袋入らなーいとか言ってきたら出番はありそうだけど。
「お兄ちゃんは大変だなー 妹の荷物持たないといけないし」
「もうこれくらい慣れたよ。あとお兄ちゃんって言うのはやめてくれ」
「なんで。別にいいだろ、お兄ちゃん」
「友達にそう呼ばれるのはちょっと……気持ち悪い」
「なんでだよ。俺だって一応、上に兄と姉がいるんだぜ?」
「瓢太が赤井澤家の末っ子だからって、同期の僕をお兄ちゃん呼ばわりする理由にはならない」
そう言い返してみれば、瓢太はちぇーっと子供みたいに不貞腐れてそっぽ向いた。
その視線の先を追いかけると、窓の外で赤く輝く街の地平線を背に、コンビニや薬局、使い古された感のある雑居ビル達がパノラマのように流れていた。
『次は──三国ヶ丘駅前、三国ヶ丘駅前です』
ふと、甲高いバスのアナウンスが耳に入る。
バス前方の電光掲示板に映る橙色の文字を見て、僕はすかさず近くにあった降車ボタンを押した。
こうしてバス通学を続けてもう三年目。
朝から寝覚めの悪い身体を揺らされ、窮屈な座席で肩を竦める毎日には嫌でも慣れてしまった。
下校時はいつもバスの中で一人、携帯を見たり、呆然と窓の外を眺めたりしている。
「てか瓢太、今日って部活あったんだ」
しかし、今日は友達の瓢太と一緒。校門を出ようとしたら偶然にも部活終わりの瓢太と出会して今に至る。
お互いどこか疲労感が垣間見えていて話すことも億劫な雰囲気だったけど、僕は鼻をつく制汗剤の香りが気になってつい話しかけた。
「あったよ。て言っても、今日は顧問の先生いないから筋トレだけだったけど」
「あ、そうなんだ。てっきりもう先月末に部活引退したと思ってた」
「まだ明後日の土曜日に公式戦あるから、そこで負けたら部活は引退だな。てか俺、昨日も部活行ってたけど」
「え? あれ……昨日はサッカー部の人に遊びに行こって誘われてたから、てっきり遊びに行ったのかなって思ってたんだけど」
「違う違う。まあ確かに日曜遊べるか誘われてたけど、その日も普通に練習いってたし。てか介の方こそ、今日は七時間授業とかあったの?」
「ううん。今日はちょっと……進路相談ってだけ」
そう言いながら、思わず僕は頬を歪ませてしまう。けれど瓢太は特に気にしない様子だった。
「そっかぁー 俺もそろそろ大学決めないとなぁ……」
「瓢太は推薦とかで行くの?」
「ううん、普通に一般で受けるつもり。まあスポーツ推薦とかどうせ来ないと思うし」
「大学に行っても、今やってるサッカーは続けるつもり?」
「んー……まあ、ちょっと悩んでる。サッカー強いところ行くか、それともそう言うの抜きにして有名私大とか国公立目指すか……そろそろ決めないとなー」
今のこの時期、高校三年生は否応なく将来の岐路、その決断を刻一刻と迫られる。
瓢太はもちろん、僕の周りでも一様に進路のことで慌ただしい様子だ。
「うん、そうだね。僕もそろそろ、踏ん切り付けなきゃって思う……」
しかし、高校三年生となればもう一つ……成年を迎える時でもある。
満十八歳にして、晴れて成年。成人の日を迎えれば、学生とはいえもう大人の仲間入りとして認識される。
将来のことは高校受験の時から薄々考えていたけど、高校の入学式で校長先生がしていた成人の話を聞いてからより一層大人の自分を意識し始めたように思う。
ネット記事に目を通すようになったのも少なからずその影響だ。
大人はネットニュースを見ているという印象が僕の中になんとなくあったから。
大人になるという意識は少なからず、けれど確かに自分の中で芽生えていて……それはもうすぐ来る、開花の時期に向けて備えていた。
「三国ヶ丘駅前です」
バスが止まって、甲高いブザー音が車内を貫く。続けざまに流れた運転手さんのアナウンスが、容赦なく耳を打った。
「瓢太、着いたよ」
「あ、やべ」
僕は携帯をポケットにしまうと、制鞄から定期券を出して瓢太と一緒に座席を離れる。
「ありがとうございます」
「あざーっす」
カードリーダのピッという電子音を聞いてから、運転手さんに礼を言ってバスを降りる。
足が歩道に付くと、体は自然と駅前のロータリー交差点に向かって進み始めた。
バス停からそこまでは少し歩くのだが、しかし、一分もかからない距離。二車線ある車道を渡ればもうその場所に駅がある。
なんなら今降りたところからその駅の全貌が見えている。
唯一煩わしいのは横断歩道の信号を待たないといけないこと。
でもそれは、今は大した問題じゃない。バスに乗り遅れそうになった今朝はちょっとだけ憎んだりしたけど。
介:今着いた。待ってる
信号を待ってる間に一応楓に連絡してみたが、既読はすぐに付かない。
会計中か、袋に物を詰めてるのか、はたまた買い物に夢中で気付いてないのか。
なんにせよ、楓とは駅前ロータリーにいることしか示し合わせてない。
直接スーパーに向かってもいいけど、それだと行き違いになった時が面倒だ。
僕は横断歩道を渡るとすぐにいつものところ、駅前ロータリーにある電話ボックスと駅周辺の地図が載ってる案内板の間の僅かな隙間のところで立ってることにした。
「あ、ここで待つ感じ?」
「そう。妹がここで待っててって言ってたから」
僕と楓の間では、ここがいつもの場所という認識で通っている。
ここで挟まりながら待つの割といい感じ……と、楓が言ってた。僕は別にそうは思わないけど。
「瓢太はここから電車だもんね」
「そう。しかもこの時間帯の電車は人が多いんだよなぁー……」
あからさまに嫌そう……。気持ちは分かるけど。
「なあ、介の家に泊めてくんね?」
「なんでだよ。もうちょっとがんばりなよ。言っても十五分くらいでしょ?」
手元でちらとスマホの電源をつけてみると、もう午後六時前。
駅前は仕事を終えて帰ってきた大人達が疲労感漂う顔つきでとぼとぼと住宅街の方へ向かっている。
既に帰宅ラッシュは始まっていた。
「時間、大丈夫? 今ちょうど六時になるけど」
「あ、ならそろそろ行くわ」
「うん、じゃあ」
バイバイ。そう言おうとした時だった。
「……ん?」
手を振ろうとしたら握っていた携帯がいきなり震え出し、つい僕は携帯画面を確認する。
見れば、着信画面が表示されていて、それは思いもしない相手からの電話だった。
「……え?」
「ん?」
非通知設定。暗い背景画面に、白文字でくっきりとそう記されている。
「え? 介、それ……え!」
半身が駅の方へ向いていた瓢太だったが、僕の手元を覗き込むと興奮気味に声を上げる。
「ちょっ、瓢太。危ないって」
「非、通知……まさか、おい……いや、これ……そうじゃね?」
「いや、あの……とりあえず瓢太の頭で見えない」
「あ、わりぃ」
瓢太の後頭部が退くと、僕の目に再度映るその画面にはやはり非通知設定と記されている。
瓢太も僕も、突然のことに戸惑いを隠せなかった。
まだ高校でこの話の熱が冷めていなかったら僕は興奮してはしゃいでいたかもしれない。
今までだったらいつでもウェルカムみたいな感じだったけど、いざこうして目の当たりにすると動揺してしまう。
「ちょっ、介! 明日また聞かせて! 俺もう行くわ!」
「え、何を!?」
「その電話! もしあの非通知電話だったら明日学校で訊くから! そろそろ電車来そうだし行くわ! じゃあな!」
「え! いや、ちょっ……えー……」
僕の返事も聞かず、瓢太は一方的に約束を押し付けて駅の方に行ってしまった。
もう声が届かないところまで背中が遠退いて、僕はどうしたものかと手元の携帯に視線を落とす。
再三見返しても、着信画面には『非通知設定』と記されていた。
「……」
まだ鳴り止まない着信。胸中で渦巻く警戒心。だけど掻き立てられる好奇心。
最終的に応答しようと決した要因は、あの一方的な約束だった。
章設定は区切りが長くならないように小見出しをつけてます。
大見出しは「序:仮想世界〈ユートピア〉 立志編」になります。