プロローグ
6歳の時に祖母は、母を忘れた。
10歳の時に母は、父を忘れた。
どうせ忘れられるぐらいなら、恋なんてするだけ無駄だと思っていた。
恋だけじゃない。
私は、友達も必要としなかった。
「あんたさーー、生意気なんだよね」
そんな私の存在は、誰かにとって目障りだった。
「自分は関係ないって思って生活してるんでしょ?」
「マジで!キモッ」
こんなのも、どうせ忘れる日常の一部で。
「よく学校来るよなーー」
「お前、臭いんだよ」
私が10歳の頃に母が認知症になって。
毎日母の介護に父は追われていた。
だから、いつも。
「お父さん、水だよ」
「あーー、またガス代忘れちゃったね。明日払ってくるよ」
「うん」
公共料金の支払いを忘れているわけじゃない。
引き落とされないぐらいカツカツで。
お風呂に入る事が出来ない日が多かった。
もしかしたら、父のこの行為はネグレクト……そんな言葉で片付けられてしまうのかな。
そんな風に不安だった小学校を卒業し。
母は、施設に入所した。
中学に上がると、父は夜遅くまで働いていた。
気づくと私は、自分で自分をネグレクトしていたのだ。
父が夜中まで帰宅しないことを理由にゲームや動画を見て時間を潰す。
お風呂に入らなくていいやって理由をつけて眠り。
翌朝、洗わなくていいシャンプーを使って髪を洗い学校へ行く。
不潔な私は、相変わらず嫌われていた。
だけど、それがおかしいなんて微塵も思わなかった。
いじめられてはいたのだと思う。
教室に入ると椅子がなかったり、教科書を隠されたりもしていたから。
だけど、どうせ忘れちゃうのだから。
そんなことをいちいち覚えてなくていいと思っていた。
さすがに、2日に1回はお風呂に入る努力をしようと決めたのは中学2年の夏だ。
母の施設に父と会いに行った時、4日間お風呂に入っていない私に母が「臭いですよ」と言ったのだ。
その言葉に傷ついたわけではないけれど。
何となく、私がいじめられる理由がそこだと気づいたのだ。
結局、お風呂に入ってもいじめられていたのは変わらなかったんだけど。
何となく自分のせいじゃないと知れただけでよかった気がする。
「理子、母さんが、理子に会いたいって言ってたよ」
嬉しそうに話す父に嫌悪感を持っていた。
だって、母が会いたい私はミルクを飲んでいた時代だ。
だから、私が会いに行ったところで母はこういう。
「あらあら、どこのお嬢さんだったかね?」って。
それを聞くたび悲しくなる。
そして、それをわかっているのに会いに行く父もどうかと思うのだ。
「理子、聞いてる?」
「どうせ、会いに行ったってあの人はわからないじゃない」
「そんな言い方しなくてもいいじゃないか。それにあの人じゃなくて、母さんだよ」
「お母さん?だったら、何で私のこと忘れてるの?」
「それは、病気だから」
「病気だから仕方ないってこと?だったら、別に会わなくたっていいじゃない」
「理子。母さんだって理子を忘れたくなかったんだよ。だけど、こんな事になって」
「だから、何?会いに行けっていうの?」
「理子が会いに来てくれたら、母さんも喜ぶよって話しただけだよ」
「会いに行ったって、あの人は私を忘れてるだけ」
久しぶりに父と食べる晩御飯が、こんなにも美味しくなくなるなんて思わなかった。
どうして、会いに行けるの?
・
・
・
「お母さん」
「あんた誰ね?」
「私はお母さんの娘よ」
「おばさん、景子ちゃん連れてきてくれてありがとうね」
祖母は母ではなく私の手を握りしめた。
帰り道、母は泣いていた。
「理子……。忘れられるって悲しいけどね。ばぁばはね。たくさんたくさん苦労したからね、仕方ないんよ」
「そうなの?」
「そうなの。だから、許してあげようね」
夕日に照らされた母の涙はキラキラと輝いていた。
「理子。僕、忘れないから」
「忘れるよ」
「忘れないよ!理子と過ごした日々。ずっとずっと忘れないよ」
「嘘!人間なんてすぐに忘れちゃうんだから」
「忘れてなかったらどうする?」
「どうもしない」
「じゃあ、忘れてなかったら。僕とデートしてよ」
ーーハッ?
夢か。
母の夢を見たんだ。
それと、初恋を諦めた日。
近所に住む青空は、私と同じ歳で保育所も同じだった。
息をするのと同じぐらい当たり前に私は青空に恋をした。
それを恋だと教えてくれたのは、茜ちゃんだ。
茜ちゃんは、私の初めての友達で。
青空も茜ちゃんも引っ越しちゃった。
茜ちゃんは、両親の離婚で。
青空は、何かわからなかった。
たぶん、青空自身もわからなかったんだと思う。
どうでもいい夢を見ちゃった。
もしかしてお祖母ちゃんが母を許せと言っているのだろうか?
母が認知症になったのは、祖母を亡くしたことがきっかけだったのだろう。
そんな事をお医者さんが話していた。
もともと、物忘れが多い母だったけれど。
まさか、母が認知症になるとは思ってもみなかった。
なるなら、もっと歳をとってからだと思っていたから。
お祖母ちゃんぐらいの歳になってからだと……。
41歳で私を産んだ母は、51歳で若年性認知症と診断された。
お医者さんが言うには、遺伝的な要因もあるのではないかと言っていた。
それなら、私もいずれはそうなる。
だったら、何もかもいらないって思った。
初恋を諦めた私は、次に友達を諦めた。
それで、今は父と関わることも諦めかけている。
ーーコンコン
「はい」
「ちょっといいかな?」
「はい」
「理子の先生から聞いてたんだけどね」
父は部屋のドアを開けて、私に話しかける。
部屋に入ってこないのは、母に叫ばれたあの日のせいでだろうか?
「何?」
「理子、高校行かないのか?」
「行ったって忘れちゃうじゃん」
「楽しいかも知れないだろ。父さんは、高校の時にバンドを組んだんだぞ!」
「それが?」
「友達とかと騒いで、母さんに怒られたりしてなーー。今でいう青春ってやつだったなーー。あっ、アオハルっていうのか、今は。それで、母さんとも出会って」
「全部忘れられちゃったじゃん」
「それは、今の話でだな」
「もういい、出てって」
「理子」
どうせ、忘れられちゃうのに。
どうして、必死に生きなきゃならないの?
どうして、青春何かしなきゃならないの?
どうして、高校に行かなきゃならないの?
何もかも投げやりで、どうでもよくて。
何も楽しくなかった中学生の私。
だけど、高校を行くのを決めたのは少しだけ父のためだったのかも知れない。
その選択が未来を変えるなんて、この時の私は何も知らなかった。