SPRINT 21:笑う月を背に勝利の拳を掲げる
シノハは、はるか上空の飛行船を眺める――
涙でぼやけた視界の中にゴンドラの出入口に白い人影が映るのに気付いた。
炎の光を映す金色の髪が風にきらめく。
そして、上着を取ると、学生服の少女が現れた。
シノハは目を見開いた。
「ミーシャ!?」驚いて一人つぶやく。
「あなたそこから飛び降りるつもり?」
ラミーシャもシノハと同様、魔法学園に入学してからずっと、常時発動型の水属性魔法によって、体組織の強化を行っている。
筋肉の最大出力を元の数倍に、その力に耐えるため骨格と関節を強化、さらに軟骨の衝撃吸収能力も高めている。
そのため学園の生徒なら、普通は不可能な高さからでも無傷で飛び降りることができる。
それでも限界はある。
今、ラミーシャが立っているのは、その高さを明らかに超えている。
ただではすまない。
『それじゃ、自殺と変わらないじゃない!』
かといって、飛行船に乗ったままで無事でいられるはずもない。
シノハはいつ走り出したかの自覚もないまま、飛行船の方へと駆け始めた。
滲む視界の向こうにラミーシャを捉えた目からは、涙が止まらない。
自分のルームメートであり親友でライバルでもある彼女の最期の瞬間まで収めなければならない――そんな気持ちからなのか、シノハにはよくわからなかった。
しかし、目を離すことができない。
そして彼女が、一歩、ゴンドラの外へに踏み出すのを見た。
「ミーシャあ――!!」シノハの絶叫が響いた。
◇
ラミーシャが虚空へと一歩踏み出してから、自由落下が始まる。
ジェットコースターで降りるときのような、胃が持ち上げられるような感覚がある。
セーラー服に空気が入り、膨らむ。
ブルーのリボンが風に煽られてはためく。
スカートは軽く手を当てると、両足に巻き付くような形で張り付いた。
誰かが下で何かを叫んでいる。
着地まで、約2秒。
地表に足が触れたかと思った瞬間、暴力的な力が地面から突き上げてくる。
『垂直抗力!!、いや、これじゃあ垂直暴力!!』
一日に何度もこの小難しい単語を思い出すとは思わなかった。
凄まじい力の一撃を、腰を落とし、膝を曲げた姿勢で耐える。
強化された筋肉の収縮と骨格が衝撃を吸収する。
それでも残る巨大な力で、地に着いた足のかかとに、尻が押しつけられる。
同時に、足の骨にしびれるような感覚の衝撃と痛みが走る。
衝撃を耐えきった一拍の間を置いた後、ゆっくりと膝を伸ばす。
まるで、体操選手の鉄棒の着地のように、バランスをとるために少し足を開くと、何事もなかったかのように立ち上がった。
『うそだろ。同じ人間とは思えない。いや、同じ人間じゃないのか?』
マリトは驚く。
遠くから駆け寄ってくる深紅の髪の学生服の少女を見つけると、まるで、駅で待ち合わせしている友達に応えるように、にっこり笑って明るく言った。
「シノハ、お迎え、ありがとう」
手を振ろうとして、大きく手を上げようとした。
しかし、それは途中で止まり、拳を握りしめた。
腰に激痛が走ったのだ。
「ああー、痛い、痛い、痛い、ものすごく痛い、痛いーーー」声なき声でマリトはうめいた。
「お父さん、大変です」
さすがに動揺しているのが伝わってくる。
「腰、やっちゃいました」
激痛に頭が支配されているのに、そののんきな調子な話し方に、違和感があるのだが、そんなことは、もうどうでもいい。
『痛い、痛い、痛い』
「まだ、本調子じゃなかったみたいです。油断しました」
ラミーシャは普通に話を続ける。
「おとうさんがパンツ見えるというので、ついそっちに気を取られちゃいました」
『いや、断じてそんなことは言っていない』
だが、痛すぎてツッコめない。
「冗談ですよ」そう付け加えた。
こんなぎりぎりの状況で、どうしてそんなことが言えるのか、マリトには理解できない。
ようやく「君は……痛く……ないのか?」ようやく、心の中で問いかけることができた。
「はい、ものすごく痛いです」
かすかに顔をしかめつつ、やはり当たり前のような調子で話す。
「お父さん、やっぱりだめです。痛くて動けません」
「痛みを我慢して動かそうとしてるんですが、足も手もお断りって言ってるみたいな感じです」
感覚は共有しているので、激痛を感じているのは同じはずだ。
本人はちょっと痛いくらいに話しているがとんでもない。
『わかった……腰に……響くから……しゃべらなくて……いい』
耐えられないほどの激痛が襲う。
さすがにノーダメージじゃなかったということのようだ。
脊髄の神経を傷つけたのだろうか。
正直生きていること自体が奇跡だが、この激痛は耐えがたい。
時間を追うごとに酷くなっている気すらする。
『この先、身体は元に戻るのか?』マリトは不安に襲われる。
ラミーシャの方は、頭を空白にし、痛みを意識しない努力をはじめているようだ。
腕を上げたままの姿勢で、厳しい表情のまま、駆け寄ってくるシノハを、意識の外でぼんやりと見つめた。
◇
シノハは、ラミーシャが小高い場所に降り立つのを見た。
日が暮れているが空はまだ明るい。
風が金色の髪とセーラー服をはためかせる。
周辺でまばらに燃えている炎が彼女の相貌を照らす。
雲が切れて、背後に、ハロウィンのジャック・オー・ランタンのように、笑う満月が現れた。
背景には、炎上する飛行船が風に流されていく。
凜々しい表情で仁王立ちして、勝利の拳を突き上げている親友の姿を見て、ほっと安堵すると同時におかしさがこみ上げてきた。
全速力で駆けるシノハの深紅の髪色が少しずつ黒髪に戻っていく。
「ミーシャ、ミーシャ、ミーシャ……」
「もう、あなたは、心配ばかりかけて……」
おかしいのに涙は止まらない。泣き笑いのまま、さらにスピードを上げて友へと駆け寄った。
◇
恐ろしい速度で、駆け寄ってくるシノハ。
「よけなきゃだめだ、よけなきゃだめだ、よけなきゃだめだ、よけなきゃだめだ」
マリトは念じる。
今度は届いたようだ。答えがあった。
「はい。でも、無理です。動けません。大きな声も出ません」
『そうだ、念話で近寄らないでと伝えれば……』そう思いつくがもう遅い。
シノハが急速に距離を縮めてくる。
最後の一歩を踏み込むと同時に、両腕できつく抱きしめてきた。
想像を絶する激痛。悲鳴を上げるラミーシャ。
そして、マリトはブラックアウトした――
これが、これから長く続くマリトとラミーシャのバディによる異世界サバイバルの第一日。
異世界ではじめて意識が戻り、また無意識に沈むまでの一日。
垂直抗力への感謝に始まり、悪態で終わった、長い一日の出来事であった。
#STATUS: SPRINT COMPLETED. PROJECT IN PROGRESS.
異世界での最初の一日がようやく終わりました。主人公のマリトは目蓋を開けただけで、あとはツッコミ入れていただけ。ヒロインのラミーシャに至っては、後半ほとんど寝ていただけ、という、なかなかかっこよく終われない、ポンコツバディのデビュー戦になりました。
これから経験を積んで、しっかりさせていきますので、みなさま引き続き温かく見守ってください。できたての異世界バディに「いいね」をお願いします。




