1.調査員上川氏
10月上旬のある日の午後、僕ことS大学1年生瀬川有希斗とS大学2年生南山田正成先輩は共通の友人であるS大学2年生の蛸島辰明さんが住む15階建てマンションを訪れていた。
蛸島さんの住む810号室のある8階まで上がるため、コンビニやコインランドリーが並ぶ1階のロビーを抜けてエレベーターへ向かっていると、数人の子どもたちがはしゃぎながら僕らを追い越して一気に階段を駆け上がっていった。
子どもたちの足音と嬌声がよく響く。
「健康のために僕らも階段使った方が良いですかね?」
「あー、しかしもうエレベーターのボタン押してしまったしの。次回からにせんか?」
「そうしますか」
やがて来たエレベーターに乗り込む。
8階に着いて扉が開くと、スーツ姿で眼鏡を掛けた派手なメイクの若い女性が803号室のドアの前でしゃがんで郵便受けに手を入れていた。
女性は一瞬驚いた表情をこちらに向けたが、すぐに笑顔になって郵便受けから手を出しながら立ち上がった。
そうすると女性は僕よりかなり長身なのがみてとれて少し驚く。
170センチ台の後半くらい、180センチ近くあるだろうか?
靴はヒールの高いものではないので正味でその長身なのだ。
女性がこちらに軽く会釈をしたタイミングで山田先輩が言葉を掛ける。
「そこはワシの同級生の部屋なんじゃが彼に何か用かの?」
どうやらそこも南山田先輩の同級生の部屋だったようだ。
まあ、このマンションは結構ウチの学生が入ってるからそういうことも普通にあり得るのだが。
女性はバッグから取り出したハンカチで額の汗を押さえながら答えた。
「あ、はい、私、この地区の住宅・土地統計調査員の者なんですが。この部屋の藤野さんのお宅も調査対象になってまして。今日は調査表回収に来たんですけど藤野さんお留守だったものですから再度お伺いする旨のお手紙を入れていたんです」
そう言いながら女性はネームプレートを見せてくれた。ネームプレートには『統計調査員証』とあり、氏名:上川美羽と印字されていた。
上川氏はバッグのほかに紙袋を提げていた。あの中に調査票が入っているのだろう。
確か5年に1度の国勢調査みたいなやつだ。
僕の大叔父が調査員をやっていたので調査方法や苦労話など聞いたことを思い出していると南山田先輩が会話を繋いでくれた。
「あー、そう言えばウチの実家にも来とったの。いや、お仕事とは知らずに不躾な質問、申し訳ないのじゃ」
「いえいえ、お気になさらないでください。警戒されるのも当然だと思ってますよ。それでは失礼します」
上川氏は一礼するとその長身に似合う優雅とも言える足取りで僕らとすれ違い、エレベーターに乗っていった。
その後、僕らは蛸島さんの部屋である810号室のドアの前までいき、チャイムを鳴らす。
蛸島さんがドアを開けるまでの間、見るとはなしに南山田先輩と廊下の窓から外を見ていると、先程の上川氏と思しき女性がマンション前の駐車場にとめてあった白い軽自動車に乗って去っていくのが見えた。
「ああいう調査って1回で対象者に接触できないことも多くて何度も対象住宅を訪問することもあるって調査員やってた大叔父から聞いたことありますよ」
「ご苦労様なことじゃのう」
やがてドアが開いて蛸島さんが顔を出す。
「いやー、よう来た。待っとったで」
「邪魔するのじゃ」
「おじゃましまーああっ!?」
ドアを閉めて入ろうとしたところで僕が手に提げてたリュックのベルトが郵便受けのつまみに引っ掛かって郵便受けが開いてしまった。
この郵便受けはドアの内側にランドセルのような形状をした金属の箱がついており、その箱の真ん中あたりのつまみを引くと箱の前面下部がパカリと下に口を開ける仕組みになっている。
それはいいのだが、その口を開閉する蝶番が箱の下部に付いており、ストッパーも無いのでつまみをちゃんと持ってないと口が下まで開いて中身の郵便物が玄関にぶちまけられることになる。
「ご、ごめんなさーい!」
「あー、かまへんて、俺も時々引っかけるから気いせんでええ。どーせたいしたもん来とらんやろ」
蛸島さんは玄関にぶちまけられたチラシや郵便物を拾い上げてそこらの棚に乗せる。
「ほな入って入って。ゲームやろうや」
と、その日は夜まで3人でゲームを楽しんだ。
……後から思えば最後に彼女を見た時点でおかしな点に気付くべきだったのだけど。