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存在を否定される

 ランチタイムが終了し、慈善病院に戻ってきた。


(今日はこのまま屋敷に戻ろう)


 今朝、剣の稽古でケガをしたパトリスの様子が気になる。


 彼の傷は癒えたけれど、いくら軍人でもあれだけ出血したらショックだったはず。心のケアが必要かもしれない。


 というのは建前、ね。


 あのとき、彼が言おうとした「これなら閣下の……」が気になっている。その続きを知りたい。


 というわけで、慈善病院のみんなに別れを告げて屋敷に戻った。



 慈善病院までは、ときどきだけど徒歩で通っている。


 運動不足がちだから、ときどきでも歩いて自己満足しているわけ


 歩いて屋敷に戻ると、エントランスでフェリクスとモルガンが話をしているのに気がついた。


(なにも立ち話をしなくても……)


 そんないらないお世話的なことを考えつつ、笑顔で挨拶をした。


「アイ様、おかえりなさいませ」


 モルガンはそう言ってくれたけれど、フェリクスは当然無視した。


 帳面に目を落としたまま、それをこちらに向けることすらしない。


「失礼します」


 そのような無視にショックを受ける必要はない。頭を軽く下げ、二人の前を通り過ぎようとした。


「ずいぶんと無駄遣いをしているのだな」


 通りすぎざま、フェリクスがモルガンに言う不機嫌そうな声がきこえてきた。反射的に歩く速度を落としてしまう。


「はあ……。いえ、旦那様……」

「食費もずいぶんと多くないか? 使用人全員がここに住んでいるからといっても、ありあまるほどの食費のようだが?」

「いえ、そのことですが……」


 度重なるフェリクスの指摘に、モルガンは困っている。


(ああ、なるほど。わたしにきかせる為にわざわざここで立ち話を? ということは、わたしが帰ってくるまでスタンバイしていたってこと?)


 驚きを禁じ得ない。


 わたしの無駄遣い、というよりかは散財を咎めるためとはいえ、わたしに興味を持っていることになる。


 それはともかく、モルガンに悪いことをしてしまった。


 モルガンにもマルスランにも慈善病院に関わる費用のいっさいを、わたしが散財したことにしてもらっている。衣服、貴金属、めずらしかったり貴重な物、豪華な食材等など。


 世の中には贅を尽くす方法はいくらでもある。


 だから、記録もそのようにしてもらっている。


 フェリクスがチェックしている帳面は、まさしくわたしの散財の証なのである。


「フェリクス様、わたしです。すでにおわかりでしょうけれど。わたしが散財しています。最初の手紙であなたが告げたことに甘えさせてもらっているのです」


「それがなにか?」、あるいは「なにか文句ある?」的に告げた。


 不敵な笑みを添えて。訂正。挑戦的な笑みを添えて。


「ア、アイ様……」

「モルガン、下がっていただけるかしら?」


 モルガンがなにか言いかけたけど、それをアイコンタクトで制した。


 出来るだけ散財する嫌な妻に見えるよう、わざと傲慢な感じでお願いする。


「モルガン、下がっていい」


 フェリクスが命じると、モルガンは渋々去って行った。


 わたしの方を何度も気づかわし気に見ながら。


「お説教ならききますわ。ですが、謝るつもりはありませんので」


 ついでだから、嫌なレディを演じ続ける。


 その方がそれっぽいし、フェリクスもやりやすいでしょうから。


 が、彼は翡翠色の瞳でわたしを見おろしただけだった。ほんとうにそれだけだった。


 その瞳の色に見惚れていると、不意にそれをそらされてしまった。


 そして、背を向けると廊下の奥へと去って行った。


(ちょちょちょちょっと、どこまでわたしを無視するの?)


 ここまでされたらいっそ清々しい。


 って、清々しい気持ちになっている場合ではない。


 フェリクスのおおきなおおきな背は、わたしという存在じたいを否定している気がした。


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