アクシデント
静かになった室内。
窓に近づいた。
二階にあるこの部屋は、もともとは客室だった。その部屋を使わせてもらっている。
窓からの景色がとても素晴らしい。
フェリクスは、隣の部屋にいる。
この屋敷で一番大きな寝室で、いまはもう眠っているはず。
窓からガラス扉へ行くと、それを開けてテラスに出てみた。手すりに両手をつき、空を見上げる。
孤高の月が、今夜も煌々と大地を照らしている。
知れず溜息をついていた。
「ダメダメ。わたしはわたし。彼は彼。どうせ交わることのない人生。衝突だけはしないようにうまくやらなきゃ」
小さくつぶやいた。
つぶやきながら、翡翠色の瞳を思い出していた。
翌朝、人の声で目が覚めた。小鳥たちの朝のお喋りに混じり、階下の庭から流れてくる。
いつもより少し早い時間帯。今朝も慈善病院に行くので、もう起きることにした。
夜着の上にカーディガンをはおり、部屋中のカーテンを開けてからガラス扉を開けてテラスへ出た。
早朝の鋭い空気に包まれ、おもわずわが身を抱きしめた。
手すりに両手をつき、階下の庭を見おろす。
人の声は、フェリクスと彼が連れていた二名の兵士たちだった。
三人とも軍服ではなく、シャツにズボン姿。手に剣を握り、交代で打ち合っている。
見るともなしに見つめていると、どうもフェリクスの動きがおかしいような気がする。もちろん、わたしは剣は使えない。使えないどころか、握ったこともない。刃物といえば、料理用のナイフや包丁、大工仕事で使うノコギリくらい。だから、剣の動きなんてわかるわけがない。
それでも、フェリクスの動きがなぜかおかしいと思った。おかしい、というよりかは不自然だといったほうがいいかもしれない。
体のどこかをかばっている?
そんな不自然さを感じる。
しかも、イライラしているようにも見える。
まるで思うように動けず、焦っているかのように。
「痛っ」
それでも、フェリクスは相当な剣の遣い手らしい。
兵士のひとりの剣を弾き飛ばした。
が、フェリクスは目測を誤ったらしい。剣を弾き飛ばすだけが、兵士の腕を傷つけてしまった。
「大丈夫か?」
フェリクスの心配げな声を耳にしたときには、すでに駆けだし自室を飛び出していた。
夜着のままであることを忘れて。
そして、階段も飛ぶようにして下り、あっという間に庭に出ていた。
「動くな。じっとしていろ」
「閣下、大丈夫ですから」
フェリクスが止血を行っている。
ケガを負った兵士も彼も地に両膝をつき、フェリクスが止血をしようと試みている。
その二人の側で、もうひとりの兵士がオロオロと立ちすくんでいる。
「診せて下さい」
三人に近づきながら言った。
ハッと頭を上げ、こちらに振り返ったフェリクスのシャツ、それからケガを負っている兵士のシャツも血が付着している。
「大丈夫だ。こちらに来るな」
「いいえ、大丈夫ではありません」
フェリクスに拒否されることは想定済み。というか、ぜったいに拒否されると思っている。だから、すでにそれに対する台詞は考えていた。
「かわってください」
フェリクスにきっぱりスッキリはっきり言った。
「はやくどいて下さい」
さらに言った。
わたしのその勢いに気圧され、フェリクスがサッと場所を開けてくれた。
開けてくれた場所に両膝をつき、兵士の腕の傷を診る。
(大丈夫。動脈まではいっていないみたい。これなら、わたしの力で充分)
ホッとした。
血がとめどなく流れ落ちていく。腕から地へポタポタと落ちて行き、そこに血だまりが出来つつある。
「まだ自己紹介をしていませんでしたね。わたしは、アイです」
腕の傷から気を逸らす為、兵士に声をかけた。まだあどけなさの残っている兵士の顔は、血の気がひいてしまっている。
「パトリス・モーリアック少佐です、奥様。ちなみに、そこで突っ立って怯えているのはピエール・ミノー少佐です」
しっかりした声で答えてくれたので、心から安心した。
「お、怯えてなんかいないぞ」
臆病者扱いされたピエールが言い返す。
「アイ、と呼んで下さい。みなさんにもそうしてもらっています」
「失礼いたしました。では、パトリスと。こんな顔ですが、あなたよりも年上です」
「えっ、そうなんですか?」
いまのパトリスの言い方だと、彼はまるでわたしの年齢を知っているかのようだったけど……。
推測や思い違いなどではなく。
童顔でだれからもそう思われるでしょうから、だれにたいしてもそのように言っているのかもしれない。
そこは、気にとめないでおく。
「パトリス、気をラクにして下さいね。すぐによくなります」
そうひと言添えてから彼の傷を負った手を握り、力を解放した。




