CAR LOVE LETTER 「Over the Rainbow」
車と人が織り成すストーリー。車は工業製品だけれども、ただの機械ではない。
貴方も、そんな感覚を持ったことはありませんか?
そんな感覚を「CAR LOVE LETTER」と呼び、短編で綴りたいと思います。
<Theme:TOYOTA CELICA(TA22)>
目を開けると、そこは真っ白だった。あまりに白すぎて、何も見えていない様な感じ。
一体ここは何処なのかしら?
目を凝らしていると、ずぅっと向こうの方に黒い小さな点がある様に思えた。
私はそこに向かって歩こうとするが、足がもつれて上手く歩けない。
嫌ぁね、もう。
また足がもつれて、私は転んでしまう。立ち上がろうとしていると、私の目の前に大きくてゴツゴツとした男の人の手がにょきりと現れた。
顔を上げると、そこには父が立っていた。
「立てるか。」と短くも暖かく私に問い、私を助け起こしてくれた。
お父さん、どうしてここに?と聞こうとした矢先、私は実家の居間にいた。
あらぁ、懐かしい。
このふすまのここの穴、弟とふざけて走り回っていたら転んじゃって、頭から突っ込んじゃったのよね。
棚の上には、家族で旅行に行った時に買った鳴子こけしが、あら?おかしいわね、ここにあるはずなのに。
「お父さん、棚の上の、鳴子こけし、どうしたかしらね?ほら、お父さんが本当に気に入っていたやつよ。」
私は居間のちゃぶだいでお茶をすするお父さんに声をかける。
「え?あれか?あれはだって、お前がほら・・・。」
父はよくわからない返事を返す。
まぁいいわ。別にこけしが有ろうと無かろうと。
私は父の隣に座る。そうよね、いつも食事の後は、この大きな湯飲みで煙草をくゆらせながら野球を見ていたわね。
今日はどっちが勝ってるのかしら?あ、大洋みたいね。
「今日は巨人は駄目だな。ちょっと、外に出るか。」
父はそう言って、棚の上の鍵置き場に手を伸ばした。
あ、ドライブだわ。
私は父とのドライブが好きだった。特に母も弟もついて来ない、二人っきりのドライブが大好きだった。
いつも忙しくしている父を独り占め出来る優越感と、帰り際にいつもの商店で買って貰えるラムネが楽しみで、時には「ねぇ、今日はドライブしないの?」とせがんだ時もあったわ。
庭に出ると、緑のビニールで出来た車庫がある。
父は車庫と呼んでたけれど、実際には車庫なんてかっこいいモノじゃない。鉄骨にビニールを張った、車用のテントだわね。
そのテント車庫の中には、そう、セリカが停まって居るのよね。
私が小学生位の時に、この車を買ったのよね。
母はコロナとかのセダンがいいわと言っていたけど、父はどうしてもこのセリカがよかったみたいね。
2ドアで家族では使いづらかったけれど、父と二人っきりのドライブの時には、いつもは母が座るこの助手席に座る事が出来る。
いつもは後席から眺める風景も、助手席からは違って見えて、それが新鮮で大好きだった。
「これは変速だよ。発進の時には1に入れるんだ。」
そうね。車の運転操作をいろいろと説明してくれながら、学校での出来事を話したりしながら、二人っきりのドライブを楽しんだわね。
父はセリカを走らせる。
懐かしい街並みね。私が子供の頃の風景だわ。
学校から真っ直ぐ南に向かって、最初の角を左に曲がるとお蕎麦屋さんがあって、そこをしばらく行くと、友達の溜り場だった駄菓子屋さんがある。
駄菓子屋さんは今はもうマンションになっちゃったし、お蕎麦屋さんもパチンコ屋さんになっちゃっているわ。
そう、ここは昔のまま。
あの怖いおじさんの住んでる家もそのままだし、塀の上で日向ぼっこしてる三毛猫もそのまま。
そうか、これ、夢なのね。
でも、遠くに聞こえる豆腐屋さんのラッパの音や、父のふかす煙草の匂い、そして助手席で感じるこのセリカの振動は、夢と片付けてしまうにはあまりにもリアルで、夢だと気付いた瞬間に途絶えてしまうのではないかと感じて、私は気付いていないふりを突き通す事にした。
父は更にセリカを走らせる。するとフロントウィンドゥに雨粒がぶつかってきた。
あぁ、そうだったわね。
なぜか父と二人っきりのドライブの時って、雨が多かったのよね。
夕立の様な通り雨で、ざぁっと降って直ぐに止むのだけれど、怖がりだった私は、セリカの屋根を叩く雨粒の音が怖くて父の左手を掴んで、「これじゃ運転できないよ。」と言われたっけね。
ふと変速操作する父の左手を見る。
ゴツゴツと節くれ立って、太い血管が浮いているけれど、暖かくて大きくて、私は父の手が本当に好きだった。
だからかしら、私は男の人と知り合うと、最初に顔ではなく、手を見てしまうのよね。
その理想的な手をしていたのが、今の旦那さんなのよ。
もちろん、手だけで結婚を決めた訳じゃないけれど。
父は商店の前でセリカを停めた。そしてセリカから降りるや、私に百円を渡し、「好きなのを選べ。」と煙草をふかして微笑んだ。
私はいつもの様に冷蔵庫に駆け寄り、ラムネを一本取り出した。
それをお店のおばちゃんに渡すと、器用な手つきでラムネのビー玉栓を抜いてくれた。
このおばちゃんにも、学校帰りにいろいろ話を聞いてもらったな。
おばちゃんはいつもの様に、「はい、三十万円のお返しね。」とにこやかに三十円を私に差し出してきた。
父にお釣りを渡そうとすると、「ブタさんに貯金しておけ。」と言ってきた。
そうだったわね。
いつもお釣りはブタさんの貯金箱に貯めていたんだったわ。私だけでなく、弟もそうしていた。
そうして私と弟で貯めたお金で、父の日にネクタイを買ってあげたっけ。
お父さん、覚えてる?
父は「子供がこんな気を回すもんじゃない。」なんていいながら、目を潤ませていたっけ。
そのネクタイを毎日会社にしていく姿を見て、それから父の日にはネクタイをプレゼントするようになったんだったわ。
セリカが高台の公園の駐車場に着くと、雨が止んで陽が差してきた。
雨上がりの湿った空気の清涼感と、陽に照らされる雨粒の輝きが何とも清々しく感じた。
この公園も、やはり昔のままだった。
植えたばかりの桜の木の横を通り、確か壊れてしまった滑り台を眺めつつ、私と父は街が見渡せる展望台に向かった。
濡れた手すりを気にしながら街を眺めると、そこには色鮮やかな虹が掛かっていた。
こんなに綺麗な虹を見るのは、子供の頃以来だと思う。
「あの虹の橋の向こうには、一体何があるのかしらね?」
私は虹を見たときにいつも父にしていた質問を、久しぶりに投げかけてみた。
その質問に、「夢の国が、あるのかも知れないな。」と、父はいつもの様に答えてくれた。
「行ってみるか。そこに。」
私の質問に答えた後、父は突然そう言って来た。そして虹の架け橋を、ゆっくりと登り始めたのだ。
私も行ってみたい。
私は父を追いかけようとするが、足がもつれて上手く歩けない。嫌ぁね、もう。
父は虹の架け橋の上で、私に笑顔を送っている。待ってて、すぐそこに行くわ。
もつれた足を何とか前に進めようとすると、突然男性の声が聞こえてきた。
「ショックが必要です。患者から、離れてください。」
機械の様に落ちついた感じで、力強い語気の初めて聞くその声は、私の頭に強く響いてきた。
一体誰の声かしら?周りを見回しても、男性の姿は見えない。
虹の架け橋に向かおうと、私は父を振り返った。
すると、さっきとはうって変わってとても険しい表情をした父が、そこには居た。
・・・どうしたの?お父さん。私はもつれる足を引きずりながら、父に歩み寄ろうとする。
「お前は、まだこっちに来てはいかんな。もう帰りなさい。」
歩み寄ろうとする私を、ゴツゴツとした手で制止して、父はそう言った。
どうして?私も夢の国に、行ってみたいわ。
「じゃあな。」と、にこやかに父は言った。
その瞬間、ドン!と背中を押されるような感覚を覚え、また私の目の前は真っ白になった。
「目が開いたぞ!!」
私の顔を覗き込んで、知らない人がそう叫んでいる。
すると救急車のサイレンが聞こえてきて、誰かが「こっちこっち!!」とまた叫んでいる。
ふと視線を横に向けると、私の車に小型トラックが突き刺さってぐちゃぐちゃになっていた。
あぁ、そうだわ。私、側突されたんだわ。
信号が青になって、発進した瞬間、右側からあのトラックが信号無視して交差点に突っ込んできたんだったわ。だんだん、思い出してきた。
あぁ!息子が助手席に乗っていたはず。息子は?息子はどうなったの?!
息子は私の手を握って、母さん!母さん!と叫んでいた。
額を切った様子だが、もう血は止まっているようだ。あんたは、大丈夫なの?大丈夫なのね?
私の体にはAEDと呼ばれる機械が付けられていた。
さっきの男性の声は、このAEDが発する音声ガイダンスだったようだ。
背中をドンと押されるような感覚は、このAEDによる電気ショックだったのだろうか。
救急隊は私と息子を救急車に乗せて、事故現場を後にした。
そうだ。私の父は、実は交通事故で命を落としたのだった。
私の事故と全く同じシチュエーション。交差点に進入したときに、信号無視のトラックに父のセリカは側突されて、父は命を落としたのだった。
昔の車は、今の私の車のように衝突安全ボディでもなければ、エアバッグも付いていない。
更にあの頃はAEDの様な救急救命を助けてくれるような道具も無かった時代。
もしも現代であれば、父は私と同じ様に、一命を取りとめたかもしれない。
検査の結果、息子は額を切っただけ。明日には学校に行けるようだ。
私は事故直後、心肺停止に陥った様だが、息子の人工呼吸と沿道のお店の方が持ってきてくれたAEDのおかげで、むちうちとあばらの骨折程度で済んだ。
「母さんにキスしたの、小学生の時以来だー。」と、渋い顔をしていたわ。可愛い子。
しばらくして、私と息子の病室に、旦那と娘が青い顔をして飛び込んできた。
大丈夫だったか?!と、私の手を握る旦那のその手は、私が理想に思う暖かい手だった。
涙で化粧がぐしゃぐしゃになった娘は、どことなく私の父の面影を受け継いでいる。
小さい頃、あなたはお爺ちゃん似なのよ、と言った事があったわ。
あぁ、私、生きているのね。
あんなに酷い事故だったけれども、また旦那とこの子達の顔が見れて、本当に良かった。
病室の窓から外を見ると、うっすらと虹が掛かっていた。
私が旦那の手を握り返すと、その虹はだんだんと見えなくなっていった。
お父さん、ごめんなさい。私、もう少しここに居るわ。
いつかまた、何十年か経った後に、セリカで夢の国へ案内して。
その時には、お父さんの形見に私が貰った、あの鳴子こけしを持っていくからね。
私はまた、旦那の手を強く握り返した。
私の耳の奥の方で、父の「じゃあな。」という優しい声が、聞こえたような気がした。




