その二
二
男は自白をしていた。野球賭博の内容について、
今回の賭博の内容は、むろん、勝敗も重要なのだが少し毛色が違っていた。
今回の賭博対象は王者対HOWの試合だ。王者こと帝都チャンピオンズが、HOWこと横浜HOWライトラインズを本拠地である帝都ドームに迎えての二連戦。
自白とメモの内容と照らし合わすと、賭けの最高条件は百倍。一万円を掛けたら百万円になって戻ってくるというSコースがこの目玉であった。
Sコースというのは、今夜、明日、どちらかの試合で、負けていた帝都が最終回の裏に、逆転サヨナラゲーム、つまり、逆転勝ちを収めるという課題だ。だが、これが百倍というからには何か大きな理由があるはずである。
実際、このSコースというのは、常連というか、ある場数を超えた参加者しか挑戦することができない賭けコースであった。
当然、リスクもあった。もしSコースを挑戦して、それが失敗した場合、ペナルティとして掛け金の十倍を支払わなければならないのだ。
以上のような理由で、よほどの賭博狂でない限りSコースを選ぶことはない、
そして、そのゲーム進行をさせるために、本日、出場をする王者のメンバーの中に仕込み屋がいるということであった。
男たちの自白を聞いたあと競羅は声を上げた。
「あーあ、面倒くさいことを聞いちまったよ。王者対HOWか、確かに、この両チームは、毎年優勝を争っているからね」
「HOWというのは確か、邦和の?」
「そうだよ。旧邦和財閥で解体された邦和通信がもとだよ。世界何とかという電話会社を吸収合併して、今は携帯電話業界ナンバー2だよ。とにかく、あそこは二年連続優勝をしているかな、今年は球団初の三連覇をかけて、今、三位の座につけているよ」
「でも、三位なんだ」
「といっても、まだ、シーズンが始まってから半分を過ぎただけだからね。HOWというチームは、毎年九月を過ぎてからの追い込みがすごいのだよ。去年もおととしも九月で王者との地位をひっくり返したからね。とにかく、この二チームは選手層が厚いからね、このところ、毎年優勝争いをしているよ」
「何か面白そうね」
「だから、賭け屋がうごくのだろ」
「仕込み屋がいると言ってたよね」
「ああ、今回の黒幕は、このSコースだったかな、それを成功させたいのだろ。だから、選手の中に、その進行役を任せるという」
「そんなこと、うまくいくの。最終回に決まるようにするのでしょ」
「難しいと思うのだけど、そうしないと黒幕はもうからないからね。何にしても、こういうことは数弥の方が詳しいから、あいつに聞くよ」
「そうね、数弥さんね」
天美のほおがゆるんだ。数弥というのは、野々中数弥と言って、二人と親しい真知新聞の記者である。たいていの事件は、この数弥の協力で解決していた。
「ああ、今から連絡をするからね」
競羅はそう言うと、携帯電話を取りだし、その通話ボタンを押した。
約三十分後、数弥は現場の公園に姿を見せた。サングラスの男たちは、もうとっくに消えたあとである。
「意外に早かったね」
「ええ、このところ大きな事件はありませんし。それで、呼び出した理由は、野球賭博のことでしたね」
「そうだよ。ついさっきだけど、ここで変な奴らに、からまれてね」
競羅はそう言うと、男の自白について説明をした。
「うーん、そうすか、王者が逆転サヨナラ勝ちをしたときのレートは百倍すか」
話を聞いた数弥は、なんとも言えない顔をすると、そう確認をした。
「そうだよ、大盤振る舞いだね」
「いや、それはかなり、きつい話すよ」
「まあ、確かに八回までに王者が勝っていたら、賭けは成り立たないし、九回も場合によっては大量点をとらないといけないからね」
「大量点どころか、1点さえも無理かもしれませんね」
ここで、数弥は妙なことを言った。当然、尋ねる競羅。
「また、なぜだよ」
「HOWには、ものすごい抑えピッチャーがいるんすよ。防御率0点台の」
「0点台だって」
「ええ、あくまでも今シーズンの話すけど、HOWで二年連続MVPを取った投手す」
「えむぶいぴー? また、舌をかみそうな言葉だよ」
「ええ、最優秀選手のことす。二年連続優勝、そして、去年日本一が達成できたのは、まさに彼の抑えのおかげすから」
「そのことなのだけど、もしかして、塚間投手のことかい」
その、つかま、という言葉に天美は反応した。
「姐さん、知っているじゃないすか」
「忘れていたよ。かなりの有名選手じゃないか」
「ええ、塚間孝明二十七才、入団七年目の選手す。入団時からストレートには定評がありましたが、内角から外角へ高速で鋭くと落ちるスライダーフォークを使い出してからは無敵す。おととしが0勝1敗48セーブ、去年が0勝0敗45セーブでしたか、防御率は、やはり0点台す。今シーズン終了後は三連覇を手土産に大リーグへと言われています」
「本当にすごい投手だね」
「それに、なぜ0勝かわかりますか。塚間投手は絶対に最終回にしか出てこないんす。それも、味方が1点から3点差で勝っている時だけす」
「そうしないとセーブがつかないからね」
「それもあるんすけど、塚間投手は球団と起用方法で約束をしているんす。絶対に1イニングしか投げないと、その代わり、その任された1イニングは確実に守りきると。このことは、しっかりと数字が物語っていますけどね。だから、その彼から2点以上を取るということは、かなりの難易度になるんす」
「これは、面白いね。だから、こんな賭けコースがあると」
「面白がっていたらだめすよ。野球賭博は摘発をしませんと」
「けどね、たかが、賭け事だろ。そこらの飲み屋でもやっているよ。王者が勝つのにいくらとか、こっちはHOWが勝つのに賭けるとか。サーカーくじはそんなようなものだろ」
「まあ、そうなんすけど、僕たちが、以前から追っている野球賭博は悪質なんすよ。選手が絡んでいるという噂なんすから」
「やはり、そうか」
「ええ、サッカーくじは一試合を当てても賞金になりません。確か十五試合ぐらい当てなければならなかったと思います」
「十五試合か」
「ええ、一試合で勝つ、負ける、引き分けの三種類がありますから、一試合ぐらい仕込みがあっても、大きな影響は出ませんよ。でも、ただ」
「ただ何だよ?」
「くじとは関係ない賭博は、やはり、ありますよ。裏で行うのは勝手すから」
「まあ、そうだろうね」
「ええ、今回の野球もそうすけど、会員を集めて賭博をさせる大がかりな賭博組織が動いています。その場合は一試合だけを対象にする場合が多いす」
「けどね、一試合では、もうけにならないだろ。三択から選ぶだけなのだから」
「そのためハンデというものをつけるんす。チームAとBが戦った場合、AがBに三点差で勝った場合は五倍、二点差で勝った場合は三倍、一点差なら二倍というレートを、また逆にBがAに五点差以上をつけた場合は六倍とか、そういうものす」
「なるほどね」
「それだけではありません、それに、ある付帯条件がつけられる場合があります。たとえば、××選手が得点を入れたときは賭けが不成立になり、すべて、胴元のものだとか」
「これは、なかなか、せこいね」
「ええ、その場合の××選手は、大抵、普段は得点を入れない選手すからね。うまくいっていたのに思わぬ飛び入りが入って失格になるみたいな」
「でも、大きな賭場では、そういうことが起きると」
「ええ、その通りす。だから、海外では、よくキーパーやディフェンダーが八百長で摘発されるんすよ。胴元からお金をもらって、××選手が得点できるように仕向けますから」
「そんな条件があるなら、初めから賭けに参加をする奴は馬鹿だね」
「ですが、そこまで、仕込まれているとは、普通では思いませんから、良い条件だと賭けにのっちゃう人がいるんすよね」
「もうサッカーの話はいいよ。それで、このハンデというのは野球でもあるのだよね」
「ええ、あります。ですが、野球はもっともっと複雑な条件がつくことがあります。姐さんたちが聞いた今回の賭博は、まさにそれすね」
ここで、天美が声を上げた。
「その塚間選手という人、八百長するということ考えられない」
「あんた、何を言っているのだよ。防御率0点台の選手だよ。そんな選手が、今まで、どうやって、八百長をやっていたのだい?」
「えっ、今まで?」
「当たり前だろ、今回から急にやり出すわけないだろ、八百長というのはね、腐れ縁というか、前から続けているものなのだよ。それを急にやり出すと言うなんて」
競羅は答えながら呆れていた。
「でも、もし家族、誘拐とかされてたら」
「おい、まさか、それは!」
競羅の声に、数弥が呼応をするように、
「いや、彼はまだ独身すよ」
「恋人や両親とかは?」
「そこまではわかりませんよ。でも、天ちゃん、いやに塚間選手にこだわりますね」
数弥は天美を見つめながら言った。嫉妬か何か含むことがあるのか、
「だって、大きな理由あるから、さっき、ざく姉、声あげて、こんなこと言ってたでしょ。『勝つか負けるか』と、はりきったような声で」
「ああ、言ったね」
競羅は渋い顔をして答えた。天美の言いたいことが理解できたからだ。
「そのとき、相手には、塚間って、聞こえたのだと思う。だから、『そこまで知っている』とか何とか言って、襲ってきた可能性だってあるし」
「どうしよう、数弥、この子、こんなことを言ってるのだけど」
「ですが、逆に考えると、その二人が、塚間投手をなんとかする役割だったかもしれませんよ。それを、たまたま、天ちゃんが防いだということも考えられます」
「あっ、そうか。そういうことだったんだ」
競羅の顔が明るくなった。そして、天美に向かって言った。
「そういうことで、塚間投手のことは解決したね」
「でも、もう一つの大きな問題が」
「まだ、何かあるのかい」
「でも、そこまで計画してるってことは、今夜の試合、塚間投手が出るような展開に持ってくということなのよね。つまり、王者が3点差以内で負けてるという展開に」
「そうだけどね」
「確か、自白させた男、王者のメンバーの中に仕込み屋がいると、言ってたけど」
「えっ、そんなことを言ってたんすか」
数弥が驚きの声を上げた。
「ああ、そこまで話すことを忘れていたよ。確かに、そう言ってたね。でも、仕込み屋一人でなんとかなる問題かい」
「いや、引っかかることがあるんすよ。あくまで、うわさで出たぐらいの話すけど」
「何だよ?」
「こればっかりは、僕の口から、うっかりは言えません」
「こっちが言えと、命令してもかい!」
競羅の目が鋭くなったが、数弥は、
「ええ、本当に些細なうわさすから、大事になったら野球界がひっくり返ります。ですから姐さんの頼みでも、その名前で出せないんす。ですが、僕はもう出ていると思うんす」
「出ているって」
「ええ、姐さんたちの会話で、その名前が出ているんじゃないすか。『だから、そこまで知って』と言って襲ってきたんじゃないすかね」
「こっちの会話で、そんなこと言っていたかい」
「わったしは、男たちが来る直前の言葉だと思う。本当に態度、ひょう変したから」
天美がそう口をはさんできた。
「直前の言葉だというと、覚えているのは、グラウンドに金が埋まっている、これは違うね、野球はお金になる、これも違う。あとは思い出せるのは、神や仏に誓ってもか・・」
「姐さん、それす!」
数弥が飛びつくように声を上げた。
「もしかして、神谷という名前か」
「いや、屯倉親智す」
「屯倉って、あの王者の四番の!」
「そうす、彼がうわさの選手す。彼ほどの選手なら、ゲームの流れを作れますから」
「これは大問題だよ。球界をゆるがす」
「ついに尻尾をつかみました。これは、もう本当に大スクープすよ!」
そう答える数弥の顔は紅潮していた。