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ワンコイン・ラブ  作者: 白妙スイ
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8章:やさしさカフェラテ

着いた場所を見て、幸希はぽかんとしてしまう。

そこは危惧したような場所でもなく、次にあり得るかと思っていたどこかのバーなどの酒を飲む場所でもなく。

……なんだかかわいらしい印象の、多分カフェ、だったのだから。

白い壁。暗いので屋根は何色かわからないが、明るい色なのだろう。

なんで、カフェ?

確かに「もう一軒」とは言われたけれど、それでお茶を飲みに行くなんて誰が想像しただろう。

こんな夜も更けた時間に、いい大人の男女がくる「もう一軒」だろうか?

それでも悲しい気持ちは拭えなくて、外観を見られたのは数秒だった。

「いらっしゃいませ」

俯いたまま戸渡の手に引かれるままに店内に入った。穏やかな男性店員の声が迎えてくれる。

店内は冷房が効いていて快適だった。寒いということもない。

「奥の席、空いてますか」

戸渡がそう言うのでちょっと驚いた。

席の希望が言えるような店なのだろうか。

そのとおりであるか、もしくはそのような要求が通るほど通っているかどちらかだろう。

「空いてますよ」と男性店員の声がして、その要望は通ったらしい。「先輩、行きましょう」とまた手を引かれた。

店員やほかの客にどう思われるかちょっとびくびくしてしまう。様子がおかしいであろうことは明白だろうから。

そして入った一番奥の席に、もう一度驚いた。

ワインレッドの布が張られたソファ席。

その前には大きな窓があって、なんと海が見えた。

夜で暗い中なのに海だとわかったのは、夜景の中にそこだけ真っ暗、そして一点だけ灯台らしきひかりがあったからだ。

「綺麗でしょう」

どうぞ、と幸希を促しながら、戸渡はちょっと誇らしげに言った。

あ、これは告白してきたときとは違う声だ、と幸希は思って少し安心する。常の彼が戻ってきたようで。

しかしそこでまた胸が痛くなってしまう。

わからなかった。

自分は戸渡に、こういう『彼』でいてほしいのだろうか。

『彼氏』に、つまり『男』になってほしくないのだろうか。

だからあれほどなにも言えなくなってしまったのか。

それならそれで「ごめんなさい」「後輩でいて」と言わなければいけないのに、それもなにか違う。

ここでならそれがわかるのだろうか?

席を勧められるままに座りながら、幸希はぽうっと目の前の海を眺めた。

「ココアは好きですか」

訊かれるので幸希はただ頷いた。

「じゃ、……すみません。ココアラテをふたつ」

メニューは目の前のローテーブルに置かれていたけれど戸渡はそれを手に取らなかったし、そして幸希に見せてくれることもなかった。今、メニューを見て「なにが飲みたいか」と考える気にはなれなかったので、幸希はほっとする。

海を見ながらまた戸渡は何気ない話をはじめた。

「ここ、姉が好きなんですよ」

「少女趣味かもですよね。海が見えるカフェなんて」

「でも姉は車を持ってないから、連れてけなんてたまに言われて」

幸希はそれをただ、うん、うんと聞く。

やがてココアラテがきた。ホットのようだ。

店が示しているように、ずいぶんかわいらしい。

入っているのはシンプルな白のティーカップだが、ラテにはうさぎが描いてあった。確かに女の子が喜びそうだ。

というか、自分も常ならば、元気なときならば「かわいーい!」なんてテンションが上がって写真の一枚も撮るだろう。

でも今はそんな気持ちにはなれなくて、ただ「かわいい」と思っただけだった。

いや、戸渡に「かわいいね」とは言ったけれど。

「そうでしょう。それにワンコインですよ」

戸渡はふざけた口調で言った。

多分このココアラテは、ジャスト五百円なのだろう。幸希もつられたように笑ってしまった。

奢りはワンコイン。こんなところまで適用しなくても。

「猫舌ですか?そうでないなら、熱いうちに」

優しく言われて、また涙が出そうになったけれど飲み込む。

「大丈夫、ありがとう」とカップを持ち上げて、ひとくち飲んだ。甘い味が口の中いっぱいに広がった。

最近ずっと暑かったのでコールドドリンクばかり飲んでいて、ホット飲料は久しぶりに飲んだ。

けれど今はこれがふさわしい、と思う。あたたかくて甘いココアは、心をほどかせてくれるような感覚がしたので。

隣で戸渡も自分の前に置かれたカップを持ち上げて、ココアをひとくち飲んだ。それにもなにかラテアートが描いてあったと思うのだが、そこまで見る余裕は今の幸希にはない。

「なにか、心配なことでもありますか。付き合うこととかに」

ぽつりと言われて、幸希はどきりとしてしまう。

やっと話が本題に入ったことを思い知って。

どうしよう、どう言おう。

ぐ、と喉が鳴った。ココアのカップを両手で包んだまま、崩れたラテアートを見つめる。

うさぎの絵は歪んでしまっていた。あんなにかわいく描いてあったのに。

「心配、っていうか」

なにか言わないと。

でも言い繕うことはできない気がした。

自分はそこまで器用ではない。

今は余裕もない。

心にあることを言うしかないのだ。

「……どうして、私なの」

末尾は震えた。

そうだ、自分でなくともいいに決まっている。

戸渡は魅力的だ。以前考えたように顔も良ければ仕事も多分できる。

だから彼女もすぐできるし、結婚だって難しくないだろう、と前に思った。

それがどうして自分にこれほど優しい気持ちを向けてくれるのか。

「なんで、って。鳴瀬先輩が好きだからですよ」

心底不思議そうな声だった。

「よくわからない……」

「なにがです。ほかになにがあると?」

もう海を見ている場合ではなかった。ただひたすら崩れたラテアートを見るしかない。

まるで今の自分のようだった。心揺らして情けない姿をさらしているような。

「もしかして、……昔なにかあったとかですか?」

言いかけて、言い淀んで、でも結局言われた。

濁して言われたけれど、言いたかったことはわかる。昔の交際相手、もしくは付き合っていなくても男性になにか乱暴にされただとか。そういうたぐいのことだろう。

「それはないよ、別に悪いことなんて。……そりゃ、振られたけどそのくらいで」

そこに関してはちゃんと言っておかなければなので、幸希は早口で言った。最後はぼそぼそとしてしまったけれど。

振られたのは『なにかあった』に入るのかと思ってしまったゆえに。

でも誰かを振るのは別に悪いことではないはずだ。傷つける行為ではあるけれど仕方のないこと。

「……でも、付き合った人はいたけど、こんなにいろいろしてもらったことはないよ。だからよくわからない……」

なんとか言ったけれど、今度は不思議そうに言われた。

「なにも不思議なことはないと思いますが。好きなひとにはなんでもしてあげたいし、優しくしたいでしょう?」

その言葉はあまりに純粋だった。

でもそのとおりだ。シンプルなことだ。

幸希だって、今まで好きになったひとにはそうしてきた。

なんでもしてあげたいと。

優しくしたいと。

でも自分が受ける身になってしまったら、そうあるのが当然だとは思えなくなってしまった。

続ける言葉はやっぱり「わからない」しかなくて、でも流石にもう繰り返せない。

しばらく沈黙が落ちた。店内BGMのクラシックだけがその場を流れる。

やがて戸渡がぽつりと言った。

「鳴瀬先輩は、優しくされることに慣れていないんですね」

それは真理だった。

そうだ、付き合った人はいてもきっと本心からの優しさをもらったことはなかった。

惰性や打算。そのようなものをきっと無意識に感じていたのだろう。

それで思った。

振られても、ああ、当然だったのだ、と。

幸希の表情が変わったのを見たのだろう。戸渡は手を伸ばしてきた。

そっと幸希の手からティーカップを取り上げる。テーブルに戻してしまった。

その空いた手を取られる。今度は両手で包み込むように。

「それなら僕が教えましょう。優しくされることを、……そうですね、大切にされることを」

目を閉じた彼に言われる。

包まれた手はあたたかった。熱々のラテが入っていたティーカップよりも。

それは、ひとの持つぬくもり。

ゆらりと幸希の視界が揺らいだ。今度は伝わってきたあたたかさが涙を零させる。

「私でいいの」

「先輩がいいんです。僕が優しくしたいんです」

幸希は言うのをとてもためらったのに、あっさりと言い切られた。

違う意味で言葉が出てこない。代わりに頷いた。

ぽた、と涙が落ちるけれどそれはまるで意味が違っていただろう。

戸渡が嬉しそうに笑った気配がする。そっと、幸希の手を握る両手に力がこもった。

「ねぇ、顔をあげて、見てみてください。ここからの景色は綺麗でしょう。今夜はずっと見ていませんか」

ここ24時間営業なんですよ。こんなかわいいお店なのに。

言って微笑んできた笑みがあまりにあたたかくて、そう、優しくて。

心に染み入って、でもそれはもう痛くはなくて。

じんわりとあたたかいラテのように心を満たしていった。

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