傍観者
人生は階段だ。
だから、道には迷わない。
人それぞれ与えられた階段があり、人はそれを“運命”と呼ぶ。
その階段をどこまで登るかは、そいつ次第だ。人はそれを“努力”と呼ぶ。
そして、階段を登りきった時の達成感は、政治家だろうが石油王だろがアスリートだろうが平等なのだろうよ。
大場 穂
こいつは絶対に許せない。
コータローとかいう、声がやたら甘ったるいバスジャック野郎が、立ち寄るはずだった海老名SAを通過させやがった。
海老名SAでフランクフルトを売っているツインテールが似合う美女店員さんに会うのが、長距離バス移動の唯一の楽しみなんだぞ。
相方のタカオも、せっかくタバコが吸えるチャンスを奪われ、かなりイライラしているようすだ。
最初はそんな感じだった。
しかし、こう何度もバスジャックに遭遇すると、もはやそんなことはどうでもいい。
俺たちは『スマイルンルン』というお笑い芸人で、日本一のコント師を目指していた。
そして、このバスジャック犯のコータローを取り押さえたことで、メディアに取り上げられ、お笑い番組にも出させてもらったのだが、すべりにすべりまくった。
チャンスがあれば、打席に立てれば、売れる自信があったので、かなりショックだった。
営業でうけなくても、客のレベルが低いと言い訳していたが、この時はそんな言い訳もできなかった。
観客たちの“無”の視線が、痛くて痛くてたまらなかった。
今まで一度もケンカをしたことがなかったのに、
「ミノルのネタがシュールすぎるんだよっ!」
とタカオにキレられ、俺は無言で楽屋を出て、『スマイルンルン』は自然消滅した。
だから、タイムループしてコータローを取り押さえても、俺たちは二度とメディアに出ることはない。
コータローは、日本刀を振りかざし、通路側の席にいたタカオに襲いかかる。
もう何度も見た光景だ。
乗客たちは、お菓子を食べたり、景色を楽しんだり、眠ったりしていて、誰も関心を持っていない。
窓側にいた俺が、飲みかけの瓶ビールをコータローの頭部に投げつける。
俺はビールは瓶と決めているのだ。
コータローは慣れた様子で、俺が投げたビール瓶をよける。
よくこの運動神経でバスジャックしようと思ったなと驚くほど、動きが鈍いコータローでも、さすがに何度も投げれたビール瓶は避けられるように成長している。
しかし、続けざまに、タカオに殴りかかられると、それを避けることはできない。
そして、タカオがコータローから日本刀を奪い、俺が取り押さえて、またまためでたし、めでたしになるはずだった。
タカオは日本刀を手に取ると、転ばないように気をつけながら、運転席まで向かう。
嫌な予感はなぜよく当たるのだろう。
タカオは、にこやかな表情の運転手に日本刀をかざすと、
「今からは俺がバスジャック犯だ!言う通りにしろ!」
と今まで舞台でも聞いたことがないほど声をはって言った。
バスジャックのことなど、もはや気にしていなかった乗客たちが、一斉にざわつき始める。
俺は、他の乗客と同じように驚いているコータローのことは放っておき、タカオのもとへ駆け寄る。
「お前、何やっているんだよ!」
「黙れ!どいつもこいつも、俺たちが助けてくれるのを待つだけで、何もしようとしないクソヤローどもだっ!」
うっ…。痛いところをつかれた。
俺も実際はそう思っていた。コータローよりも、人任せなこの乗客たちにムカついていた。
「バックしろ!」
タカオが運転手に指示する。
「冗談言わないでくださいよ」
タカオは慣れない手つきで、日本刀を使い運転手の左肩を少し切る。
「痛っ!」
バスが大きく揺れて、乗客からは悲鳴があがり、運転手からは笑みが消える。
「さっさとバックして、海老名SAに向かえっつってんだよ!」
「バカ、バスジャックしているんだから、もうここで吸えばいいだろう!」
俺がそう言うと、
「そっか、それもそうだな」
とタカオはタバコを取り出して、口にくわえる。
そして、火をつけようとするが、
「違う。これは違う。やっぱりバックしろ!」
と運転手にあらためて指示する。
「何でだよ、乗客に子供もいないし、吸ってしまえばいいだろ!」
乗客に子供がいない。これが問題だった。もし、乗客に子供がいたら、タカオはバスジャックなどしなかっただろう。
「さっさとバックして、海老名SAに向かえ!」
タカオが日本刀を運転手の肩にあてて脅す。
「タカオ、とにかく落ち着けって!高速をバックで逆走とか危なすぎるだろ!死んだらタバコ吸えないんだぞ!次のPAまで我慢しろよ!」
「ダメだ!そこには、メイちゃんがいない」
「はあ?誰だよ、その子」
「ミノルが好きな、あのツインテールの女の子だよ!あの子は海老名SAにしかいない」
「なんでお前が名前を知っているんだよ!っていうか、勝手に好きとか決めるなよ」
「何度も人生やり直しているんだ。相方が密かに気になっている子のことくらい調べるさ。彼女の名前は、上村明。19歳だ。彼氏はいないが、大学のテニスサークルの先輩に片想い中だ。そして、この先輩って奴が三股、四股は当たり前のクズ野郎で…。いいか、ミノル!お前がメイちゃんを助けてやるんだ!ミノル!お前しかいないんだ!俺じゃダメなんだ…」
タカオが俺の肩を強く掴んで熱弁する。
多分、この運転手さんも、乗客も全員、タカオがどこかの人生で、メイちゃんにフラれていることを知ったに違いない。
人生が一度きりだったなら。俺は相方の失恋を知らずにすんだのにな。
まったく、“地球坊や”のおかげで、タカオは余計な失恋をさせられただけではなく、バスジャック犯にまでなってしまったではないか。
「2人組の男にバスジャックされてまーす!誰か助けてくださーい!」
コータローが窓を開けて、大声で叫ぶ。
その必要はないのに。もう何度もバスジャックが起きているんだ。警察はとっくに、このバスに向かってきている。
っていうか、2人組ってどういうことだ?
他の乗客たちも、俺のことを怖がっていて、目を合わせようとしない。
運転手も同様だ。
人間の心理とは不思議なものだ。
俺はタカオを止めようとしていたのに、コータローが“2人組”と口にしたとたん、俺までバスジャック犯になってしまった。
どんなに弁解しても、この乗客たちの怯えた様子を見ると、もう無理なのだろう。
俺は、“そうなって”しまったのだ。
自分にその気はなくても、こうやって悪役のレールに乗せられる奴がいるのだ。
世界はいつだって、悪役を募集している。だって、そうじゃないとヒーローが失業しちまうからな。
今度は俺が悪役の番ってわけだ。
いいじゃないか。こうなったら、こうなったで、この状況を楽しんでやる。
また、次の人生でやり直せばいい。
次があればの話だが…。
ピーポーピーポー、そんな優しい音ではなくけたたましい音を轟かせて、覆面パトカーが猛追してくる。
気がつけば、ヘリも2機バスの上空を飛んでいる。テレビ局のヘリだろう。
「よし、あの覆面パトカーを奪って逃げよう」
「はあ?」
今度は俺の発言に、タカオが驚く。
すると、バスが急ブレーキで止まる。
「バカ野郎!勝手に止ま…」
前方は、警察隊がバリケードを作っていた。
しかし、タカオが喋るのを途中でやめたのは、そのせいではない。
バスが急ブレーキで止まった拍子に、タカオが持っていた日本刀が、俺の右太ももに刺さっていたのだ。
「ごめん」
おいおい、人のプリンを勝手に食べた時くらいの、ちょっとヤバいかもくらいの感じで謝るなよ。
こっちは今にも失神して楽になりたいくらい、痛くて気持ち悪くて涙も止まらないんだぞ。
「オエッ」
俺の傷口と大量の血を見て、タカオが嘔吐する。この野郎、テメーがバスジャックしなければこんなことにならなかったんだぞ。
それなのに、俺を見て吐くとは許せねえ!
すると、今度は強風でバスが揺れる。
「イテーーッ!!クソイテーー!なんじゃこりゃーー!」
バスが揺れると、傷口がさらに痛む。
「さっさとこれを抜けよ!アホンダラ!」
タカオは恐怖で顔が青ざめていて、首を横に振るだけだ。
他に選択肢はない。
「オリャーーッ!地球坊やのクソ野郎!」
俺は右太ももに刺さった日本刀を自分で抜く。失神しかけたが、残念ながら意識はまだある。痛みを感じる。
さらに風が強くなり、バスが大きく揺れると、ヘリが近くに着陸する。
ドクターヘリだった。
そして、中からツインテールの女の子が降りて来て、
「早く乗って!」
と叫ぶ。
メイちゃんだ。海老名SAでフランクフルトを売っているはずのメイちゃんが助けに来てくれた。しかも、救命医の制服もたまらなく似合っている。
理由なんか今はどうでもいい。
「行くぞ!しっかりしろ!」
俺はタカオの後ろ襟を掴んで、引きずるようにバスから降りて、メイちゃんとドクターヘリに乗り込む。
警察隊も突然のことに動揺していて、すぐには手出しをしてこない。
「早く飛ばして!」
メイちゃんがそう言うと、イケメンのかなり若いパイロットが、
「ラジャー」
と返事して、ヘリを離陸させる。
「あっ、お前は5股野郎!操縦できるのか?」
タカオがいろいろと驚いている。
「俺、モテるためなら、何でもするので。あっ、今俺を殴ると墜落しますからね。それから、俺の名前はリョウマ。5股ではなく、只今12股中ですよー。俺を侮らないでくださいよー」
リョウマはヘリを大きく揺らしながら飛行させる。確実に無免許だろうが、この際、そんなことはどうでもいい。
今はメイちゃんが、傷の手当てをしてくれている幸せに浸ろう。
あ、あれ、意識が…。
せっかくメイちゃんの想像以上に大きなおっぱいが密着しているのに…。
ちょ、ちょっと待って…メイちゃーん…。