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メリーゴーラウンドの馬に乗って、僕はドリームランドから逃げ出そうとしている。
でも、この馬は僕が操っているわけじゃない。ただ一目散に出口へ向かっているのかどうかもわからない。僕がブキミな着ぐるみと話していた場所は出口からそう遠くない場所だと思っていたけれど、違うんだろうか。
もう、この場所には常識なんてない。そんなものは通用しない。ここは夢の中みたいにおかしなことばかりだ。
「おい、ヒサを探してくれ」
僕は馬に向けてそう言ってみた。けれど、白い作り物の馬はまったく反応を示さなかった。まるで飛ぶみたいに軽やかに上下してほんのりと明るい夜の中を走る。そう、ドリームランドは今、綺麗にライトアップされていた。ただし、この灯りはライトなのかどうかわからない。ただぼんやりと火の玉っぽく宙に浮いている。七色の光は綺麗だけれど、今の僕には薄気味悪かった。ただ、視界を照らしてくれることだけはありがたかったけど。
馬に揺られながらもう一度振り返る。その時、僕はゾッと身震いした。赤い――赤い点が無数に僕たちを追いかけるようにして続いている。赤く光るあれはなんだ? 二対で光るあれは――赤い、目?
この馬の目と同じ赤い色が僕たちを追って来る。それに僕が気づいたせいか、後ろから急に蹄の音が激しく鳴り出した。もう隠す必要がないとでもいうように。
「ヒッ――」
メリーゴーラウンドの残りの馬が僕たちを追って来るのか。鬼ごっこを楽しみながら僕を鞍から落とすつもりなのか。所詮これはゲームだと、あの着ぐるみはどこかで笑っているのかも知れない。
「い、嫌だ……」
喉の奥から声が漏れた。振り落とされた後、僕はどうなるんだ。
怪物たちの餌になるのかと思ったら、血の気が一気に駆け下りて指先の震えが止まらない。滲む涙を必死で飲み込んだ。
早く! もっと早く逃げて――。
蹄の重なり合う音の中、僕はそう念じた。その時、僕の乗る馬は高く跳んだ。それは馬が跳べるような高さじゃない。でも、この馬は跳んだんだ。空高く、そうして着地した先はジェットコースターのレールの上だった。急な傾斜もない、なだらかなその場所に馬は跳び乗ったんだ。
この位置なら安全なのかと思ったけれど、他の馬だって同じところに跳んで来れるのかも知れない。早く移動してくれと思った時、そのレールの上に別の何かがいることに気づいた。
すぐそばじゃない。向こう側のレールだけれど、確かにいる。
心臓が拳で殴られたみたいにドンッと鳴った。痛いくらいに早く激しく脈打つ。でも、そこにいたのは、まさかの見知った顔だった。
「伊東……?」
そいつは僕の名字を呼んだ。僕と同じようにメリーゴーラウンドの馬に乗ったそいつは、ヒサじゃない。でも、僕も知ってるクラスメイトだ。
「田口?」
短い手足にツンツンとした短い髪、少し潰れた鼻、細い目――クラスメイトの田口だ。特別親しくもないけれど、同じクラスだから顔くらい知ってる。口を利くことも稀なクラスメイトなのに、こんなところで会うなんて――。
「お前、なんでここに!? いや、なんだっていい。ここは――」
田口が何かを言いかけた。でも、その時、急にカタンカタン、とレールの上をコースターが走る音がした。
急にだ。急にそこに現れた。さっきまではレールの上に乗っていたのは僕たちだけだった。
連なるジェットコースターが田口の正面に迫る。その時、田口の乗っていた馬は田口を振り払ってレールの下に飛び降りた。田口はレールの上に投げ出される。落馬の痛みに呻くけれど、そんな暇もなくジェットコースターは迫っていた。
カタンカタン。
カタン。カタカタカタ。ガッ、ゴゴゴゴゴゴ――。
「田口!!」
僕がとっさに叫んでも何の意味もなかった。ジェットコースターは無情に走った。
メリッ。ガ、ゴリ――。
嫌な、本当に嫌な音がジェットコースターがレールを走る音の中に混ざった。そうして見てしまった。ジェットコースターの座席は無人じゃなく、最後尾にあの着ぐるみが両手を上げて楽し気に乗っていたのを。
赤茶けたレールの色が鮮やかな紅に染まる。レールを伝う血が庇を伝う雨みたいに地面に落ちて行った。その中には肌色をした臓物の一部も混ざる。踏み潰されて細切れになった田口は、もう面影をどこにも残していない。
「ぐ……」
堪えようのない吐き気に襲われて、僕は馬の背中から下に向けて嘔吐していた。胃がせり上がるほどに激しく、胃液もすべてまき散らすような勢いで吐いた。その臭いが鼻先で更なる吐き気を起こさせる。自分の足元に吐瀉物がかかったけど、それどころじゃない。ヒィヒィと泣きながら吐き続けた。でも、馬はそんな僕を苛立たしく思ったのかも知れない。気遣ってくれる様子もなく、急にレールの上を走り出した。尻が鞍から少しずれた感覚が、僕を冷静にさせた。
ここから落ちたら、次は僕が田口のようになる。田口のことが特に好きだったわけじゃないけど、あんな死に方をいい気味だと思うほど嫌いだったわけじゃない。時々、ヒサと楽しげにしている時があって、そういう時は少しやきもちも焼いたけれど、僕だって所詮はただの子供だから、そういうことだってある。
でも、こんな結末が待ってるなら、あれくらいのことで腹を立てるんじゃなかった――。
涙で視界がぼやける。でも、僕は肩口でそれを拭って前を見据えた。
まるで鹿のように飛び跳ねる馬は、きっとそんな僕を馬鹿にしてる。乗りこなせもしない僕だから、馬鹿にされるのも仕方がないのかも知れないけど、僕には他にすがれるものがないんだ。
首にしがみついたままの僕を乗せ、作り物の馬はレールの上を行く。そうして、段々と低いところに差しかかった。すると、そこから赤い目をした馬の群れが見えた。
思わず悲鳴を上げそうになったけれど、僕はそれを手で抑え込んで堪えた。馬の群れがオオカミのように獲物に群がり、ビチャビチャと音を立てながら柔らかい腹の中身を食べている。その馬たちの脚の間から、馬に揺らされて動く頭部が垣間見えた。長い髪、青白い顔――眼球が飛び出しかけて人相が変わっているけれど、あれは多分、同じクラスの沖野だ。クラスの女子の中では可愛くてモテてたけど、女子からはあんまり好かれてなかった。田口とここへ来たんだろうか。それとも、まだ他にもクラスメイトが来てるのか――。
僕は沖野から目を背けたけど、生ぬるい風が血の臭いを運んで来る。鉄分の、生臭い、嫌な臭いが。
あんなもの、どうして食べられるんだと、僕は再び吐き気を覚えた。
ヒサは無事だろうか。沖野みたいに食われてないだろうか。
僕はひどいから、沖野がヒサの代わりに食われてくれたのならいいと思った。僕にとってはヒサが食われるよりは沖野が食われた方がマシだから。心の中でごめんと謝るけど、そんなものは沖野にとってなんの慰めにもならないだろう。
馬は、沖野に夢中になって食らいつく他の馬の隙を突いて僕を運んだ。観覧車、ミラーハウス、いわくありげなアトラクションを横目に、僕は僕とヒサの無事だけを祈った。
チカチカ、キラキラ、閉園したはずの遊園地の夜が煌めく。僕は偽物の馬に乗ってその中を駆け抜ける。
ここから逃げ出したら、僕は二度と遊園地になんて行かない。遊園地はこんなにも恐ろしい場所なんだから――。
そうして、僕はやっとあの入口のアーチの見えるところまでやって来ることができた。そのアーチのずいぶん下の方に、ひっそりと隠れるようにしてヒサがいた。僕は叫びたくなったけど、バケモノにヒサの居場所を知らせちゃいけないと思って我慢した。馬はここへ来て僕を放り出すようにして体を振った。
「わっ」
バランスを崩して滑り落ちたけど、少し膝を打ったくらいだ。
僕はすぐに立ち上がる。その時には馬はもう僕に背を向けて走り去っていた。自分の役目は終えたとばかりに。
「ナオキ!」
ヒサが僕のそばに駆け寄った。見たところ、ヒサは無傷だ。でも、その顔はとても青白く見えた。
「ヒサ、無事でよかった……。ひどい目に遭ったよ。子供がいなくなる噂は本当だった。本当に――」
言いかけて僕は田口や沖野のことを思い出して吐き気が込み上げて来た。それを押しとどめようと口を押えて呻くと、ヒサが僕の背中を上下にさすってくれた。少し吐き気が治まると、僕はヒサに向き直ってなんとかつぶやいた。
「クラスの田口と沖野も来てて、二人とも……死んじゃったんだ。ここは本当に危ないから、早く逃げよう」
「田口と沖野?」
ヒサはキョトンと小首をかしげた。かと思ったら、僕の首に手を伸ばし、そして――。
ヒサの柔らかい髪が僕の首にかかった。その後はもう、痛いのか熱いのか、なんだかよくわからなかった。ああ、沖野もこんな風だったのかな。
♦
ビチャビチャ、肉を食み、血をすする音が閉園した遊園地の夜に滑稽なほど響いた。少年の首に夢中でむしゃぶりつくもう一人の少年。そのそばにはウサギの長い耳をした着ぐるみがいつの間にか立っていた。
「ねえ、その子、痩せっぽっちなのにさ、そんなに美味しいの?」
着ぐるみは重たそうな体にふわりと光をまとうと、その体は徐々に萎むようにして縮んで行った。そこから現れたシルエットは小さな子供である。どんぐり目の少年――。
すると、口の周りを赤く染めた少年はようやく顔を上げた。にやりと微笑みながら肩口で口元を拭う。
二人の少年の顔は同じであった。着ている服が違う、ただそれだけである。
「うん。恐怖がスパイスになっていい味だよ。手間暇かけた甲斐があったなぁ。田口は君にあげるって言ったのに、食べなかったよね」
「要らないよ。マズそうだったじゃないか」
着ぐるみから出て来たピエロのような装いの少年が、同じ顔をした少年に呆れた目を向けた。血に染まった少年は、心外だとばかりに言う。
「沖野は美味しそうだったんじゃない?」
「君がデートだとか何とか言って誘ったから、彼女背伸びして香水なんかつけちゃってさ。臭くて台無しだよ」
「贅沢だなぁ、まったく」
「君に言われたくないな。その子、君のこと大好きだったでしょ。食べちゃって可哀想に」
「ナオキも大好きなオレに食べられて本望だと思うよ?」
「君の役に立てて?」
「そうそう」
「ひどいよね、君ってさ」
「ほら、少し分けてあげるからそんなこと言うなよ」
「うん、ありがとう。――ああ、ほんとだ。美味しいね……」
《――GAME OVER――》