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 噂というのは、発生源は不確かなくせに、いつの間にか世間に蔓延している。


 ――それは何故なのか。

 結局のところ、大人も子供もそういうくだらない噂話が好きだからなんだと思う。

 僕の小学校のクラスでも、何組の誰それがどうしたとか、常に噂が絶えない。真実なんてどうでもよくて、噂話が少しの時間を面白おかしくしてくれたらそれでいいんだろう。

 このところよく聞く噂は、夏が近いせいか少しホラーだ。学校の七不思議がかすんでしまうくらい、今、僕のクラスはこの噂で持ちきりだったりする。


 少し前に閉園になった遊園地『裏野ドリームランド』。

 学校の校舎の窓からも、もう動かない観覧車の一角が見える。廃園になった途端にその一角が錆びついて見えて、町の景色を汚しているみたいな気になる。

 あそこが閉園になった理由は、時々子供がいなくなったり、よくないことが起こりすぎたせいだっていうんだ。ほんとのことはわからないけれど。


 僕は物心がついてから、あそこに行ったことがない。うちの両親はあんまり仲が良くないから、休日に親子三人で出かけたのなんていつが最後だか覚えてないくらいだ。お父さんもお母さんも共働きで、休日くらいはゆっくりしたいって言うし、僕も遊園地に連れて行ってほしいなんてねだるほど子供じゃないつもりだ。来年にはもう中学生なんだから。


 終業のベルが鳴って、今日も退屈な一日が終わった。もうすぐ夏休みだ。宿題がどっさり――そう思うと楽しみも半減する。今年の夏はまた一段と暑くなるってニュースで言っていたから、そのうち寝苦しい夜が続くのかなと思うとそれも憂鬱だった。

 そんなことを考えながらランドセルに教科書を詰めていたら、背中に聞き慣れた声がかかった。


「ナオキ!」


 振り向かなくてもわかる。ゆっくりと首を向けると、そこにはクラスメイトのユキヒサがいた。クラスの男子の中で一番小さい。それなのに、いつも元気に飛び跳ねている。とっつきにくいと陰で言われる僕にも物おじしないで突進して来るから、僕は気づけばユキヒサ――ヒサとだけは仲良くなっていた。


「なんだよ、ヒサ」


 僕はユキヒサをそう呼ぶ。

 どうしてだろう。いつからだろう。よくわからない。

 みんなはユキって呼ぶ。僕だけがヒサって呼ぶ。その特別感を僕は楽しんでいたのかも知れない。


 ヒサはどんぐり眼をキラキラと輝かせて僕の正面に回り込んだ。そうしていると女子みたいにも見える顔立ちだ。


「なあ、裏野ドリームランドの噂って本当だと思うか?」


 ヒサまで馬鹿らしいことを言い出した。もともとヒサは好奇心旺盛だから、噂に興味を持っても不思議はないのかも知れないけれど。でも、僕は違う。


「何言ってるんだよ。そんなの誰かの作り話が一人歩きしただけだろ。子供がいなくなるとか、それなら警察が動くはずなのに、そんな騒ぎになったことがあったか?」


 冷静に僕がそう答えると、ヒサはわざとらしく頬を膨らませてみせた。まるでリスみたいだ。


「ナオキ、オレたちまだ小学生なんだぞ? そんな大人みたいに面白くないこと言うなよな。……もしかして、ナオキは噂が怖いから否定したいだけだとか?」


 はぁ? と喉の奥から自分のものとも思えないような声が漏れた。


「僕が? そんな不確かな噂を怖がってるって? 変な言いがかりつけるなよ」


 オバケだとか幽霊だとか、そんなのは信じない。この世には解明できない謎なんかない。神様だって本当はいやしないんだと僕は何年も前から思ってる。存在しないものを怖がってるなんて思われたくもない。


「じゃあ、今度の土曜日の夜、確かめに行こう」


 ヒサの笑顔が、笑顔で言うにはとんでもない言葉と一緒に僕に向けられた。


「確かめに? 夜って、二人だけで?」

「そうだよ」


 子供だけで夜間の外出なんてして補導されたら将来に関わるんじゃないのか?

 ヒサは時々、とんでもないことを言う。僕にはとても即答なんてできなかった。

 でも、ヒサは少しだけ目を細めて僕を見上げた。


「ま、ナオキが無理なら他を誘うけど」


 やっぱり怖いんだろう? って、その目が語っている。それから、ヒサは僕じゃなくてもついて来てくれる友達が他にもたくさんいる。僕を一番に誘ってくれたのは、それだけ友達としての優先順位が高いことの現れか。

 そう考えたら、夜の外出はいけないことだと思っても、ヒサと一緒ならという気持ちになった。


 大丈夫、少しだけ。すぐに帰って来れば誰にも見つからないで済む。親が眠っている隙にほんの少しだけだ。

 ヒサに間違っても臆病だなんて思われたくない。嫌われたくない。それが僕の正直な気持ちなのだとするなら、そんなことに怯える僕はやっぱり臆病なんだろうか。

 ほんの少し、胸の奥に風穴が空いたような心境で僕はヒサに精一杯笑ってみせた。


「行くよ。噂なんて所詮は噂なんだから、がっかりするなよ」




 そうして、土曜日の夜。午前一時に僕は待ち合わせの街路灯の下へやって来た。

 肝心の時に眠たくならないように、部屋でこっそり昼寝をしておいた。だからこんな時間でも眠くない。二階の部屋から忍び足でそうっと抜け出し、階段をまるで泥棒にでもなった気分でコソコソと下りた。荷物はこれといってない。ベルトに下げたペンライトと玄関の鍵と小銭を少し持っただけだ。


 スニーカーを引っかけ、玄関の扉を音を立てずに開ける。心臓が破裂しそうに脈打った。テストでもこんなに緊張したことはない。このスリルを僕は少しだって楽しいとは思えない。それでも、約束は守らないと。


 十字路の街路灯。その下にヒサは待っていた。跳び上がるようにして手を振るから、Tシャツの恐竜の柄が大きく揺れる。僕の顔を見てほっとしたみたいに見えた。


「ナオキ!」


 声を潜めつつも嬉しげだ。僕はそっとうなずいた。


「じゃあ、行こう」


 早く行って、早く帰りたい。そして何事もなかったかのように朝を迎えて、できれば今晩のことは忘れてしまいたい。優等生で通って来た僕の人生でこの夜が唯一の汚点になる。そう思えてしまう。ヒサは今晩のことがおおやけになっても、ヒサの評価は何も変わらない気がする。


 でも、僕は違う。

 僕には他に何もない。勉強ができる優等生で、でもだからとっつきにくくて――ただひとつの汚点を喜ぶ顔、落胆する顔、失望する顔しか思い浮かばない。人を惹きつける魅力が、勉強ばかりでは得られないことを薄々は感づいていても、僕はそれを素直に受け入れられなかった。

 むしろ、それを持たない僕だからヒサのことだけは認められたんだと思う。



 僕とヒサは並んで歩いた。道路に点々と続く街路灯の明かりの下を。僕とヒサの影が後ろに細長く伸びた。


「なあ、ナオキ。ナオキは中学生になったらまず何をしたい?」


 ヒサが無邪気にそんなことを僕に訪ねて来た。夜の薄暗さの中で交わすには健全な内容に、僕は少し苦笑した。


「何って……今まで通りいい成績を取れるように勉強する」

「なんだよ、それ。でもナオキらしいなぁ」


 なんて言ってヒサは笑った。

 本当は、勉強のことばかりを考えるなら、中学は進学校を受験しているはずだ。でも、僕はそれを回避して公立へ進む。進学校にヒサがいないから――そんな理由を口には出せず、進学校を勧めた親や先生には興味がないと素っ気なく答えただけだった。

 心の奥底に、自分がどこまで通用するのか試したい気持ちがなかったわけじゃない。その気持ちを後回しにしてしまうくらい、僕にとってヒサとの友情が大切だった。他の誰かじゃ代われない、ヒサが一番の友達だから。



 僕たちが歩いて向かったその先に、裏野ドリームランド――正確にはその跡地があった。本来なら大きな看板についたたくさんの電球が夜空の星よりも派手に輝き、ドリームランドの夜を盛大に演出したはずだ。でも今は寂れてピカリとも光らないまま、入口に取り残されている。アーチにこびりついた、ただ大きいだけの存在だ。


 その薄暗さにも慣れて、僕がなんとなく上を見上げていると、ヒサは急に遠くを指さした。アーチの手前には学校と同じような鉄の棒状の柵がされているけれど、僕たちのように身軽で細身の子供なら十分にすり抜けることができる幅だ。

 その柵の遥かに奥、ランドの中をヒサは指さす。


「なあ、あの辺、なんか光ったよな?」

「え?」


 僕にはわからなかった。僕よりもヒサの方が目がいい。


「……どんな光だよ?」

「どんなって、ふわっとした光。どっちかっていうと丸い、蛍みたいなヤツ。上に向かって昇って行く感じの」


 蛍みたいに浮遊する光。それをヒサは見たらしい。蛍なんてこんなところにいるのか?

 でも、蛍じゃないとすると、何が光るんだろう? ふんわり飛びながら光る何か。

 多分、科学で解明できてしまう程度のものなんだろうけれど、知識のない僕たち子供にはそれがとても不思議なものに思える。ただそれだけのことなんだ。


「ふぅん。何が光ったのか追いかけるのか?」


 ヒサの好奇心がきっとそれを願うだろうと思った。案の定、ヒサは薄暗い中でにやりと笑った。


「もちろん。じゃあ、行こうぜ」


 小さなヒサの体がランドの柵の隙間から向こう側に行ってしまった。少しのためらいもなく、ヒサは体を滑らせるようにそこを越えたんだ。向こう側には何があるのか、そんな不安はヒサにはなかったのかも知れない。ただ、不思議なことに対する好奇心が恐怖を上塗りしている。それがどんなに危険なことか、本当なら僕が言ってやらなくちゃいけなかった。


 でも、僕は言えなかった。

 嫌われたくない、そんな情けない理由で言えなかった。

 だから僕は、夏の夜にほんの少しひやりとする柵を握り、ヒサよりももたもたと不格好にランドの中に足を踏み入れた。柵の錆びついた鉄臭さが鼻先をかすめる。その臭いが、これが確かに現実だと僕に知らせていた。


 僕は、現実を柵の外に置き去りに、まるで映画のスクリーンの中に吸い込まれるようにして悪夢の只中へと赴いた。自らの足で、ヒサと共に。

 その先に待っていたのは、本当に映画のような非日常だった。

 ただ、その映画は友情でピンチを切り抜けるような冒険活劇なんかではなくて、最悪のシナリオとしか言えないもの。


 ヒサと並んで歩く。

 この悪魔の地を。


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