第4章 逃亡
緊張が解けぬまま、朝を迎えた。
ラリサ達は「こんな物騒な街、早く出ようぜ」という意見で一致していた。
第四階層をうろうろと歩き回り、水や保存食を調達しようとする。
だが、そもそも旅人の多い第四階層では、水や保存食は不足気味だった。
店に残っていても、質の良くないものがほとんどだ。
同じく翌朝。
そっと部屋に入り込み、憔悴したように寝ているエレヌスを、ウィリスは心配そうに見ていた。
彼がいつ家に戻ったのかは分からない。
エレヌスは目を覚ました。起き上がろうとして、苦悶の表情を浮かべる。
「どうしたの、大丈夫、エレヌス?」
ウィリスは声をかけて、手を貸した。エレヌスが苦し気に息をのむ。
「?」
恐る恐る、上着をめくった。ウィリスが支えた背は、傷だらけで血だらけだった。
何か尖ったもので激しく鞭打たれたような、そんな傷痕だ。
「エレヌス! 一体どうしたの? 何があったの? こんな傷、自然には出来ないわ……」
「……」
気弱な弟は沈黙を貫いた。
ウィリスは目に涙を浮かべ、そうっと弟を抱きしめることしか出来なかった。
「今日は配達はいいから、エレヌスはお店にいなさい。ジャムを壺に詰めていてくれればいいわ」
そう言い置いてウィリスは、通路で繋がっている店へと移動した。
昨日煮詰めていたハッシュエキスは、出来上がったのか、もう専用の鍋も綺麗に洗われている。
第一階層では、果樹の類を、貴重な地下水で育てている者が居る。
そこから調達した果実を、ウィリスはジャム用に下ごしらえし始めた。
洗って皮をむいて、種を取って……。
父ヤスファルは、ゆっくりと起きてきて、不機嫌そうに出かける準備をしていた。
「何処に行くの? またお酒?」
「まあな」
ヤスファルはどうしてそんなに機嫌が良くないのだろう。
「……エレヌスが何かしたの?」
「お前には関係ない」
父は手を振って、酒場に向かう道を歩き出した。
丸めた背中が、何か隠し事をしている雰囲気だった。
酒場につくと、ヤスファルは安酒を頼み、不機嫌そうに足を揺らした。
「あのばか息子がしくじりやがるから、金が入らなかったじゃねえか」
「おや、今日は随分とお冠ですね」
サンカールが何も知らない風を装って、酒に付き合う。
ヤスファルはサンカールに愚痴をこぼした。安酒が回り、気心の知れた(と一方的に思い込んでいる)相手に、ヤスファルの口はするすると滑った。
「あの使えない息子、フィルリス族の生き残りだと暴露しちまおうか。今や希少扱いだ、富裕層でも数奇なかたなら、見世物用に買いあげてくれるかもしれねえ……」
そう。昨晩、ノス・ウェ・マノン――エレヌスは、珍しく、依頼に失敗した。
第一階層からの依頼に失敗したということは、貰えるはずだった多額の報酬金が、ヤスファルの懐に入らなかったということだ。
ヤスファルは、夜中に帰ってきた息子を、尖った鞭で激しく鞭打った。
――金づると思って養ってやっているんだ。金を稼げないならお前なんぞに価値はない。
そう、罵声を浴びせながら。
息子が依頼さえこなせていれば、自分は仕事を娘に任せて、酒を飲んでのんびり暮らせる。
実の娘は働き者だが、年齢的にまだ若く、そんなにばりばり働けるほうではない。
まして陶器の壺に詰めたジャムや調味料は重い。娘の細腕で配達なんて、そんなに沢山はこなせない。
実は全て、血の繋がらない息子の、闇の稼ぎに、依存していたのだ。
ぴたりとウィリスは足を止めた。
偶然にも、父の行きつけの酒場に、配達するものがあったのだ。
来てみたら、酔っぱらった父が愚痴を垂れ流していた。
サンカールらしき背中が、うんうんと頷いて父の背中をなだめている。
2人はウィリスが来ていることに気づいていない。
全て、聞いてしまった。
聞こえてしまった。
(エレヌス!)
ウィリスは慌てて店に戻った。
店ではエレヌスがジャムを壺に詰める作業をしていた。
「あ、おかえり……」
気弱そうに姉を見たエレヌスの腕を、強く引いた。
「ウィリス、痛いよ……」
弟の言葉も聞かずに、ウィリスは彼を連れて走った。
ずっと、どうするべきか考えていた。
しかるべき時が来たら、旅人に、弟を託すのがいいのではと思っていた。
時が来たのだ。
あの、金髪の旅人たちを探そう。
彼を安全な街に連れて行ってもらおう。
あの人たちなら、確実に、この砂漠の人間ではないのだから。
第四階層にて。
「店にも何もねぇのかよ。どうすんだよ」
手に入ったのは泥水が少しと、捌いたイカディノの干物が2枚だけ。
「これじゃあ一食分にも足りやしないぜ」
ラリサは毒づいていた。
「僕、これ欲しい!」
かんじきのような、さらさらの砂の上を潜らずに歩くための道具を見つけ、シドがせがむ。
「たけーよ。それより、白ラクダを調達してえなあ。そっちのほうが遥かにたけーが……」
ラリサは手持ちの貨幣を睨み、悩んでいた。
確かに金属の価値は多少違うとはいえ、金・銀は取引に使えた。
しかしこの砂漠を横断するのに、あとどれほどの距離を進まなければいけないのか、わからない。
路銀はなるべくケチりたかった。
そこへ、ウィリスがエレヌスの腕を引いて、駆け込んできた。
何か、ラリサの分からない言葉で叫んでいる。
「あのね、このお兄ちゃんを連れて逃げてください、だって。報酬として、水と食料とラクダをくれるんだって」
シドがラリサに通訳する。
「何かいい話が降ってきたよ、ラリサ」
「どういうことだ?」
ラリサはエレヌスをねめつけるように観察した。気弱そうに少年は視線を外した。
幾らか傷がある。そのうちの幾つかは、ラリサがつけた覚えがある。
「こいつ、砂漠の鬼じゃねぇか! この傷はそうだろ、俺がつけたもんだろ! 忘れてねぇぜ」
ラリサは首を振った。
「何で俺らを襲った相手を助けてやらなきゃいけねぇんだよ!」
「弟は、麻薬を飲まされて、砂漠の鬼に仕立て上げられているんです。決して本人の意思では無いの」
ウィリスは通じぬ言葉で必死に訴えた。
「彼の背中を見てください。こんなにひどく傷つけられて……脅されて、人殺しまでさせられて。このままでは弟は、もっと酷い目に遭わされてしまいます!」
エレヌスは上着を剥かれても抵抗せず、吹き付ける風に傷を晒した。
確かに酷い傷だった。エステレルが「軟膏を塗りましょう」と砂風の当たらないところに引き込むほどには。
「お願いします。彼を、出来ればこの砂漠の外にまで、連れて行ってあげて……!」
シドはウィリスの言葉を通訳して、そして尋ねた。
「で、お姉ちゃんは、手引きをしたってことになるけど、ここに残るの?」
「……はい……弟のためなら、命だって落とす覚悟は出来ています」
その答えを通訳され、ラリサは肩を竦めた。
「あのな、弟を想うなら、姉弟一緒に生き抜けよ。二人とも連れて行ってやる、但し水と食料、それに白ラクダも、ちゃんと人数分用意しろよな」
「有難うございます!」
ふと、ウィリスは、残していく父を思った。
でもあの愚痴を聞いてから、父を腹黒い酷い人としか思えなくなっていた。
「お願いします」
こうしてラリサ達の旅に、姉弟が加わった。
砂漠の果ての、誰も二人を知らない都市に到着したら、助け合って生きていくのだと心に決めて。
フィルリス族発祥の伝説に出てくる双子、魔女エル・レーンとイセル・ダグトのように。




