第2章 シドの正体?
見晴らしの良い丘の上、ラリサの家のほど近くで、シドの解呪の儀式が行われることになった。
エステレルは幾つか巻物を取り出し、難しそうな顔で解呪方法を調べている。
「きっとこの通りの魔法陣を描いたらいいんだと思うんですけれど……」
「よし、任せろ!」
ラリサはシドを助けたい一心で、巻物に描かれた魔法陣を再現する。
草や地面の上に湿らせた小麦粉をまいていき、見事に、いびつな魔法陣が出来上がった。
素人の描く魔法陣なんてそんなものである。
「それから、きっと薬草の力も必要になりますよね」
エステレルは小鉢を取り出し、おまじないの効果ありと言われている薬草を次々と放り込んでは、細かくすり潰し始めた。
「ねえ……このイワシの頭も、薬草のつもりなの?」
肝心のシドは、不安を募らせるばかりである。
「確かに薬草ではないですよ。でも、邪霊を寄せ付けないと言われているので、効き目がありそうかなって思いまして」
能天気に答えるエステレル。
小鉢の中は、表現の出来ない気持ち悪い色。
既にカオスである。
(まさかこれ、僕に飲めとか言われないよね……)
冷たい汗が背中に走るシド。
薬草だけでも苦くて嫌なのに、イワシの頭入りなんて、絶対にお断りである。
それでラリサが早くおばあちゃんになっちゃったって……でも、それは問題かも……でもでも、これを飲むくらいなら……。
「こ、殺して―! いっそ僕を殺してよラリサぁ!」
「ばか言うな、こちとら真剣にお前を助けようとだな……」
いびつで何だかよく分からない魔法陣を描き終え、ラリサは井戸から汲み上げた水で手を洗っていた。
「でもぉ、あんなの飲まされたら僕死んじゃうよぉ」
シドはエステレルの小鉢を指さし、わんわん泣き出した。
「大丈夫です。毒は入っていませんし、それに飲むものではありませんよ」
「え?」
「塗るんです」
エステレルはいびつな魔法陣の中央(?)にシドを導き、頭と顔にあのべたべた臭いカオスを念入りに塗りつけた。
「さて、これで巻物の記述通りだと、魔法陣が発光して、呪いが吹き飛ぶわけですが……」
勿論何も起こらない。
「呪文を詠唱せよって書いてあるじゃねーか」
横から巻物を覗き込んだラリサが突っ込んだ。
「そうなんですけれど、私には読めない字で書かれてあるんですよねえ……」
全くもって、使えない魔術師である。
研究専門なら、もっと語学も勉強しろよ。ラリサは更に突っ込もうとした。
「あれ?」
ところが、いびつな魔法陣が、徐々に光り始めていることに、シドは気づいていた。
シドに塗りたくられたカオスな物体が、腕や体を伝い、地面にどろりと触れた途端、物凄い痛みが全身を貫いた。
「うわああ!!」
シドの悲鳴が響いた。
強い風のようなものが魔法陣から吹き上げて、呪われた小さな体を引き裂く。
「痛い、痛い、痛いよぉぉぉ!!」
魔法陣の中で、シドの大きな鼻がもげた。肌がちりちりと焼き焦げていき、焦げ茶色だった髪が色を失った。シドはもんどりうった。体中が作り変えられていく、そんな感覚に、耐えられなかった。
意識が途絶える、そう思ったと同時に、風は止んだ。
魔法陣の光は消え去り、あのどろどろした液体も何処かへ吹き飛ばされてしまっていた。
真剣にその様子を見つめていたエステレル。
ラリサは、何が起きたのか理解できず、困惑していた。
「あなたは闇エルフだったんですね」
トロウルだった子供は、緑がかった金髪の、赤い瞳の、褐色の肌の、闇エルフに変貌していた。
「闇エルフにしては、肌の色が白かねーか? まあ、実際見たことはねぇんだが……」
闇エルフ(仮)に戻った子供は、くすん、くすんと泣いていた。
とても痛かったのだ。つらかったのだ。こんな思いをするくらいなら、トロウルのままで良かったとさえ、思っていた。
「それにしても、誰がこの子に呪いをかけたんでしょうねえ?」
呑気なエステレルの声に、シドの心が一瞬で沸騰した。
「こんなに痛いなんて言わなかったじゃないか! ひどいよ!」
泣きながらシドは片手を振り上げた。
「僕何にも悪いことしてないのに、お仕置きされるようなこと何もしてないのに、どうしてこんな痛いことされなくちゃいけないの! お前、許さないからな!」
振り上げたシドの片手に、ぽっと炎が灯る。
闇エルフは生来の精霊術士だ。赤い瞳は、炎の精霊の加護を受けている証拠。
「ここでその魔法を飛ばしたら、ラリサの家が火事になりますよ」
「構うもんか! お前、燃えちゃえっ!!」
怒り狂ったシドは、容赦なく火の玉を練り上げ、エステレルに向かって放った。
「お、おい待てよ、火事になるのは困るんだが……」
慌てたラリサの制止も耳に入らない。
ごうごうと音を立て、火の玉が、エステレル目がけて、飛んでいく。
「ティキ!」
エステレルの声がした。
ぱぁん、と空気が割れる音がした。
火の玉は確かに、エステレルに命中したはずだった。
だが、燃え上がる気配はない。
火の玉は、何処かに消えてしまっていた。
「ギィィィ!」
エステレルの肩で、森で見かけたことのない、有翼リスみたいな生き物が、全身の毛を逆立てていた。
金属が軋るような声で何度も鳴く。
この生物が、何かの力で、火の玉をかき消したのだろうか。
「反動がそちらに行きますよ! 魔法は消せても、魔気は消せないんです!」
エステレルは、シドを抱えて脇に避難するよう、ラリサに目配せをした。
ラリサはすぐに悟り、シドを安全圏へ移動させた。
有翼リスによって跳ね返された魔法の気配は、ラリサの家を軽く揺るがし、やがて収まった。
静けさが戻ってくる。
闇エルフとなったシドは、ラリサの腕の中で、震えていた。
自分が初めて放った魔法の威力に驚き、そして、自分を恐れていた。
ラリサの家がみしみしと音を立てるのを聞いた瞬間、目が覚めたように、自分の能力を知った。
これは、安易に人に向けてはいけない能力だ。
シドは自分が怖くて泣いた。ラリサは、優しく頭をなでてくれた。
エステレルが燃えて死んでしまえばいい、なんて、恐ろしいことを考えた自分が許せなくて、泣きながら謝った。
「ごめんなさい」
「こちらこそ、申し訳ありませんでした。術中の痛みを緩和するための調合が抜けていましたね」
エステレルも近づいてきて、あの蒼白で死神のような手をそっと伸ばし、シドの涙をぬぐった。
見た目は死神のような手だったが、ほんのりとあたたかかった。
「もしも、よろしければですが、仲良くしてくださいね、シドくん」
「……っ」
えぐえぐと泣きじゃくっていて、シドはすぐには答えられなかった。




