第2章 泉を巡る決闘
町同士で、商人たちの小競り合いが発生した。
そのまま飲めるほど綺麗な水の湧く泉を、先にどちらが発見したかで、揉めに揉めた。
水は宝だった。泥水でさえ、漉して沸かして飲み水にするくらい、貴重だった。
澄んだ水の湧く泉を、誰もが欲しがった。
商人たちは傭兵を雇おうと、バルテオギルドにそれぞれ依頼した。
「こういう厄介ごとは困りますね」
バルテオギルドでもその案件は持て余された。
「そもそもバルテオは、幻獣魔獣から人間を守るためのものであって、傭兵じゃないんですが」
「そこを何とか!」
どちらの町の商人たちも、出来る限りの金を積み、ギルドを渋々ながら動かした。
こうして、バルテオのギルド支部に、町同士の諍いのため、双方の町に傭兵が求められた。
嫌でも立ち寄ったラリサの目に留まる。
「2つの町で、泉を共有すればいいじゃねぇか」
ラリサはあほくさいと言う顔で、壁に広げられた依頼書を見た。
「それじゃ双方が納得しないんですと。どっちかが所有権を主張したいらしいんで」
「で、使用料をぶんどる腹積もりってやつか。商人ってのはこれだから……」
ラリサは肩を竦め、「よし、俺が片方受けてやる」と契約書にサインをした。
ギルスベイ山はもう随分離れてしまった。
今では霞のように遠景に覗くばかり。
痛む胸を引きずって、形見の剣を背負って、ラリサは自分の心にケリをつけようと努力していた。
親しい者との死別など、この世界ではよくあること。
戦で命を落としたり、旅路で遭難したり、飢えたり病に冒されたり。
……ただ、あんな形で別れを迎えるのなら、分かっていたのなら、一言伝えておきたかった。
きっと、機会があっても言えなかった、その一言を。
それがラリサには悔いになっていた。
ラリサには、サークが精霊狐として目覚め、この付近に来ていることなど分からない。
気配も感じ取れないし、会話もできない。
彼女にとって、サークは既に、この世から失われた存在であった。
「で、どっちについたの?」
「ビアジ町だ」
宿に戻って、依頼を受けたことを報告する。シドの問いに答え、ラリサは剣の手入れを始めた。
今では愛用の剣に加えて、相棒の遺した形見の剣アシュミールの手入れも続けている。
「アデット町のほうは、屈強な男バルテオを雇ったそうですね」
「バルテオは男だらけだし、屈強なもんだ。俺だってそう簡単にやられはしねぇよ」
エステレルの言葉にさらりと返すラリサ。
「町同士の諍いの規模が大きくなると、歯止めが効かなくなる。そこでだ、俺とあっちのバルテオで正々堂々と決闘を行う。勝ったほうの町が泉の所有権を主張できる。とまあ、そういう筋立てにしてある」
決闘の日が近づいてきた。
3人は町を移動し、ラリサだけが泉のそばにテントを張った。決闘相手も同様にテントを張る。
それぞれの町の人たちが、2人を鼓舞しにやってきた。何しろ泉の所有権がかかっているのだ。
バルテオ2名には、それぞれご馳走が振舞われ、酒が提供され、町の女が踊りや歌を披露した。
精いっぱいの激励というやつだろう。
だが、ラリサはストイックにご馳走を遠慮し、酒を控えた。
女が踊っても、素知らぬ風で寝た。舞台芸術にはさして興味を持たなかったし、休みたかった。
ラリサの相手は違った。相手が女バルテオだと知って、もう勝った気でいた。
ご馳走を食べまくり、酒をがぶ飲みし、女の踊りや歌に酔いしれた。
更に彼は、遊女を所望した。この地方で最高ランクの女を連れてこい、と無茶を言った。
アデット町の人々は途方にくれたが、財力を絞り出し、大きな街からシェリアを呼び寄せた。
「なんだ?」
豪華な馬車が止まる音で、ラリサは目を覚ました。
御者が手を貸して、シェリアが馬車から降り、すっぽりと頭部を隠した姿で相手のテントに入っていく。
高級遊女というものは、そうそう簡単には、人前に顔を晒さないものだ。
更に、馴染みの客でない者には挨拶も殆どせず、学と金が無いと相手にもされないものである。
大金を積んだところで、呼びだすことは出来ても、相手にされることはまず、かなわない。
男バルテオはシェリアの到着後、ほどなくして鼾を立て始めた。
シェリアは御者の手を借りて馬車に乗ろうとして、ラリサの姿を目に留めた。
シェリアからはラリサが見えても、ラリサからはシェリアの顔は分からない。
頭部からすっぽり被っている布が邪魔をしている。
「あなた、女性なのにバルテオなのね」
ラリサに向かって、シェリアは声をかけた。
甘い薔薇のような化粧の香りがした。
「そうなの、女性なのにバルテオになれたのね……」
「ネイ先輩?」
自分と入れ違いに辞めていった女子のことを思いだし、ラリサは尋ねた。
「わたしを知っているの?」
「ネイ先輩に憧れて養成機関に入りました。入れ違いになってしまったのは残念です」
ラリサは敬語で答えた。
シェリアはすっと木片を手渡した。高級遊郭の位置を示す符号が刻まれている。
「わたしはここにいるわ。今度、訪ねてきて頂戴。……それから」
言葉をためて、シェリアは続けた。
「おめでとう」
「へ?」
ラリサは意味が分からなかった。
何がめでたいというのか。
豪華な馬車はゆっくりと悪路を去っていく。
そして朝。
男バルテオはあっさりとラリサに負け、地面に膝をついた。
「おかしい。こんなに体調がすぐれないなんて。昨日までは調整できていたのに」
「食べ過ぎプラス飲み過ぎだろ」
「違う! 体が自由に動かないんだ。力が入らない……」
それどころか、どんどん力が抜けていく。
膝をついた男は、どうと地べたに倒れた。斧を握っていた手はゆるんで、斧を離した。
口も半分閉まらなくなり、よだれがたらたらと地面にあふれた。
「流石にこれはおかしいですね」
野次馬をかきわけて、エステレルが様子を見に来た。
かるく診察をして、「遅効性の神経毒を刺されています」と彼は告げた。
そんなことが出来る者が、この2つの町にいるであろうか?
いや、いない。
いるとすれば――。
「ネイ先輩か」
ラリサは、昨夜、呼ばれた割にすぐに去っていった、遊女の姿を思い浮かべた。




