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黒の雄羊  作者: みお
第1章
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第5話  要塞都市アルゴ(2)彼女の名は。

 木が焼け、赤々と石造り廊下を照らし出す。窓の少ない砦は、日のあるうちでも明かりを燈さなければ暗く、不便だ、と誰かが言っていた。



―――そうか。ニンゲンは不便な生き物じゃの。



 そんな話をしたのは何時だったか。


 トゥーレッカは様々な出来事を思い出しながら、かつての住まいを独り歩く。そのどれもが楽しかったのだから、ここで過ごした日々は間違っていなかったのだろう。



「ふふ……」



 静かに笑って、傷の入った石壁を撫でる。



―――ここはあの子らが喧嘩をして傷をつけた場所じゃ。



 アルゴを出て数十年。久しく見なかったモノ達は皆、心も身体も成熟させ、その見た目を変えてしまっていた。それには心底驚かされたし、開いた口を塞ぐこともできなかった。

 微笑む彼らの顔を見ながら、



―――現世を生きるモノ達に関わってもいいことはない。



 誰かに教えられた言葉が浮かんで、消えた。

 時の概念の外を歩くトゥーレッカに、彼らは身をもって時の流れを教えてくれた。やがてはまた別の姿へと変わり、その命を燃やすのだ、と。その時には彼女の事など綺麗さっぱり忘れて、また新たな道を歩むのだろう。笑いながら。何もかも忘れているのに。



―――こういうことか。



 漸くその意を理解できたらしい。彼女は自嘲する。

 己は全てを覚えているのに。彼らは何も覚えていない。ただ、静かに、彼らの中から消されるのだ。何と複雑な気持ちだろう。

 そんなことをぼんやりと考えていた、あの時と全く何も変わらないトゥーレッカを、町のモノ達は相変わらず暖かく迎えてくれた。単純に嬉しかった。それは間違いない。



「お変わりなく……、トゥーレッカ様」



 そう言って手を握り泣いたのは、あの時まだ幼かった子。今では立派に、あの時の自身の姿とそっくりな子を成し、次へと命を繋いでいる。



―――面白いものだ。



 トゥーレッカは相変わらず届かない、高い位置に造られた窓から空を見上げて微笑む。



―――私は何も変わらないというのに。



 太陽に翳した手はあの子の子供の様に小さく、影を作るには心許ない。あの子の子供はまたトゥーレッカより大きくなって、また小さな子を作るのだろう。そうしてまたその子が自身を追い抜いて行く。



―――姿を変えるとはどういう気持ちなのかの。



 トゥーレッカは砦の子供たちがそうする様に、石壁をなぞり、歩いた。必ず一つ、石を飛ばして。まるで弾む様に。

 あの時もこうして、皆で遊んだものだ。走ったり、跳んだり。時には悪戯をして。あの時の彼らはもういない。彼らは大きくなった。今、同じように遊んでくれ、と言ったらどんな顔をするだろう。

 トゥーレッカは立ち止まり、目を伏せる。

 それは今までに感じた事のない感情だった。



―――あぁ、私は寂しいのか。



 漠然と思う。



―――友を失って。



 小さな胸の辺りがしくしく、と痛んで、思わず自身を抱きしめる。無性に人肌が恋しくなった。



―――ベルンハルトの言うアレはコレの事か。



 小さな身体を更に小さく丸めて、彼女はその場に蹲った。

 世界にたった独りきり。そんな名前も知らない気持ちに吐き気がする。



―――彼女達は新しく始めるのに。



 ぐるぐる回る思考。何処へ行っても行き止まり。自分はどこへも進めない。



―――彼女達は新たな道を得られるのに。



 そこまで考えて、



―――あぁ、そうか……。



 彼女ははた、と何かに気づく。

 それは自画自賛しようとも、誰からも笑われないくらいの名案だった。彼女にはそう思われた。

 少女は弾かれる様に顔を上げる。その目線の先。高い窓から差し込む光が大きく伸びて、行く先を明るく照らす。



―――彼女達が忘れてしまうのなら、また探して会いに行くのも面白い。



 出迎えの時、もうその場に姿のないモノも多く居たから。きっとまたどこかで新しい人生を始めているのだろう。その生に再び関わり、今度はトゥーレッカ自身が教えるのだ。時の流れを。



―――話してやろう。彼女達が生きた時代の話を。



 彼女達が忘れていようと構わない。

 自慢の友は確かに居たのだから。

 彼女達の知らない、彼女達の話を。

 そうして、もう一度。



―――友になるのじゃ。



 そう考えると、沈んだ気持ちも軽くなった。

 トゥーレッカは再び立ち上がり、その心と同じように数歩弾んで、少しだけ廊下を駆けた。遠慮がちに。そして、立ち止まり、そうっと辺りを見回してみる。

 後ろに続くのは石造りの暗い廊下。今では焼きたてのパンを運ぶモノも、大きな水瓶を運ぶモノも、分厚い甲冑をガチャガチャ鳴らすモノも居ない。あの時の賑わいは、今は幻。



「わぁーっ!」



 トゥーレッカは腹の底から叫んだ。それは響いて、暗闇に吸い込まれる。後に残るのは静寂。遠くで軍旗がはためいて、馬が嘶いた。

 暫く立ち止まっていたが、あの怒声は聞こえず、あの飽きれた顔も見ることはできなかった。今、彼女を咎めるモノは誰も居ない。

 トゥーレッカは思い切って走ってみた。幅の狭いそこを誰にも邪魔されず駆け抜けて、角に差し掛かったところで石壁に手をかける。小さな掌を支点に、振られる身体を抑え、器用に曲がり、今度はその勢いのまま大きく飛び上がって、



「よっ」



 届く筈もない天井に手を伸ばす。

 


「なんだ、悪くないなっ!」

―――時の流れとやらも。



 あの時出来なかった事を思う存分やって、弾む息に笑顔が零れた。そうこうしていると、目的の場所へと到着する。

 考え事はここで終わり。今はやるべきことをやらなくては。

 トゥーレッカは上がった息を整え、少し奥まったそこを覗き見た。すると、見知った黒衣を身に着けた男と目が合う。彼は少し驚いた様子を見せた後、直ぐに身を正した。



「ちゅ、中尉殿っ! 如何なさいましたかっ?」



 その腰は低いが、どこか胡散臭い。彼は少しだけ声を落とし、執拗に扉を気にする素振りを見せた。



「ベルンハルトは中かの?」



 その不審な動きに些か疑問を感じながらトゥーレッカが首を傾げると、男は少し俯いて、気まずそうに視線を逸らした。



「あ、あの、いや、お休みになるそうで……」



 その頬がほんのり赤いのは気のせいか。



「そうか。まぁ、よい。ではエリゼオが中か」



 気配はするのだから、居るのは間違いない。今度は逆の方に首を傾げ、男の顔を覗き込む。それはそこをどいてくれ、の意だったのだが。



「あ、あの……」



 詰め寄られた男は耳まで赤くして、俯いてしまった。



「なんじゃ、私は中に用があるんじゃ」



 頬を膨らませ、その容姿に見合った怒り方をした時、



「ん?」



 トゥーレッカの耳が僅かな音を拾った。それは確かに聞き覚えのある声。



「何じゃ、取り込み中か?」

「あ、う……。あの……、あ、はいぃ……」



 黒服の男は観念した様に項垂れて、上目にトゥーレッカを見る。



「誰も入れない様に、と……」



 扉の向こうに聞こえる物音。



「またくっ。ヒトの城で何しとるんじゃ」

「すっ、ぅみません」

「なんでお前さんが謝る……。仕方がない奴じゃのぉ。で、体よく見張りを頼まれたのか?」

「あ、ぅ、は、はいぃ……」



 消え入りそうな声で彼が呟くので、なんだか哀れな気がしてきたトゥーレッカは、



「長旅じゃった。お前さんも疲れて居るじゃろ? さっさと休め」



 そう言って、手を振って見せた。



「え? あ、でも……」

「なぁに。気にする事は何もない。ここには友が沢山おっての。お前さんの代わりは幾らでも頼める」



 小さな上官の大きな心遣いに、黒衣の男は痛く感動した様子で頭を下げる。



「あ、ありがとうございますっ!」



 彼は何度も深く頭を下げ、礼を言い、更にもう一度頭を下げて、その場を後にした。



「まったく……」



 黒騎士の背を見送って、呆れた様子でトゥーレッカは首を振る。その物言いが彼に似たのは時の仕業か。己の気づかぬうちに随分とニンゲンに近づいたらしい。なんだかそれが嬉しい様な気持ちになって、少女は思わず自嘲する。

 と、その耳に聞こえてくる彼の声。

 続くのは猫の鳴き声か。



「まぁ、長旅じゃったしな」



 トゥーレッカは訳知り顔で呟いた。これでも地上は長いのだ。

 仲間を引っ張り込むことはないだろうから、きっとここで引っ掛けたのだろう。男か、女か。漏れ出る声からは判断できず、彼女は肩を竦める。なんにしても元気そうでよかった、と笑い、



「まぁ、急ぐもんでもない。今宵開かれる夜会で紹介するかの」



 彼女は幼い少女の体で、老体を労わる様な仕草を見せた。それは獣の真似遊び。



「さてさて、代わりに立てる見張りは誰がいいかのぉ」



 その浅い眠りの中で、魂の欠片は生を謳歌する。それはとても楽しい夢物語。



「できれば口の軽い奴がいいのぉ」



 先を想像した少女は厭らしく、にたり、と笑う。



 

 高い、高い空の向こう。眠る獣もまた、彼女と同様に口角を上げた。それは、それは、楽しい夢を見て。

 そうして獣は大気を揺らし、雲を擽り、やがて遥か、遥か遠くの彼方。夢とは遠いどこかに雨粒を落とし、あらゆる命を潤わせる。


 彼女の名前はトゥーレッカ。そう、ただのトゥーレッカ。誰の股座からも生まれなかった。強いて言えばとあるモノの心臓から生れ出た。彼女は己の尾を咥え、遥かな時を眠り続ける。彼女は魂の欠片を地上に落とし、楽しい、楽しい夢を見る。


 彼女の名前は儚い夢。第十三黒騎士師団、第二中隊隊長で、泣く子も黙る中尉様。その姿は幼いが、師団の中では参謀で、黒騎士と呼ばれる沢山の仲間や、アルゴという寂れた町に友が居る。沢山の旅をして、沢山の世界を見て、沢山の生に触れ、ニンゲンの真似をする。


 彼女の名は。


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