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黒の雄羊  作者: みお
第2章
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第27話 辺境の村 ヒウッカ(17)

 木造りの屋根を雫が伝う。朝日に輝いたそれは揺れ、重力に負けてやがては落ちた。

 雨垂れが穿った地面は小さな窪地を作り、大小の砂利に囲われた溜まりとなる。微かに吹く風が水面に波紋を作り、探る様に覗き込んだ小鳥が首を傾げた。

 ぬかるんだ地面を踏むのは鉄の靴。重いそれは地表に浮いた砂利を嚙み、耳障りな音を立てる。驚いた小鳥たちが軽やかな羽ばたきを残し、青に染まった空へと吸い込まれた。彼女達が残すのは雨雫。濡れた木々から零れたそれは煌めいて、見るモノが居たならば宝石の様だ、と目を細めたに違いない。

 しかし、残念なことにこの長閑な辺境の村には、現在、余裕のあるモノは一人も居なかった。美しい毛皮を纏った獣人に占領されていたそこは、誰もが息を殺し、戦況を窺っているのか、今も尚静まり返る。

 気配こそすれ、姿は見えない村中に響くのは耳障りな重い音。

 壊れた建物内で作業に没頭する黒い羊達は手を止めない。瓦礫を掻き分け、最早使い物にならないそれらを窓だった穴から外へと投げ捨てて、中から引きずり出した、息のあるニンゲンは酒場の床へと丁寧に寝かせて行く。後は療治手の役目であるから、現場に詰めた黒騎士はそれ以上手を出さない。そうしてまた瓦礫の山に向き合い、選別を繰り返す。生、死、生、死、そして瓦礫。

 ヴェイは手際よく片づけを進める黒騎士達を見やりながら、背を向けた、酒場のモノが利用していたであろう暗い廊下へと視線を送る。その時めん(ぼう)をなぞったのは口寂しさを感じたから。もしかすると肩を並べた上官との対話に、自身が思うより緊張し、疲弊したのかもしれない。

 エリゼオは脚の曲がった椅子の上で腕を組んだまま、それをちらり、と見やって、大口を開けた入り口から朝日の眩しい外へと目を向けた。

 本来なら埃っぽく霞んで見える筈の赤い地面が朝日を受けて輝いて見えるのは、たっぷりと水分を含んでぬかるんでいるせいだろう。忙しなく出入りする黒騎士が偶に光を遮るが、その図体が移動する度にきらり、と彼の目を焼いて、雄羊は至極不快だ、と弁柄を顰めた。

 その縦割れの虹彩が追うのは、ニンゲンを背に担ぐ黒騎士の後姿。まるで小麦の袋でも担ぐ様に無造作に担ぎ上げたそれは力なく、揺られるままに手を振る。

 間の抜けた光景に鼻を鳴らせば、不謹慎だ、と諫められるだろうか。

 エリゼオは苦く零れた笑みに皮肉を乗せて、堪えられなかった溜息を短く吐き出す。

 彼自身、ニンゲンが好きではなかったし、寧ろ他者は疎ましい、と思う質だった。それでも彼らの死に胸が痛むのだから、一丁前に共感性は持ち合わせているらしい。もしかするとそれは群れる動物の本能でしかないのかもしれないが、彼らを知るモノが彼らの姿を見た時、少しでも傷が浅くなる様に、と柄にもなく願った。



「ヴェイ……」



 まるで独り言の様に吐き出した長の指示を、傍らに立つ黒騎士は笑わなかった。

 そうする事に意味があるのかは分からない。それは直ぐに水分を吸って地面を写したし、凹凸のある、冷えたそれからきっと身体を保護する事も適わないだろう。それでも、長の意を実行するようヴェイに指示を受けた下官は意見する事もせず、僅かばかり頭を出した青草を踏みつけて、ぬかるんだ地面に綿布を広げて敷き、跳ねる泥で汚さない様に気遣った。

 これはせめてもの慰め。さすがに息絶えたモノを無造作に地面には転がせないから。

 群れ長が溜息を吐けば、察しのいい下官は口を開く。



「十分ですよ」



 何が、とは言わない。

 腰を曲げ、ヴェイが伺う様に笑むと、雄羊の兜の下で弁柄が緩む。



「そう願う」



 次々と掘り出される死体は、そのどれもが重い鎖で手足を拘束され、首を繋がれていた。物言わぬ彼らと向き合う黒騎士は無言のままに腰の短剣を抜き、自由を奪う鉄輪の隙間に刃を滑らせて捻ると、彼らを忌々しい呪縛から解放した。そうして重さばかりを増した身体を背負い、外へと運び出す。血の気を失った彼らは酷く冷たい。それは革越しであったし鉄越しであったのに、身体の芯を冷やして、背筋を震わせる。常にその影を垣間見る彼らでさえ、慣れはしない。それは薄ら寒い気配だった。

 黒騎士は彼らを綿布の上に寝かせると、胸の上で手を組ませ、瞼をなぞってその虚ろな瞳を覆い隠した。

 憐れみか。はたまた恐怖によるものか。

 尋ねれば彼らは一様に首を振ったに違いない。これは生者に対する慰めに過ぎず、そこにそれ以上の意味は存在しない、と。近しいモノを多く失ってきたからこそ、諦めにも似た達観が彼らにはあった。

 エリゼオは室内へと視線を戻し、未だに瓦礫の中で項垂れたままの赤い頭を見やる。力のないそれはいつも輝いて見える美しい金を覆い隠して、悲壮さを漂わせているが、不規則に紡がれる呼吸音は確かに彼の生を主張しているし、僅かに反応を返す四肢には間違いなく、外に転がっている彼らの様な弱さはない。

 喚き散らしてしまいたい程の、けれど向けようのない憤りがそこにはあったが、今はただ、それだけで十分だった。

 エリゼオはふらり、と立ち上がると、



「アッシ」



 静かに傷ついた臣子に声を掛ける。

 僅かに下がった場の空気に、どこか怯える風を見せた彼に腹の中で笑って、



「直ぐに療治手も合流する。もう少しだけ我慢しろ」



 努めて平静に、いつもの様に口をあまり開けもせず、言葉を音にした。

 背を支える様に、それでも触れることはなく平だけを差し出して長の脇に立ったヴェイは、自身の直属の上官でもある頭役に酷く似た男に笑って、それではいけない、と直ぐに口を結んだが耐え切れず、



「ふはっ」



 結局噴き出した。

 群れ長は微妙な色を浮かべた弁柄で彼を見たが、作業に当たっていた黒騎士達の幾人かは釣られて密やかに肩を揺らした。



「笑うな」

「申し訳ありません、中佐殿。余りにも……、頭役に似てらっしゃる、ので」



 くくく、ヴェイが喉を震わせれば、エリゼオは至極嫌そうな顔をする。



「一緒にするな」

「そう、ですね。もしかすると中佐の方が、より温かいかもしれません」

「は?」



 生温い表現に、エリゼオの片眉が持ち上がる。

 困惑を隠せない長の姿に、今度こそ黒騎士達は噴き出した。

 そんな幾分か暖かさを増した室内で、



「……」



 瓦礫の中から再び村の男を掘り当てた黒騎士の一人は目元を緩ませていた。

 それは自身が尊敬して止まない長が、思う以上に懇篤な気質だったせいもあるが、腕の内に抱いたニンゲンが微かにではあるが胸を上下させ、生命反応を見せたせいでもあった。

 柔らかく、温かな身体。革越しに感じるそれに酷く安堵する。



「……」



 黒騎士はその場で膝を折り、村の男を拘束する鎖に手を掛けた。一刻も早く解放しよう、その一心で短刀に力を籠めた。

 ところで、



「ひっ!」



 突如目を見開いた捕虜は悲鳴を上げ、黒い羊の頬を打った。

 響く甲高い音。

 重い鎖が床を擦る。

 そうして落ちる沈黙。



「はっ、あわっ!」



 無言で固まった羊の群れに、現状を把握できない村の男は目を白黒させて慌てふためいた。今、自身を抱きかかえ、見下ろすのは真っ黒な何か。あの時、猫に腕を引かれた仲間を惨たらしく殺めた、あの黒と同じ何か、だった。

 大きく開いた瞳孔の中に自身を見て、男は震えあがる。とにかくこの恐ろしい生き物から逃げなければ、と思った。



「ひっ、ぃっ!」



 彼は手足の自由を奪われたままもがき、硬直した羊の腕から床へと転がり落ちた。

 強かに打ち付けた身体は酷く痛んで、息も詰まった。それでも震える身体で必死に床を引っ掻き、抜けてしまった腰を、下肢を引き摺る。



「たっ、たすけっ!」



 誰に向けた言葉だっただろう。

 とにかく必死で、瞬いた目からは涙が零れた。



「助けてっ!」



 人生とはどうしてこうも波瀾万丈なのか。貧しくとも、ただひっそりと暮らしていければそれでよかったのに。ただ、平穏無事に。他には何も望まなかった。それなのに。

 床を這って、壊れたテーブルに身を寄せた。割れた瓶が腿を大きく傷つけたが、そんなもの構っていられない。今は生きるか死ぬかの瀬戸際だ。

 男は震え、頭を抱えた腕の隙間から真っ黒な獣の様子を伺った。



「……」



 それは口を開かない。ただ、ゆらり、と身を起こして、僅かに首を傾げて見せる。絹の様に柔らかな音を立てて流れた黄藤の鬣が嫌に鮮やかで、艶光りさえする体躯をより不気味に飾っているとは思いもしないのだろう。可笑しな程震える身体を掻き抱きながら見上げたそれの目は、怒った猫同様真ん丸だった。



「ひっ!」



 再び動き出した羊に、村の男は頭を庇う。



「たすっ、たすけてっ!」



 黒騎士は目を覚まし、怯えてしまったニンゲンに困惑しながらも、長の手前職務を放棄する訳にもいかず、肩を落として再び男の前で膝を折った。

 なるべく威圧的に見えない様に。

 なるべく好意的に見える様に。

 ニンゲンと比べれば大きな身体を小さく縮め、子を迎える母の様に両手を広げ、差し出す。



「ひぃっ!」



 反射的に上がるのは悲鳴。最早本能から来る防衛反応は、音を吐き出した口元を歪ませ、顔を引き攣らせ、肢体を強張らせる。

 仕方ない事だ、とは思う。これまで長い事、虐げられ、ひどい扱いを受けてきたのだから。そう思うのだが。



「うあっ!」



 自身の一挙手一投足に一々過剰に反応する男に、うんざりしたのも本当だった。彼の生を喜んだ自身を酷く呪いながら、黒い羊は重い溜息を吐く。

 気にするな。これは仕方がない事。気にしては負け。今はとにかく与えられた任務に集中する。

 何度か深呼吸を繰り返し、ゆるり、と目を開けて、再びニンゲンを見る。

 大丈夫。



「くっ、くるなっ!」



 ではなかった。

 威嚇にも似た拒絶に思わず怯む。

 昔から大きな音は苦手だったから。

 黒騎士は咄嗟に押えた両耳に痛みを感じながら、顔を顰めた。

 煩い。頭が痛い。

 眇めた目に映ったニンゲンは、脱水か、飢餓か。若しくは両方であったのかもしれないが、落ち窪んだ眼を不自然に動かして、乾いて見える瞼からそのまま落っことしてしまうのでは、と不安にさせた。

 それは勿論杞憂ではあったのだけれど。



「助けてっ! 助けてっ!」



 何度も発せられる、誰に向けての救難信号かも分からない甲高い声は、下の腹の内側をぞろぞろ、と撫でて不快にさせたし、何より悲鳴を上げる彼の目が、行動が、都で長年受けて来た仕打ちを思い起こさせ、胸の内を引っ掻いた。

 慣れてはいるが傷つかないわけではない。

 臓腑を煮えさせる怒りが背骨を震わせる。

 しかし、怯えるニンゲンは軍人でもなければ仲間でもない。彼は力のないニンゲンで、護られるべき立場にある、らしいので。



「触るよ?」



 語尾を上げて問いかけはしたが、返答を待つ気はなかった。

 黒騎士は顔の前で固く握った男の手を傷つけない様に軽く押さえ、手にした短刀を握り直す。

 自身は騎士で、相手は文民。何より相手は依頼を寄越した村のモノで、黒騎士のおまんまの種。今はただ、黙って彼の足から流れ出る血を止めなければ、延命した命が無駄になる。

 それが現実で、それがただ一つの事実。



 ―――耐えろ、耐えろ。



 黒騎士は胸の内で何度も唱えて、短く息を吐いた。そうして切っ先を村の男へと向ける。

 光る刃。



「やっ、やめっ!」



 冷たく固い感触。

 手甲をつけているのだから当然なのだが、



「っ!」



 村人は声にならない悲鳴を上げて、下がれない身体を精一杯瓦礫の山に押し付けた。そうして白黒させた目に真っ黒な獣を映し、寒くもないのに歯を打ち鳴らす。瞬きと同時に流れた涙は頬を伝い、彼の手を取った羊の腕まで濡らしたが、気遣う暇さえない。



「や、やめてくれぇ……」



 零れ出た声は情けないほど震えていた。


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