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黒の雄羊  作者: みお
第2章
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第9話 森の中で(1)

 こうして半日強。全速力で走り抜いた一団は、真っ暗な森の中で、静かに雨に打たれることとなった。

 大粒の雫は鎧の隙間から入り込み、背筋を伝って流れ落ちる。鳥も虫も息を潜める今夜は、星の一つも見えない。真っ黒で厚い雲が低く、どこまでも続いて、空を覆い隠しては気持ちを鬱々とさせた。湿って冷たい風が木々を揺らし、色付いた葉を落としては、水溜りに波紋を残す。



「アイツ等、酷く臭う」



 ベルンハルトは内で、静かに怒りを吐き出すエリゼオを見ていた。眉庇を下ろした男の表情は読み取れない。ただその言葉が如実に物語る。

 猫が嫌いだ、と。

 まるで青い炎の様だ、とベルンハルトは思った。冷たく見えて、触れれば酷く熱い。その烈火が、理性まで焼き尽くさなければいいが、と思う。黒騎士師団の理性は彼、と言っても過言ではないのだから。



「……」



 軍馬が濡れた尾を振った。落ちた雫が下草を揺らし、冷えた風が黒騎士達の身体を凍えさせる。美しい馬体が雫を弾く様を眺めながら、一団はただ黙って雨に打たれ続ける。



「あっ、と。俺達も行きましょうか?」



 一番にしびれを切らせたのは、案の定とでも言うべきか。テルセロだった。彼は静かに上官の背後に付け、喉を鳴らす。



「寒いし、俺、見て来ますよ?」



 彼は遠慮がちに口を開いて、軍馬の鬣を弄った。

 上目に小首を傾げる姿は小動物を思わせるが、闇に光り、浮かぶ金目は野性を覗かせる。ニンゲンが見れば、その狩人を思わせる瞳に悲鳴を上げ、化け物だ、と罵り逃げただろうが、黒の群れにそんな痴れモノは居ない。寧ろ似通ったモノばかりなので、気にも留めない、と言った方が正しいか。

 テルセロの拗ねた仕草にベルンハルトはエリゼオを見て、振られた彼は面倒そうに首元を掻いた。そんなやり取りもいつもの事。

 打ち付ける大粒の雨雫に鎧を鳴らし、エリゼオは特に何も言わず、後方に付いた黒騎士の隊列を見やった。頭を下げ、ただ耐える群れは容赦のない雨に飾り毛を濡らす。時折瞬く彼らの目は鏡の様に煌めいて、殺気さえなければ酷く美しく見えたに違いない。

 群れ長は鼻を鳴らし、向き直って、



「ゾフィーヤ」



 静かに魔女の名を呼んだ。



「はい、中佐」



 それは彼の胸の内で、とても優しい声を出す。

 エリゼオは上官とは違う、頭に響く涼やかな声に苦く笑って、首元を這う感触に身を捩る。



「幾らやっても慣れないな」



 喉を鳴らせば、首筋に文字を記した術が騒めき、質量を伴ってエリゼオの首元から這い出した。それは黒を白にした蛇。細い縄の様にも見える胴をくねらせ、頭を持ち上げると、赤い舌を出し、彼女の声で彼女の言葉を吐く。



「どうしました? ご飯はお仕事が終わってからですよ?」



 鈴の様に笑う声に、嫌味はない。

 エリゼオは胸元で淡く光る蛇に溜息を零し、



「お前まで俺を困らせないでくれ……」



 兜を指先で叩くと、蛇が笑い、ベルンハルトも笑った。



「ったく……」



 エリゼオが唸れば、



「ゾフィ、いいよ。帰って来た」



 ベルンハルトが言葉を継ぐ。

 忙しない彼らに笑って、ゾフィーヤは白蛇の身体を借り、頭を下げる。



「問題ないようですね。では、また後程」

「うん。雨の中ごめんな」

「いえ、ご心配なさらず。こちらは何の問題もありませんから。それより准将。この先、十分お気をつけて」

「うん、ゾフィも。ヴィゴから離れないで」

「はい」



 言うと、白蛇は少しの間動きを止めて、暗闇に溶けた。

  エリゼオは笑う上官の視線を追う。

 未だ弱まる気配さえない雨が地面を叩き、暗い森を白く霞ませた。小さく跳ねた雨粒は下草を揺らし、水溜りは波紋を生んで暗闇に歪む。それを更に乱すのは微かな息遣い。

 獣道の先、暗闇から足音もなく姿を現した彼女は、ずぶ濡れの黒騎士の傍に駆け寄ると、



「なんじゃ、遅かったか?」



 憮然とした態度で、獣に跨る彼らを見上げた。



「いや、エリがさ」

「准将……」



 上官達がじゃれ合うと、



「なんじゃ、エリゼオ。良い根性しておるな」



 小さな彼女は仮面を上げ、幼いながら整った顔を歪めた。

 騎士とは違い、敵や標的に気づかれず暗躍する彼女達は、身軽さを重視する。その為兜はなく、吻の短い素顔を隠す為の仮面に、軽い革の防具を好んだ。その姿はテルセロやアッシと同じ。一見すれば盗賊の様にも見えるが、彼女達は物を盗むより、斥候や暗殺を得意とする。



「これでも急いだんじゃぞ」



 珍しく弾んだ息。

 彼女が赤らんだ顔を膨らませると、幼い顔が更に可愛らしく見えた。その愛らしい姿の下に、恐ろしい本性が隠されている事を知らないモノはここには居ない。

 エリゼオは僅かに、顔面を引き攣らせる。



「あぁ……少し心配しただけだ、トゥーレッカ」



 慎重に言葉を選んだ結果、不自然に声が上ずった。

 ベルンハルトは思わず吹き出し、それを見た彼女は気分を害したのか、眉を寄せた。



「トゥ―リー、かわいいからなぁ」



 腹を抱えながら目を細める男に、トゥーレッカは片眉を上げて腕を組む。



「おべっかは不要じゃ、ベルンハルト!」

「なによ? 今夜はやけに機嫌悪いなぁ。ほんとの事言っただけだろ? 寝不足か?」



 ベルンハルトが首を傾げると、



「少し揉めた……から……」



 遅れて姿を現した大きな影が、小さな上官の代わりに応えた。彼は彼女同様、仮面を外しながら、汚れた顔を拭う。



「よぉ、ご苦労さん」



 手を上げるベルンハルトに、ジオンは軽く頭を下げた。そうして濡れて張り付いた枯草色の髪を嫌がって、鬱陶しそうに腕で顔を再度擦った。

 それを見た少女はまた顔を歪める。



「遅いぞ、ジオン」

「……」



 トゥーレッカに脛を蹴飛ばされても、彼は動じない。己の半分にも満たない背丈の偉そうな上官を前に、膝を折る。そうして少し横を向いて視線を合わせると、口は開かず困った顔をして、彼女の頬に張り付いた茶と黒の混じり毛を優しく耳にかけた。その慈愛に満ちた顔を見れば、彼が彼女をどう思っているのか。真一文字に閉じられたままの口が決して饒舌でないとしても、理解できた。

 トゥーレッカは震え、陸に揚げられた魚の様にはくはく、と言葉を失うが、口よりも感情表現の豊かな彼女の右が臣子を殴りつけたので、彼女の意思は十二分に伝わった。

 再び溜息をつきながら、エリゼオは二人を騎上から見下ろす。



「何を揉めた?」



 高い位置に座し、影の落ちた上官の言葉に、ジオンは反射的に顔を上げた。その頬が少し赤く、腫れて見えた。

 エリゼオは直ぐに理解し、



「んー。どうせ、トゥ―リーが一人で乗り込もうとしたんだろ?」



 ベルンハルトが代わりに音にした。

 ジオンは無言で頷く。



「ほらな?」



 想定の範囲内か。

 自慢げに頷くベルンハルトにエリゼオは肩を竦めて応え、凸凹な斥候を見下ろすと、



「報告」



 静かに溜息を零し、彼女達に先を促した。

 誰もこれ以上の足踏みは望んでいない。とにかく寒くて腹が減っていて、何より疲弊していた。



「あ……」



 ジオンは小さく漏らして、トゥーレッカを見た。

 彼の仕事は己の上官に付き従う事。そうして与えられた任務をこなし、報告はいつも彼女が全て完璧に行っていた。

 しかし今回に限って、ジオンの上官たる少女は臍を曲げたのか、口を尖らせて睨み返すだけ。それは彼女の意向を差し止めた代償か。



「……」



 弁解の機会も得られず、ジオンは仕方なく、項垂れながら口を開く。



「あっと……相手は、やっぱり、猫、で」



 騎乗の長は見ずに、呟く様に口を開いた。それはまるで独り言。豪雨の中、彼らがニンゲンであったのなら、きっと声は届かなかった。



「数は、二十二。全員、村の中央、酒場、に」



 囁く様に絞り出された下官の報告に、エリゼオは微かに眉根を寄せ、



「なんだ? やけに少ないな」



 ベルンハルトは首を傾げた。

 猫が国境を越え、ヒウッカに入った時点で侵略行為であることに間違いはないのだが、報告が真実であるのなら、本気で国盗りをするつもりはない様に思える。

 確かに彼らは強い。個々で対峙すれば、決して生きては帰れない。それは間違いない。猫はその性質から戦闘民族、と他種族より恐れられる程だ。但し、それは一対一を想定した場合の話で、彼らを攻略するに当たって、誰が生真面目に決闘を申し入れるだろうか。護るのは騎士たる誇りではなく、国であり、命ある民である。その為なら、一匹に対して大勢で斬りかかるのは当然の戦略。

 勿論、戦闘に特化する彼らが、それすらも分からず侵攻を開始するとは思えなかった。

 だからこそ、その数の少なさが引っ掛かる。

 何より裏で糸を引くあの男が、安易な任務を黒騎士に寄越すとは考えられなかった。



 ―――何を考えてる……?



 暗闇の向こう。二つの敵影の思惑を想像ながら困惑を隠せず、黙り、思案するベルンハルトに、ジオンは酷く動揺する。

 彼自身、偽りなく見たままを報告しているのだが、それが長の意にそぐわない結果だとしたら。彼らは己の上官同様、怒り狂うだろうか。

 ジオンは勝利の一筋も見えない彼らを前に、頭を少し上下させ、横を向いて、大きな茶の目に腕を組む長を映した。そうして不安そうにその様子を注視した。その様は怯える草食獣そのもので。

 体格の割に神経の細かい彼の視線に気づいたエリゼオは、暗闇から硬直する下官へと弁柄を向け、



「あぁ、気にしなくていい。続けろ」



 軽く顎先を上げた。そして別段怒りはない、と示す様に、脇腹から突き出し、天を指す長剣の柄に腕を掛け、体重を預けた。滴る雫はそのままに溜息をつけば、主の僅かな苛立ちを感じ取ったムシュフシュが、猛獣に相応しく低い唸り声を上げた。

 長は体面だけでも寛いで見せたが、ジオンはそれに安心する事はなく、これ以上の猶予はない、と、



「あ……え……、中に白騎士が……」



 開きたくもない口を無理やりこじ開けた。



「……」



 吐き出した言葉に、また長の纏う空気が変わる。

 ジオンは彼らが白を嫌っている事を知っていたし、それに彼らがどんな反応を返すのかも分かっていた。だから一刻も早くその場から逃げ出したい、と思っていたのだが。



「村人は?」



 黒騎士の長はそれを許さない。

 ジオンは不安から逃れようと、困り果てた犬の様な表情で主を見みた。

 トゥーレッカは己の臣子が口下手なのを知っていたし、自分がそれを放っておけないことも十二分に理解していた。だから腹が立つ。

 彼女は腕を組んだまま、当てつける様にエリゼオを睨み上げる。



「酒場に若い衆が集められておったが、他は見当たらんかったな。気配はあるんじゃがな。大方、皆、家の中で震えておるんじゃろう」

「そうか。では国境への道は?」

「どうじゃろうな。ジオンを走らせはしたが、特に奴等の兵も見当たらんかったぞ。往来はあるのか、足跡は新しいのも、古いのも沢山あったがの。国境の城とヒウッカを繋ぐ街道は勿論じゃが、北の森にも幾つかあったな。どうやらお主らが睨んだ通り、相当長い間占領されとるぞ、ありゃ」



 トゥーレッカはどこか諦めた様に肩を竦めた。

 彼女も決して自国の玉座に座るモノのやり方に賛同はしていない。それはアルゴの一件以来感じる違和感。だからこそ猫共に占領されたヒウッカを目の前に、冷静ではいられなかった。きっと寡黙な臣子が止めなければ今頃、後先も考えずに仲間をも巻き込んでの大参事を引き起こしていたに違いない。



「……」



 傍らで気まずそうに下を向くジオンをちらり、と見やり、僅かばかりの反省もあって、トゥーレッカは頭を掻いた。

 落ちる沈黙に、雨音がやけに煩い。



「まぁ、わしの見立てじゃが……」



 ただ黙っていても問題は一向に解決はしない。

 トゥーレッカは誤魔化す様に雫の伝う頬を乱暴に拭って、視線を落とした。少し眉根を寄せた少女の鼻筋を、止む気配もない雨粒がなぞる。



「奴等猫共はドーリスではなく、国境沿いの森から来たんじゃなかろうか、と思うんじゃがな」


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