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黒の雄羊  作者: みお
第2章
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第7話 夜、炎を囲む黒騎士(2)

 促されたリーリャは静かに頷いて、焚火に向け再び手を伸ばした。薄い法衣から覗いた真白の指は、炎を囲んだ男達にはない、しなやかさを見せる。



「あのね……」



 言いながら、彼女が燃え上がる焚火の炎を掬い上げた。それはまるで液体の様に、彼女のすべらかな掌の上に留まった。リーリャは揺れる火溜まりに指を入れ、混ぜる様な仕草を見せる。暫くかき回すと光を生んで、暗闇に舞い上がる火の粉を取り込む。体積を増した光の渦は一度大きく膨らんで、美しい球体と成った。

 相方を揶揄っていたイェオリは、その幻想的な光景に目を奪われる。首を傾げ、彼女とは違う筋張った掌を突き出し、見たままを真似た。魔道の理を知らない彼には勿論、光を生むことなどできないが、それでも彼は彼なりに真剣な様子だった。

 それを黙って見ていたヴィゴが酒瓶を投げる。



「あだっ!」



 放られた鈍器はイェオリの額に当たって、小気味のいい音を立て地面に落ちた。



「お前にゃ無理だ、酔っ払い」



 確かに、素面では決してやらない様なふざけた仕草だった。イェオリは赤くなった額を押さえ、身を縮めて唸る。リーリャはじゃれ合う彼らの姿に笑って、球体に息を吹きかけた。魔女の吐息を受けた光の玉は光り輝く糸を噴き出し、紡いで、小さな繭の形を取った。



「これなの……」



 上目に少し不安そうな表情を覗かせて、彼女が優しく繭を突いた。そこから皹が入って欠け、開けた口から火の粉を吐き出す。



「出ておいで」



 小さな噴火口から彼女の声に応え、小さな虫が顔を出した。小作りの顔面には不似合いの大きな複眼を持つ彼は、狭い穴から身体を引っ張り出すと、縮めていた羽を大きく広げる。



「面白いな」



 幾分か正気を取り戻したイェオリが笑う。

 ちらり、と相方を伺ったヴィゴが彼女を真似たが、炎は球体になっても、そこから美しい使いは生み出せなかった。どうやら炎自体を操っているわけではないらしい。



「簡単な魔法だよ? 血と名前を知ってれば、どこに居ても言葉を送れるの」



 彼女の言葉に、瞬く様に薄い羽を動かす彼が、炎の精霊の類ではなく使役獣だと分かった。

 エリゼオは彼の森を思い微かに反応を見せるが、相も変わらず表情が薄く、誰にも気づかれることはなかった。

 蝶はリーリャの周りを優雅に飛び回る。羽ばたく度に火の粉が舞い散って、暗闇に光を落としては、幻想的な光景を生む。



「ふふ、かわいいでしょ?」



 彼女が小首を傾げると、



「相手は使役役か? 何と言ってきた?」



 エリゼオは先を急いた。

 自身の推測が正しいのならば、かなり重要な知らせに違いない、と考えたのだ。

 リーリャは誰もが畏怖を抱くだろう弁柄を上目に見ながら、怯むでもなく、にっこり、と笑んで見せる。



「うん、えっとね」



 胆の据わった招来師が手招けば、蝶は火の粉を振り撒き、彼女の指先に留まった。それはゆったりと羽を動かしながら、



『こんにちは、リーリャ。あ、もしかしてこんばんわ?』



 ニンゲンの言葉を発した。彼女は幼さを残した物言いで、続ける。



『今日ね、白騎士さんが来たの。偉いヒトっぽかったよ。珍しいでしょ? しかも一番遅い使いを出せ、だって。伝令役探してるのに、だよ? まぁ、うちの仔は、どんな事があろうと絶対お届けします、が売りだけど、それにしてもおかしな事言うなぁ、と思って、彼女に覗き見させちゃった』



 ベルンハルトは頬杖を付き、燃え、爆ぜる薪に目を落としていた。

 立ち上る白煙が夜空に吸い込まれる。その温かな火を灰目に映し、彼は彼女の言葉に耳を傾ける。



『お手紙にはね、猫に注意してください、って書いてあったんだって』



 末まで聞く事もせず、エリゼオは乗り出した身を起こし、腕を組んだ。その表情が一瞬曇ったのを、ベルンハルトは見逃さない。



「猫だと」

「厄介だなぁ」



 男達が苦く笑う。

 焚火の炎は夜風に揺れて、大きくなったり、小さくなったり。囲むモノ達の顔に影を落とした。くべられた木々が小さく爆ぜて、火の粉を舞上げる。



『黒騎士さん宛てだ、って言ってたから、きっとリーリャ達に関係あることだよね? 私にはよく分かんないけど……』



 蝶の向こうに居る彼女は少し黙り込んで、何かを思案しているような様子を伺わせた。

 短い沈黙。

 誰も口を開かず、彼女の次の言葉を待った。静寂の内で、薪の脇に置かれた鉄鍋が冷え、固い音を立てたが、誰一人として反応しない。



『んーとっ! とにかく、猫さんには十分気を付けてっ!』



 言葉と共に、何かを叩いた様な音が響いた。

 イェオリは相変わらず興味深げに蝶を見て、ヴィゴは飽いた様子で酒を呷った。



『それじゃ、また。帰ったらこの前の続き、ね』



 そこまで言うと、蝶はまた、ふわり、と夜空に舞い上がった。巻き上がった火の粉に呼応し、焼けた薪が爆ぜる。



「ね? 分かった?」

「あぁ」



 リーリャの問いに、エリゼオは短く答える。

 彼とは対照的に、



「いい友達持ってるなぁ」



 ベルンハルトは嬉しそうに笑った。それは過去、彼女が一人で寂しい、と泣いていたせいだろうか。まるで幼い妹でもあやす様に、彼は彼女の頭を撫でる。



「ふふっ」



 リーリャは肩を竦め、仔の様に目を細めた。黙っていればきっと、喉を鳴らし始めるに違いない。

 口も開かず目を眇めていたエリゼオは、不機嫌そうに眉根の溝を深くする。



「どうしますか?」



 心中がどうであれ、彼の声色は変わらない。

 顎先を少し上げた臣子に、ベルンハルトは唸った。彼が思案を始めると、身体は自然と腕を組み、視線は夜空を映す。

 ヴィゴはそれを横目に、今夜何本目かもわからない酒瓶を空にして、隙の見える上官の分にまで手を伸ばした。イェオリが無言で非難したが、彼は意にも返さない。

 ベルンハルトは酒好きの男を見て笑う。



「んー、今夜はもういいだろ」



 それは酒を探すヴィゴへ向けられたものか、それとも知らせを運んだリーリャへ向けたものだったのかは分からない。

 ただ、



「准将……」



 口を開きかけたエリゼオを、ベルンハルトは無言で制した。

 柔らかな夜風に揺れる焚火の炎を目に映し、イェオリが手にした小さな枝を投げ入れた。爆ぜた火の粉が、エリゼオの弁柄色の瞳を赤く染める。

 ベルンハルトは身を寄せ座るリーリャの頭を再び撫でた。ゆったり、愛玩動物の毛皮でも梳く様に、何度も、何度も。そうして彼女が満足するまで撫でて、微笑む。



「明日も早いし。ゆっくり休む様にみんなに伝えてくれ」

「うんっ、わかったよ」



 彼女が甘える仕草を見せ、花の様に笑う。そうして名残惜しい、とでも言う様にもう一度傍らの上官に擦り寄って、ゆるゆると立ち上がる。揺れた柔らかな髪が尾を引くと、彼女に一等に合う香の甘い香りが広がった。



「それと、友達に礼を言っといて」

「うんっ! 伝えるね」



 弾む声にエリゼオは目を伏せて、今度はきつく眉根を寄せた。長い睫毛の下で、感情のない瞳が炎に鈍く光る。

 リーリャは法衣を翻して、早くも脳内会議を開始しているであろう男達に背を向けた。

 ゆっくりと構って貰えない事は寂しいけれど、生きる事はとても大変だから。心が欲する人肌を諦めて彼女が腕を振ると、舞飛ぶ蝶は数を増し、群れになって、胸中に落ちた影をも払う様に辺りを明るく照らした。

 暗闇を光の蝶と歩く女性。そんなお伽話の様な光景に目を細めながら、イェオリは干し肉を齧り、酒を呷った。

 穏やかな相方とは対照的なヴィゴは、未だに苛立ちが収まらないのか、明後日を見たまま歯を打ち鳴らす。時折弾ける様に火花が散るので、もしかすると魔女の言う精霊が居るのかもしれない。

 気の置けない仲間を横目に、



「あ、待った」



 ベルンハルトは声を上げる。



「なぁに?」

「今夜、エリ使う?」

「准将……」



 己を物の様に扱う上官に、エリゼオはうんざりした表情を浮かべた。構わず、ベルンハルトは揶揄する様に臣子の顔を見る。



「契約、したろ?」



 上官の灰目に悪戯っぽい光を見て、エリゼオは項垂れた。彼は先日の樹人の件を、相当根に持っているらしい。彼の気質を考えれば喜んで協力すると思ったのだが、どうやら思い違いをした様だった。あの件以降、ことある度に嫌味を吐くのだから、その怒りは相当深い。

 今回の件もそう。

 過去、リーリャを師団に招く際、確かに“契約”をした。それは上官を護る為だった筈だが、当事者は記憶を書き換えたのか。どうやら勝手に判断した、とでも思っているらしい。困惑するエリゼオの縦割れの虹彩が、感情の揺らぎか、それともただ単に暗闇を見たせいか、大きく、丸く広がっていた。

 彼が頭を下げると、リーリャが笑う。



「契約じゃなくって、お願い、でしょ? あの時、あたしも寂しかったんだもん。准将もそうでしょ? でも今はみんなが居るから平気。今日もゾフィが一緒に寝てくれるの」



 彼女が愛らしい笑顔を見せると、



「嘘だろ……」



 今度は彼女を嫌厭してやまないヴィゴが、絶望的な声を上げた。あからさまに落胆する男に、リーリャはまた笑う。



「だってヴィゴ君、今夜は忙しいでしょ?」

「あ?」

「だってお知らせのことゾフィに話したら、報告が終わったらすぐに戻っておいで、って。みんなは忙しくなるから、邪魔しちゃダメよ、って」



 頬に指を当て、小首を傾げて見せるリーリャに、ヴィゴの顔が引き攣る。



「だから今夜はゾフィがいい子、いい子、してくれるの」



 綻んだ顔は無邪気そのもの。

 彼女とは対照的に、怒りに震えるヴィゴを見ながら、イェオリが笑う。



「偶にはいいだろ? 俺が相手してやるよ」

「ふざけんなっ! お前、今夜寝ず番なだけだろ」

「いいじゃねぇか。付き合ってやるだけ有難く思え」

「クソだ、クソ!」



 リーリャはどうやら話が付いたらしい事に満足して、笑顔のまま頷く。



「それではお休みなさい、みなさん」

「ふざけんな!」



 悪態をつくヴィゴを他所に、彼女は淑女らしく、法衣の裾を摘まんで頭を下げた。



「おやすみ。あったかくな」



 ベルンハルトは手を振って、彼女を見送る。

 リーリャはまた微笑んで上官に応え、暗闇へと歩き出した。背後に恨み節が聞こえた気がしたが、振り返らない。



「……」



 その頭にあるのは〈猫〉と言う言葉。子供の様に振舞ってはいても、言葉の重要性は理解しているつもりだ。やはり気にはなる。

 ただ、今後の方針を決めるのは彼らの役目。“難しいこと”はとても疲れるので、深くは考えない。経験上、心の平穏を保つにはそれが一番だ、と理解していた。

 年月だけは人一倍経た彼女は頭を振り、目を伏せる。不意に、その脳裏に契約、と言う上官の言葉が過る。同時に思い出すのは、あの温かな胸。彼が彼の物でなければ、きっとそのまま己のモノになっていた。いや、己のモノにした、のか。時折“お願い”ではなく、本当に契約しておけばよかった、と後悔する。やはり一人の夜はとても寂しいから。

 リーリャは昔の苦い思いに痛み出した胸を押さえ、自然と早くなる足を成るままにした。そうして、ゾフィーヤの居る天蓋までの道すがら、気を紛らわす様に小さな蝶達を呼んだ。彼女達に囁くのは黒騎士達への伝言。



「さぁ……」



 リーリャは思いを解き放つ様に腕を天へと掲げた。呼応する彼女の使いは、一頭、また一頭と夜空に舞い上がる。そして降る雪の様に、木々の隙間に建てられた複数の天幕に滑り込み、焚火を囲む騎士達、獣の世話やその他の雑用に追われる騎士達の許へ舞い降りた。彼女の言葉はさざ波の様に、あっという間に隊に染み渡って、消える。



「おやすみなさい」


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