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黒の雄羊  作者: みお
第2章
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第3話 新しいはじまり(3)

 昇る日は大地を暖かく照らす。上がり始めた気温は心地よく、馬上で縮こまっていた騎士達は、漸く一息をついた。

 整備もされていない街道を行くのは黒騎士の一団。彼らは隊列を崩すこともなく、馬で、騎獣で一路王都を目指す。その真中。荷を引く巨大な獣の集団の中で、彼らの脳内会議は静かに続く。



「……」



 エリゼオは痛みもしなかった肩口をおざなりに擦りながら、拗ねた子供でも相手にするように、少し背の低い彼の顔を覗き込んだ。ぶつかる灰の目。そこに笑みの光はない。彼はいつもの呆けた顔を仕舞って、ご立腹のご様子だった。ただ、それが締まらないのは、幼子の様に唇を尖らせ、むくれているせいだろうか。

 大の男が何を気味の悪いことを、と通常なら相手にもしないが、それが彼となれば話は別だ。分厚い色眼鏡はそう簡単には外せない。

 エリゼオは込み上げる感情を必死に抑えながら、静かに口を開く。



「実際に見た訳ではありませんが」



 苛立ちからか、小刻みに動く細い指を見ながら言うと、ベルンハルトが仏頂面を臣子に向ける。

 


「それは件ではないかと」

「……クダン?」



 返す上官の機嫌は、すこぶる悪い。



「ゾフィーヤやリーリャの専門でしょうが、聞いたことが。それは未来を語る獣で、できるなら出会わない方がいい、と」

「そうなの?」

「語る未来はどれも好ましくないものばかりだそうですよ。聞けば不幸になる」

「何だよ、それ」



 不満そうに零すベルンハルトの顔を覗き込みながら、エリゼオは少し首を傾げる。



「ソレは何かを話しましたか?」



 問いに、ベルンハルトは酷く嫌な顔をした。

 エリゼオは片眉を跳ね上げる。もし仮に、上官が件を見ていて、件より予言を受けたならば厄介なことになるのは間違いない。



「件には対になるモノが居るとか。ソレは予言を回避する術を囁くそうですが」



 言いながら、別のところでは、上官の答え次第では動かなくては、と考えていた。

 ベルンハルトは暫く黙った後、臣子を見た。手を伸ばせば届く距離で、彼はいつも通り言葉を待っている。全てを打ち明ければ、きっと酷く心配するに決まっている。分かってはいるが、これ以上黙っていられなかった。それは隠すには苦し過ぎるから。

 ベルンハルトは何かを決意した様に大きく息を吸い込んだ後、青い顔を白にしながら、口を開く。



「鹿は言うんだ。殺せ、って」



 エリゼオは上官の口から出た物騒な言葉に、目を眇めた。

 風向きはどうやら芳しくないらしい。



「女に言うんだ。子を殺せ。それで全てが救われる、って」



 上官に直接予言を残した訳ではなさそうだが、エリゼオは件を良く知らない。これは専門家に意見を乞うべきか、と思案しながら、



「なるほど」



 取り敢えず相槌だけは打った。



「毎回同じだ。先が分かる。だからそれが夢だ、って気づく」

「それなのにうなされるんですか?」

「んー、良く分かんない。すごく怖くなる。変だろ?」



 曖昧に笑う上官の顔を見ていられず、エリゼオは少し視線を落とす。



「准将、夢ですよ? 何を気に病むことが?」

「分かってるよ。でも、出てくる女……」



 再びベルンハルトは言い澱む。



「何です?」



 エリゼオが促すと、彼は重い口を開ける。



「多分、その女……母上、なんだ」

「……」



 これにはエリゼオも驚いた。

 何と答えるべきか見当もつかず、固まる。

 荷馬車は止まることなく、後方に屈強な騎士達を引き連れ、凸凹な街道を進み続ける。



「……と、言うことは、その女の、予言の子が准将だと?」

「んー、多分」



 かなり厄介なことになっていることは理解できた。

 しかしエリゼオは表情を崩さず、いつも通りの調子で上官に尋ねる。



「准将は件をご覧になりましたか?」

「んや、俺は女の腹の中に居るんだ。女は身籠ってる」



 次々に浮かぶ疑問に、エリゼオは眉を寄せる。



「それでは、准将は腹の中に居た頃の夢を見ている、と?」

「んー、多分」

「そう、ですか」



 そこまで言って、二人とも黙り込んだ。

 ベルンハルトは自身がどれだけ変な事を言っているのか理解していたし、エリゼオは上官が今どれ程危うい状態にあるのか、と思考を巡らせるのに必死だった。

 赤土を彩り始めた草木は、短い日の出を楽しむ様に伸び上がる。申し訳程度に建てられた柵の向こう側には、大きな毛の長い獣が数頭。のんびりとした様子で草を食んでいる。

 王都はもう目前。



 ピューイッ



 難しい顔で考え込む騎士達の耳に、甲高い鳥の鳴き声が飛び込んできた。



「なんだ?」



 ベルンハルトは揺れる荷台から顔を出し、空を仰ぎ見る。



 ピィイー……キキキ……



 青さを増した空に、美しい鳥が舞っていた。それは高く鳴いて、大きな円を描く。




「あぁ、嫌な予感がする……」



 思い切り顔を顰めた上官を見て、エリゼオは溜息をついた。

 それが何を示すのか、思い当たったから。問題とはこうして次々と湧いては悩ませるのだ。そうして、悪いことは必ずと言っていいほど重なる。



「ったく……」



 エリゼオは痛む頭を抱え、意を決して立ち上がった。そして境目のない大空を舞う、美しい一羽の鳥を一瞥する。それは青空に溶ける様な真っ青な翼を翻し、都を彩る花色の尾羽を大きく広げ、踊る様に舞飛ぶ。

 伝令役には不適格に見えるそれを平然と使うところが、らしいと言えばらしいのだが。

 背後に見えた平和呆けしたモノ達の姿に、無意識に溜息が零れた。エリゼオは内心で舌を打ち、短く指を吹く。

 それに反応したのは、荷馬車の後ろに続く騎士の一人。彼は顔を上げ、上官に倣って上空を見つめて、後方へ向けて大きく手を振った。受ける後列の黒騎士は高々と手を上げ、何か合図を送る様に、短く、続けて唇を吹いた。空色の鳥は大空を舞ながら、何度か小首を傾げて見せ、口笛が鳴り止むと同時に、みるみる高度を下げ、隊列の中に姿を消す。



「あぁ……、やっぱり」



 零し、ベルンハルトは項垂れる。

 エリゼオは彼を横目に、荷台の奥へと分け入って、馭者(ぎょしゃ)と荷を隔てる壁を叩いた。応える様に幌馬車は揺れ、止まる。同時に発せられた合図に従い、隊列は一斉に足を止め、黒騎士の一団は王都一歩手前で足踏みする事となった。



「これだよ……。今日は柔らかいベッドで眠れる思ったのに……」

「残念ですが、これも毎度のことでしょ」

「うぅう……」



 エリゼオは荷台の柱に寄り掛かり、腕を組む。



「先程の話はまた後程。まずはこれを片付けましょう」

「んー」



 余程温かなベッドが恋しかったのか、顔も上げない上官にエリゼオは苦く笑う。



「そんなにエレラインが恋しかったですか?」



 揶揄すれば、



「んー? それよりゆっくり、寝たい?」



 語尾を上げ、首を傾げながらも、目端に明確な意思を乗せて、ベルンハルトは臣子を見上げた。

 受ける彼は苦い表情のまま。それでも少し、ほんの僅かに口端を緩めて、



「あれだけ寝たのに?」



 そう笑った。



「できればニンゲンらしく、食事は固形物を摂って下さい。あれじゃ、肉は付かないでしょう?」

「バカ、お前。飯って太る為に食うんじゃないんだって。鋭気だって、え、い、き」

「俺としては英気を養って頂きたいんですが」



 上官の拙い言葉遊びに付き合いながら、エリゼオは気怠そうに首を鳴らした。

 暫くすると二頭の獣が隊列を離れ、荷馬車に駆け寄って来た。彼らが脇を駆ける度、隊列を組む軍馬が不満そうに嘶いては、地面を掻く。

 エリゼオは上官から目を離し、柱に頭を預ける。ついでに浮いた片足を組み、伝令を待つには些か横柄な態度を取った。どうせ文句を言うモノは居ないのだから、構わないのだが。それは彼には珍しく、投げやりな態度に見えた。



「なんだって?」



 駆け寄る彼らに、ベルンハルトは項垂れたまま不機嫌に吐いた。

 礼を重んじる騎士には不相応だが、心中を察すればこそ。彼の優秀な臣子は別段何も言わず、上官をちらり、と見やって、獣に騎乗した黒騎士に目を向けた。その弁柄に映る、知らせを運ぶ青年は、荷台に陣取った騎士達とは正反対の笑顔を見せている。



「どうやらとてもいい知らせの様ですよ」



 エリゼオは上官と同じく、不機嫌を隠しもせず、半ば八つ当たりの様に弁柄を眇めていたのだが、受ける伝令は怯みもしない。いつもの事だ、と笑って流し、軽く片手を上げて上官に応えた。



「偶に噛み潰したくなるんですが?」



 些かうんざりした声で喉を鳴らし、エリゼオはつま先で荷台の木板を叩いた。軋んだそれは硬い音を響かせて、黒騎士の不満を肩代わりする。



「俺は止めない」



 凶暴な臣子に応えるベルンハルトの声も低かった。

 そんな上官の内心など知る由もないテルセロは、



「おはよーございまーすっ!」



 獣の足音に場違いな明るい声を乗せ、幌馬車へ駆け寄る。



「准将に中佐っ! いい知らせですよっ!」



 彼は自身が放つ雰囲気にも負けない、明るい金毛を揺らしながら、上官に向けて手を振った。暖かさを増した風に、晴れやかな笑顔が眩しい。幼い顔も相まって、場所が場所ならどこぞの王子の様に見えたかもしれない。

 一方、彼に並走する赤毛の青年は相棒とは正反対で、場の空気を読んだのか、それとも上官と同じく鬱々とした気持ちになっていたのか、眉根を寄せていた。顔の半分が口布で隠れているせいでその表情は読み辛いが、美しい金の目に過る影は不満の表れに違いない。

 青年達を乗せた獣は荷台の傍まで来ると、足を止めて鼻を鳴らした。



「ッス、准将」



 金毛とは対照的に、淡い赤毛の青年は畏まって頭を下げた。彼は若いが騎士らしく、礼儀を重んじる。



「んー、おはよ、アッシ」



 ベルンハルトは鬱々と堆積する鉛玉に灰目を濁し、おざなりに手を上げることで下官に応えた。

 どうやらそれが気に入らなかったらしいテルセロは、



「なんですかーっ! 朝っぱらから元気ないなぁ!」



 頬を膨らませ、鞍をばんばん、と叩いた。

 反対に、傍らに付けたアッシはぎょっ、として、眠そうに見える目を大きく開いた。



「お前はいつも楽しそうだな、テルセロ」



 エリゼオは冷ややかに青年を見下ろしたまま、喉を鳴らす。



「なんですかぁ、中佐までですかぁ?」



 努めて明るく振舞っているわけでは、無いが、それでも一日の始まり。せめて楽しく、と心がけていた。にも拘わらず、上官の不機嫌な態度と言ったら。

 テルセロは眉を寄せる。



「俺らだって、寒い中休みもなく……」

「いいから報告」



 話を遮る様に手を振られ、彼は完全にへそを曲げた。黙って唇を尖らせ、むくれる。それがどこか上官を思わせ、エリゼオは思わず苦く笑うが、青年はまた馬鹿にされた、とそっぽを向いた。

 そんな相方を横目に、アッシは静かに溜息を零し、代わりに口を開く。



「リトラより伝令ッス。ヒウッカより定例の報告が来ず、国境とも連絡が取れない状態である。至急偵察を行え、と……」



 語尾が消え入りそうなのは、空気を読めるからこそ。本来ならこういった感情をぶつけられかねない役回りは、根明の相方の仕事だった。彼なら何を言われようが、引き摺らない。対する自身は波風を嫌い、発言することで角が立つ事を恐れている。何事も平穏が一番。面倒事は嫌いだ。

 決して自身の分野ではない、とアッシは溜息をつき、気まずそうに上官達を上目に見る。



「なんだそれ」



 案の定、ベルンハルトは顔を顰め、エリゼオは眉根を寄せた。



「また、一方的な物言いだな」



 腕を組んで、奥歯を鳴らすベルンハルトに、アッシは首を縮める。普段ぼんやりとした上官でも、怒れば怖い。矛先を向けられることはないと分かっていても、肝は十二分に冷える。



「他には?」



 冷静に問うエリゼオの目も、いつも通り笑ってはいなかった。アッシが口を開きかけたところで、テルセロが、



「それだけ、です」



 上官の弁柄から目を逸らしながら、再び唇を尖らせた。

 アッシからすれば、わざわざ怒りを買いに行く、相方の暴挙に胆が冷えるばかりなのだが、当の本人は我を優先させる方が重要らしく、気にもしていない様子だった。



「そうか」



 目を伏せたエリゼオに、



「どうせアイツだ」



 ベルンハルトが、鼻筋に皺を寄せた。



「でしょうね」

「そんなに俺を殺したいのかね」



 珍しく指で腕を叩き、落ち着きのない様子を見せるベルンハルトに、エリゼオは笑う。



「どれ程嫌われてるんです? 准将殿」



 揶揄する臣子に、ベルンハルトは溜息をつくばかりだった。


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