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黒の雄羊  作者: みお
第1章
36/64

第31話  その後(3)

「ね? 簡単でしょ?」



 主の顔で笑む樹人(ジュト)は赤く色付いた唇を歪める。そうして座り込んだままの雄羊を見下ろし、美しく並ぶ歯列を覗かせた。

 それを見上げながら、エリゼオは未だに眩む頭を抱え、倒れない自身を褒めたい、と考えていた。



「なんで俺に頼む?」

「他に居ないから」



 応えるベルンハルトの回答は潔い。



「知っていると思うが、土地を耕し、種を植えるのは俺の専門外だぞ」

「でも、あなたにはそう言うことを生業にするお友達がいるでしょう?」



 暗にアルゴの民を持ち出す樹人に、エリゼオは苦い顔をする。目の前の男、かも分からないが、イルシオンは全てを把握して、逃げ道を塞ぎにかかっているらしい。



「あ。私たちに性別はないわよ。それと、使える手は全て使う積りだから覚悟して」

「……」



 また胸の内を読まれ、表情の薄いエリゼオには珍しく、あからさまにうんざりとした顔をした。



「で? 種を植えて何の得がある?」

「あなたには関係ないでしょう?」



 ひりつく空気。

 ベルンハルトは柔和な笑顔を張り付けてはいるが、その目は笑っておらず、エリゼオに至っては真顔で、鼻筋が僅かに痙攣していた。



「いい加減にせんか」



 無言で睨み合う二人に、再び割って入ったのは大きなリコス。彼は立派な鬣を夜風に流して、尖がった耳を何度か振る。



「ヒトに物を頼む時は腹を割らねば」

「そうそう。魔女も言ってたよー」



 尊大な物言いをするリコスに続いて、小さなリコスは欠伸を零す。それは緊張からか、ただ単に眠いのか。小さな彼女は大きく伸びて、その目に雄羊を映す。



「あのね、あたしたちもうすぐ死んじゃうの。だから助けて欲しいの」



 物言いは幼いが、彼女は存外真剣に口を開く。



「おっきな獣が入って来たでしょ? 私たちのおうちに。ホントなら誰も入れないの。私たちが護ってるから。でもね、あの獣の身体に魔力を封じる? 跳ね返す? よく分かんないけどそんな呪がかかってて。それがあの棒みたいなのだったんだけど、取ろうと思っても近づく前にみんな殺されちゃうし」



 エリゼオは幼子の言葉に、あの時見たマンディブラの姿を思い出した。確かに、姿を確認した際、すでに矢を受けていた。放った相手が、獣の力を封じる為に使ったのだとしたら、本来のマンディブラはヴィゴの様に魔力を操るのかもしれない。

 エリゼオは頭の片隅で笑うフロミーに、いい土産話が出来た、等呑気な事を考えていた。



「集中しなさいよ」



 歯を鳴らすベルンハルトの声に、雄羊は座り込んだまま舌を打つ。



「結局私達じゃどうにもできなくって。皆に頼んでニンゲンを呼んでもらおうとしたんだけど、外で死んでしまった仔たちは私たちの世界で廻れないの」

「廻る?」



 疑問を口にしたエリゼオに、



「我らの民は内で命を終え、また生まれる。そうして廻って我らの糧となるのだ」



 大きなリコスが答える。



「糧? 獣を食うのか?」

「気持ち悪い事言わないでっ!」



 吼えたのはベルンハルト。怒る彼の代わりに、大きなリコスが口を開く。



「我らは生き、廻るモノ達の魔力を頂くのだ。そうして大地を肥えらせ、緑を芽吹かせ、命を廻す」

「魔力を食うのか。ん……?」



 視線を彷徨わせるエリゼオに、大きなリコスが頷く。



「そう。恩人の主の様に、だ。ただ全て頂くことはしない。毎日、全ての民より少しづつ」

「それではその巨体を賄えるだけの命がここにはあったと言うことか」

「理解が早くて助かる」



 大きなリコスは月光に染まった赤い毛皮を輝かせ、その目を悲しみで色付ける。



「しかし、侵入者により多くが奪われた。そして護り、育んで来たモノ達も、その多くが外へ出て死に絶えた」

「理解した。だから飢えて死にそうなのか」

「そう。私達もお腹が空くの」



 語尾を取った小さなリコスは、獣らしくキュン、と儚げに鼻を鳴らす。



「でもこんな事、これまでにもあったんじゃないか?」



 立つことを諦め、地面の上で胡坐をかくエリゼオに、ベルンハルトが口を開く。



「勿論よ。でもここまで酷くなかったし、失った命は魔女たちの補充で賄えた」

「魔女が命を作るのか?」

「そうよ。あなたに頼んだことと同じ。種を撒いて貰うの。但し。イルシオンではない別の場所で」

「別の場所?」

「イルシオンの中では新しい命は生まれない。廻るモノが転じるだけ。だから別の土地で新たな命を作って貰うの」



 何とも不可思議な話に、エリゼオはただ、ふぅん、とだけ返す。



「魔女も脅してるのか?」



 見返りなしに働くモノなど居ない。勘ぐって問えば、



「失礼な」



 ベルンハルトを模る樹人が、リコスの様に唸る。



「私たちは互いに協力してるの。私たちは新たな命を貰い、魔女には安全な場所を与えるの」

「あぁ、共生してるのか」



 エリゼオはぼんやりと返して、またベルンハルトを見る。



「では魔女に頼めばいい」

「それが出来ないからあなたを使うんでしょ」



 彼は些か気分を害したようで、エリゼオを真似て歯を剥いた。



「魔女は元はと言えば狐人(コト)のモノでしょう? 気安く、外へ出て種を撒いてくれ、なんて頼めないわ。彼女達は約束の日に約束の場所へ、命を届けるだけ。それ以上はしないし、それ以下もないの」



 伝説に聞くだけの存在がさらり、と出て、エリゼオは面食らった。視線を彷徨わせると幾匹かのリコスが美しい瞳を瞬かせ、小首を傾げる。彼らは言葉を持たないのか、それともただの幻に過ぎないのか。なんにしても、エリゼオの内を読むのは彼女の役目らしい。



「狐人は居るわよ。イルシオンの深くに。……そう、ニンゲンはルナールシャルと呼ぶの? 変な名前」



 ベルンハルトは明後日を見て、またエリゼオを見下ろした。そうして物言いたげに眉根を寄せ、眉間の皺を深くする雄羊に鼻を鳴らす。



「仕方ないじゃない。あなたの声が大きいのよ」



 樹人は頬を膨らませて、どこか人間の様に肩を竦めた。

 エリゼオはそれから視線を外しながら、



「借りを作るのが怖いのか?」



 少し顎を上げて見せた。その目端で、彼の狙い通りにベルンハルトが眉を跳ね上げる。



「心が読めなくとも、別段困らんな」

「生意気ねっ」



 揶揄され怒った彼は無遠慮に間合いを詰め、雄羊の顔を覗き込む。



「お仕置きするわよっ!」



 唸り、腰に手を当てる彼の顔は、どこまでも自身が優位と信じて疑わない色を覗かせていた。

 エリゼオはそれに薄く笑う。



「な、なに?」



 ベルンハルトが少し身を退く。

 同時に、



「へっ?」



 彼は平衡を失った。



「きゃっ!」



 樹人は盛大にひっくり返って、地面に背中を打ち付ける。

 エリゼオは投げ出されたベルンハルトの片腕を取り、肩口に膝を押し当て乱暴に振って俯せさせると、腕を捩じり上げたまま背に圧し掛かる。そうして相手が身動きできなくなったところで、首に手を回し、口を大きな平で覆った。



「んーっ!」



 左に体重をかければ、地面を掻きもがく腕は一本になり、更に体重を掛ければ腕が上がらず、首に回った腕に僅かに爪を立てるだけになった。

 慌てるリコスに、



「動くな。呪を練れば、俺の名を吐くより早く、樹人でも首を折れば死ぬのか試すぞ」



 唸り、牙を剥く。

 エリゼオはベルンハルトを引き摺り立たせ、群れから距離を取る。大博打だったが、腕の中の男は人質に足るモノだったらしい。見渡す限りにひしめくリコスは、耳を下げ、不安を顔に張り付けるばかりだった。

 これだけの数だ。術師の一人や二人いるのかもしれない。寧ろ全員か。なんにしろ、樹人が己を支配下に置く時、僅かに唇を動かしていたのを見逃さなかった。そうして魔力を練り、名を吐いて呪とするのだろう。それはよく知った仲間が見せる手順と同じ。それには時間が必要で、独特の気配を生むことも知っている。樹人を拘束し、人質としたこの状態ならば、僅かな動きでも把握でき、察知すると同時に腕の中の首を折って、舌を噛める。

 エリゼオにしてみれば、それくらい造作もないこと。それで終わり。仲間は守られ、イルシオンは縮小するのか、滅ぶのか。彼にとってはどうでもいい事だった。



「……」



 エリゼオが無言のまま、口を封じたベルンハルトを見下ろすと、心を読んだらしい彼は体温のない身体を更に冷やして、顔を青くした。



「騎士を農夫扱いすべきじゃなかったな」



 冷ややかな弁柄に怒りを乗せれば、樹人は赤を潤ませる。



「次に縄を掛ける際は、獣の大きさを見誤らない様に気を付けろ」



 そう言って、エリゼオは頭一つ程度低い彼の耳元に唇を寄せる。



「次があればな」



 囁けば、樹人は狂った様に手足を振るった。エリゼオは鼻で笑って膝裏を蹴り、跪かせて首に回した腕に力を籠める。



「っ! んっ!」



 身を縮める様に腕を絞れば、ベルンハルトが大粒の涙を零す。それはとても甘く、蠱惑的な色香を発する。



「……」



 エリゼオは何とも複雑な顔をして、思案した。なるべく彼の顔を見ないようにもした。

 しかし、



「……クソ……」



 耐え切れず、回した腕から力を抜く。



「フーッ! フーッ!」



 樹人は大きな平の隙間から何とか呼吸して、濡れた目を何度も瞬かせた。その度に雫が落ちて、酷く甘いニオイが漂う。



「お前、卑怯だぞ」



 唸れば、ベルンハルトは小さく身体を震わせて、嗚咽を漏らした。更に上目に見つめられれば、お手上げだった。エリゼオは大きく息を吐き、項垂れる。



「俺に掛けた縄を解け。そうしたら見逃してやる」



 上げさせた顔を覗き込めば、ベルンハルトは眉根を寄せ、何度も首を振る。頑なに拒否するつもりらしい。余り見せないその表情が何とも悩ましく、エリゼオの心がまた揺らぐ。



「あぁ、くそ!」



 惑う自身に苛立ち吼えると、リコスが飛び上がった。



「命があって、それ以上何を望むんだ?」



 先程問われたことを皮肉も込めて返せば、樹人は項垂れて灰髪を落とす。覗いた真白の首筋が暗闇に浮いて、背筋をざわつかせる。牙を突き立てたい衝動を抑え、舌を打てば、ベルンハルトが顔を上げる。その目が無言で助けを乞い、訴えるので、



「あぁ……」



 エリゼオはとうとう観念した。



「分かった」



 小さく零して項垂れる。



「お前が願う通り種を植え、イルシオンに命を送ろう。彼なら喜んで協力するだろうしな。但し、俺を解放しろ。それが最低条件だ」



 いいか、と問えば、ベルンハルトは大きく頷いて、口元を覆う掌を叩く。



「名を呼ぶなよ」



 緩んだ弁柄を見上げ、彼が赤を嬉しそうに滲ませるので、エリゼオはゆっくりと口元から手を引く。



「ありがとう! エっ、んぐっ!」

「呼ぶなっ」



 ベルンハルトは手の内で笑んで、また平を叩いた。



「ごめん! ありがとう! 約束だからね!」

「あぁ」



 子供の様に笑うベルンハルトに、エリゼオはいつも通り苦く笑った。



「それじゃ、コレ返す」



 地面に座り込んだ彼が差し出すのは、赤黒に汚れた落ち葉。エリゼオはそれを苦い思いで受け取り、握って、平の内で砕けた破片を風に流した。

 それを目で追いながら、ベルンハルトは少し残念そうな顔をする。



「次に何かあったら、こんな手間をかけずに俺を呼べ」



 柔らかな灰を撫でれば、



「いいのっ?」



 樹人は弾ける様に目を輝かせる。



「その姿をしている黒騎士は、生来のお人好しだ」



 エリゼオが弁柄を細める。

 樹人は最初に見せた歪な表情ではなく、その姿に見合った人懐っこい笑顔で白い歯を覗かせる。



「約束よ!」



 彼女がそう言うと、大きなリコスも小さなリコスも笑って、周りを囲んだ獣が夜空に溶けた。そうして深い緑の匂いを運んで、大小様々な木の葉を降らせる。



「約束だからね! エリゼオ・ベルンハルト!」



 呼ばれた名は染みて、もう不快には感じなかった。



「あぁ、約束だ」



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