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黒の雄羊  作者: みお
第1章
33/64

第28話  衝突(2)

「あの獣はどうやらうちのハンナと似た様なもんらしい」



 合流した黒騎士の位持ちは互いに額を突き合わせ、囁く。



「ハンナマリか?」

「そう」

「あぁ……」



 ごく短いやり取りで意思疎通を完了した羊達は、直ぐに腰を上げた。その顔に一切の迷いはない。



「囮は俺かな」



 エリゼオが自身の足を指せば、二人が肩を竦める。



「おとるなら俺の方がいいと思うけどなぁ」



 動きや、体力を考えてヴィゴはそう言ったのだが、



「釣れても一瞬だろ」



 イェオリは暗に、傷ついたモノを優先的に襲う、獣の習性に言及した。



「同意見だ」



 エリゼオは腕を組み、不遜な態度で、良好な関係とは言い難い男を弁柄に映した。他人の命を護る為に、己の命を平気で賭ける気真面目な上官に肩を竦めながら、ヴィゴは茶ける。



「まぁ、食われそうになったら助けてやるよ」

「どうも」



 イェオリは二人のやり取りに溜息を零し、脇に立った上官を見る。



「邪魔するなよ」



 その意を理解し、



「……」



 エリゼオは無言で肩を竦めた。

 イェオリは彼の弁柄をもう一度見据え、念を押した後、少女を見た。



「ここに居ろ。動くなよ?」

「はいっ」



 フロミーは鞄を胸に抱き、何度も頷いて返した。それを合図に、三頭の雄羊は暴れ回る獣へ向き直る。

 戦力は乏しい。

 しかし、マンディブラはもう正体不明の獣ではなくなった。先の接触で血を流すことも分かったし、現に臣子が一頭仕留めた。優秀な生物学者の推測通りなら、やり様はある。

 ヴィゴは兜の下で口角を上げ、傍らを歩く上官を、相方を見る。イェオリはそれに顎を上げて応え、エリゼオは無言で返した。



「さぁ、おいたの代償を払って貰おうじゃねぇか」

「ピィーイッ」



 笑うヴィゴの言葉を合図に、反撃の口火を切ったのは、予告通りエリゼオだった。

 吹いた口笛は一際高く鳴って、傷ついたアウヴォを追い回していたマンディブラの気を引くことに成功する。彼は続けて、振り返った獣の目の前で、傷ついた足を引き摺り、構えることもなく、これ見よがしに獣を誘った。



「さぁ、遊びましょ」



 まるでヴィゴの様に囁いて、左で剣を抜く。

 マンディブラは逃げ回る羊から標的を替え、くるり、と身を転じた。



「ウルルルッ!」



 咆哮。

 同時に響く金属音。それは甲高く鳴って、空気を震わせる。

 襲い来る重い衝撃。



「っ」



 エリゼオは巨大な獣の前肢を剣の腹で受け止めながら、奥歯を噛んだ。獣の鋭い爪が刃を噛み、耳障りな音を立てる。

 しかし、何十倍も大きな獣が相手だろうと、彼を揺らがせることは叶わない。エリゼオは余裕さえ見せながら、圧し潰そうと躍起になる獣の腕を押し返し、その弁柄で橙を見た。受ける男は直ぐに意を理解し、座り込んだアウヴォの許へと急ぐ。

 これで時間を与えてくれた下官は助かる。



「ウルルルル……」



 跳ね回る羊から大きな羊へと標的を替えたマンディブラは、それの後ろを過る別の羊に目を奪われた。彼女の本能が、駆け抜け、橙の尾を引くそれを追えと命令する。



「ウルルッ!」



 マンディブラは押さえ込んだ羊の凶器から手を引き、半身を引き絞る。



「お前の相手は俺だろ」



 エリゼオは眼前で僅かばかり前肢を上げた獣を睨み、唸った。そして斜めに下ろした剣を思い切り振り上げる。



「ギャウッ!」



 マンディブラは突如、脇腹に感じた痛みに身を捻った。

 エリゼオは止まらず、流れる様に振り下ろし、獣の右肩口を大きく引き裂いて、柄を逆手に持ち替える。そのまま柔らかな皮膚の覗く脇腹を三度突き、四度目は剣首に空いた平添え、最奥へと突き立てた。

 体重の乗った剣尖は容易く肉を裂き、血管を破って骨に刃を立てる。



「ギャアッ!」



 胸を長剣で穿たれた獣は仰け反り、悶えて後方へ逃げ飛んだ。鮮やかな血液が舞飛ぶ。同時に生臭い独特のニオイが辺りに立ち込め、黒騎士達の、その場を離れ、安全な場所から様子を伺う騎獣の鼻腔を擽った。

 ヴィゴは血溜まりを作り、最早動く事も出来ずに茫然と座り込んでいた臣子の姿を見た瞬間、かなりの衝撃を受けた。それ程彼の傷は深く、その目に過る影は見知った色だった。

 しかし、そこは中隊を率いる長。直ぐに頭を切り替え、乱暴ではあったが臣子を引き摺ると、森に向かって手を振り、後は駆け寄って来た騎士達に任せた。

 彼の生死を決めるのは幼い軍医か。

 そう考えたヴィゴは、遠く離れた場所で身を伏せる少女を橙に映し、踵を返して、獣の許へ駆ける。

 イェオリは獣の背後に付け、得物を抜いた。それは鞘から刀身を覗かせると、余すことなく刻まれた呪言に薄い光を纏わせる。それは間を置かず、空気を震わせ、稲光を生んだ。

 鳴り響く轟音。

 一気に白む景色。



「ウルッ!」



 弾け、走る青白い閃光に、マンディブラは戸惑い、慌てて身を翻す。飛び退った場所で尾を下げれば、その眼前で先程逃げた筈の、橙の尾っぽをもった黒く小さな獣が拳を打ち合わせていた。いつの間にか囲まれた彼女は必死に辺りを見回し、惑う。



「さぁ、覚悟しろ」



 ヴィゴは傷ついた臣子を思い、怒りで毛を逆立てる。

 そうして、



「ピュイッ」



 彼は唇を吹いた。

 それを合図に、森に陣取っていた黒騎士達が一斉に飛び出す。彼らは獣を挟む様に走り、周りを取り囲んだ。そして別働の一分隊が少女を確保した。彼らの役目は軍医を傷ついた上官の許へ安全に案内し、治療が終わるまで彼らの警護につくこと。それは一刻を争う。

 少女を抱えた黒騎士達は巻き込まれない様に現場を大きく迂回して、それでもその脚力を活かした全速力で、傷ついた上官の許へ駆けた。



「枷の取れた獣の恐ろしさをみせてやっからな」



 ヴィゴが口を開けば、少女の安全を確認したエリゼオが倒れた黒騎士の腰から剣を抜き、イェオリが大きく距離を取って、頃合いの場所で足を止めた。こうして三頭の雄羊と黒の群れは巨大な獣を完全に包囲した。

 遠くで幼い獣が吼える。

 


「こっちはうちのを五人分賭けたんだ。ミリには悪いが、お前の首は俺が貰うぞ」



 唸るイェオリは、纏う雷に藤黄の鬣を逆立たせ、緑を怒りで染め上げた。そうして叩いて伸ばしただけの様な剣を下げ、地面を蹴った。

 エリゼオはそれに呼応し、獣へ向かって駆け出した。



「ウゥウ……」



 マンディブラは殺気を放つ獣に戸惑いながらも、先ずは雷を引く羊の一線を飛び上がることで回避。その時、また耳を劈く轟音が響いて、辺りに光が溢れ、収縮。したかと思えば、それは地面より稲光を突き上げ、危うく彼女の身体を焦がしかけた。

 あれに触れてはいけない。

 思うより先に身体が動き、続けて煌めく銀線を左で地面を蹴って避けていた。空いた脇に食らいついた羊が拳を振るが、それが触れる前に前肢を掻いて身を捩った。そうこうしていると、背後に囲いを作る羊の群れが迫る。それでも襲い来るモノに間合いを詰められることを嫌って、更に下がった。

 すると、



「ルアッ!」



 それらが構えた光る歯が、尾に牙を突き立てた。



「ウルルル……」



 マンディブラは仕方なく耳を下げ、肩を下げ、唸りながら円の内へと戻る。

 エリゼオは目のないそれに見据えられ、剣を握ったまま胸の前で構える。右を引き、腰を落とせば、



「ルアッ!」


 

 吼えた獣が動いた。

 マンディブラが右で踏み切る。続く左。浮く上半身。

 筋肉が撓る。

 盛り上がる肩口。

 エリゼオは獣が肉に作る陰影を見ながら、更に重心を下げる。

 マンディブラは動かない羊目掛け平を振り下ろす。

 引き裂ける空気。

 落ちる影。

 エリゼオは下げた右で確り地面を掴み、捩じった上半身の勢いを乗せて右腕を斜めに突き出す。



「っ」



 僅かばかり感じる抵抗。

 しかし退かず、突き出した腕で巨足の軌道を僅かに逸らし、次いで下がった左で持った長剣でそれを数度、続け様に穿った。



「ルオッ!」



 反射的に身を退くマンディブラ。

 顔を薙ごうと突き出された左前肢を、エリゼオは半歩身を退き、下げた刀身を右に添え盾として、受ける。そうして獣の刃を逸らし、十分にやり過ごしてから刀身ごと右を突き出して、獣の腕を弾く。できた隙で、両手に柄を握り、背を撓らせ振り翳し、戻る力で首元に剣尖を突き立てた。

 しかし、それは肩の骨に阻まれ、止まる。

 エリゼオは仕方なく抜き、身体を逸らした勢いで後ろへ飛んだ。地面に手を突き、足を撓らせた背を傷ついた獣の腕が薙ぐ。

 飛び散る血液。

 黒の鎧が濡れる。

 エリゼオは更に後ろへ飛んで、間合いを取った。



「ウルルッ!」



 マンディブラは手負いの羊を中々捕まえることが出来ず、苛立ちに首を振る。後肢で地面を掻き、砂埃を巻き上げ、首に青筋を立てる。



「次は俺の番か?」



 ヴィゴは口角を厭らしく引き上げ、構えた両腕を引き下げる。そうして平を開き、それに力を籠める。それはまるで、身体全体に纏わりつく生温い粘液を集める様な感覚。



「さぁ、こっちへおいで、悪い子ちゃん」



 橙を眇めると、両腕から一気に炎が立ち昇った。

 それは爆ぜ、空気を焼く。

 大気が揺らぎ陽炎となって、黒い羊を包めば、彼は書物に見る魔獣の様だった。



「ウルル……」



 マンディブラは突如視界を焼いた光に、完全に腰を引いた。そして数歩下がり、白んだそれを嫌がって首を振る。

 イェオリはその隙を見逃さず、獣の後方より走る。

 遅れてエリゼオも彼に倣い、脇より肉薄する。

 駆ける二頭。

 雷を引く羊はかなり手前で地面を踏み切る。

 左に銀線を描く雄羊は得物を槍の様に持ち替え、その勢いのまま獣に投げつける。



「ギャッ!」



 それは奥側の、彼女の後肢に突き立ち、巨体を揺らがせた。

 エリゼオは更に速度を上げ、雷が落ちるより早く、半身を一本で支えることになった後肢にぶち当たった。そして傾いたそれを内へ押し込み、



「っ、しっ!」



 掬い上げる。



「ウロロッ!」



 浮く巨体。

 エリゼオは下敷きになる手前で獣の下を潜り、走り抜ける。



「ッ!」



 間を置かず、マンディブラは平衡を失って、上半身を残し腰から崩れ落ちた。

 そこへ雷を携えたイェオリが舞い降りる。彼の手の内で収縮する青白。

 エリゼオが地面を蹴る。

 ヴィゴが足へと魔力を移す。



「これはちとキツイぞっ!」



 イェオリが吼えると同時に、火柱が上がる。

 橙に染まる世界。

 緑目の虹彩が引き絞られる。

 走る閃光。

 橙は一瞬で青白に染まり、網膜を焼く。

 続いて大気が引き裂ける。

 同時に轟く爆音。

 


「ルアァアアアアアアアアアアッ!」



 それは大地に歪な線を描き、巨体を貫いた。

 雷獣を、マンディブラを囲む様に立ち昇る炎を伝い、雷撃が空へと走り抜ける。 



「っ、はっ……」



 焼けた空気が肺を焦がした。

 エリゼオは一瞬で灼熱地獄となったそこで、頭を庇い縮めた身体を起こして、顔を上げた。眼前で揺らぐ炎を弁柄に映し、雷に貫かれる最悪が過った頭を振った。そしてイェオリの怒りはなるべく買うまい、と静かに心に誓った。



「はーっ……」



 ヴィゴは大きく息を吐いて、練り上げた魔力の糸を断ち切った。掻き消えた火柱の向こうで、茫然と座り込む歳若の上官の姿を見て笑う。

 長い付き合いだ。相方との共闘にも慣れたが、未だにこうして際どい読み合いになることがある。一歩間違えば上官は丸焦げだっただろう。その時彼は一体どんな顔をするのか。信頼、の言葉一つで命を賭け合う仲間は、結局どこか頭がおかしいのかもしれない。

 思えばまた可笑しくて、ヴィゴは肩を揺らした。そして眼前に広がる惨劇を橙に映した。その目端が緩む。



「ま、結果良ければ、か」



 そこに残るのは痙攣するマンディブラの巨体と、青白を纏った黒騎士だけだった。


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