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黒の雄羊  作者: みお
第1章
32/64

第27話  衝突(1)

 それは高い音を立て、空気を裂く。

 それは羽虫の様な音を立て、白と灰の階調が美しい空を黒に染める。



「ウルル……」



 鼻面を上げたマンディブラは経験したこともない状況に戸惑い、対処できなかった。ただ本能が発する警告を耳に、竦んだ身体を強張らせる。

 空気が引き裂ける。

 風を流す羽が振動する。

 そうしてそれは雨粒の如く、乾いた大地に、躍動する獣の身体に容赦なく降り注いだ。



「ギアッ!」

「ギャウッ!」



 辺り一面を穿つ矢を避けることができず、マンディブラは悲鳴を上げ、身を捩る。

 ヤツ等の放つ棘などなんてことはない筈だった。駆け抜けた森では、自慢の装甲で殆どを弾いたのだから。

 それがどうだろう。

 木々を抜け、広大な大地に飛び出した途端、黒く小さな獣達はその数を増やし、突如牙を剥いた。それは明確な殺意を持って、身体に突き立てられる。



「ギャウッ!」

「ギャンッ!」



 久しぶりに感じる恐怖。それはあの山の獣に追われた時と同じ。



「キャウッ、キャウッ」



 感じなかった殺気と力、圧倒的な数に翻弄され、獣は惑った。



「チッ」



 探る矢筒に矢はない。アウヴォは鼻筋に皺を寄せ、珍しく舌を打った。その頭上を、脇を、凄まじい数の矢が過ぎる。

 彼の背後に控えるのはヴィゴ下の四分隊。多少欠けはしたが、その腕は鈍らない。狩人の名の下、的確に獲物を狙う。



「クルルルル……」



 アウヴォは風を切る音色に目を眇め、眼下でのたうつ獣を見下ろす。

 踏み場もない程大地に突き立った矢。

 滴る血。

 それでも足りない。



「クアッ、クッ」



 アウヴォは鳴いて、大地の際に立った巨木を踏み切った。

 降り注ぐ矢を背に、赤い大地を黒にする凶器の絨毯へと降り立つ。その内の数本を抜き、矢筒へ。更に数本を引き抜いて束ねたまま持ち、一本を番える。狙うのは尾を下げた大きな獣。

 


「シッ!」



 息を吐くと同時に放てば、



「ギャウッ!」


 

 太い首を矢が穿つ。

 続けてもう一投。更に一投。

 束にした矢を次々番えては放ち、番えては放ち。



「ウルルルルッ!」



 大きなマンディブラは赤黒の身体に大量の針を背負い、跳ね回っては箆を打ち鳴らした。

 アウヴォは構わず距離を取りながら矢を放つ。それは足を、脇を、腹を容赦なく突き通し、大地に鮮血を撒く。



「ウロロロッ!」



 吼えた獣は恐怖を怒りにすり替えて、地面を蹴る。

 アウヴォは地面から矢を抜き、正面に構える。狙うのは彼女の眉間。

 一歩。

 マンディブラが踏み出す。

 軋む弦。

 一歩。

 獣の半身が沈む。

 噛み締めた羊の奥歯が鳴る。

 一歩。

 撓る体躯。

 鳴く鳥が息を止める。

 一歩。



「ルアッ!」

「……ッ!」



 突如、真横に現れた気配に、アウヴォは身を捻った。

 逸らした横目に入る鼻面。

 残った右腕。

 跳ね上がる足。

 走る激痛。



「ッ、アァアッ!」



 アウヴォは反射的に悲鳴を上げていた。

 続けて、恐ろしい力で身体が引き摺られる。



「ッア!」



 捻じれる上半身に肩が軋む。次いで、遅れた下肢に背骨が鳴り、急激に加えられた力で頭が大きく下がって、首が嫌な音を立てた。

 獣の鼻面越しに、色を失った指が映る。

 突き立てられた複数の太い牙が二の腕の、前腕の筋肉を突き破る音がした。それが骨を伝って、身体に響く。一気に下がる血液。背筋が凍る。

 にも、拘わらず、咥えられた腕は酷く熱く、息が詰まる思いだった。



「うぅっ!」



 アウヴォはきつく目を閉じ、呻き、力一杯唇を噛んだ。

 広がる血の味。感じるのは腕を伝う熱い体液。

 無意識に震える身体を鼓舞し、手にしていた弓を捨てた。そして握りしめたままの矢を、齧られた右から取り上げる。

 そして振り上げ、



「っ!」



 思い切り、マンディブラの鼻面に突き立てた。



「ギャワッ!」



 獣が口を開く。

 アウヴォは宙で上半身を捻り、右腕を獣の口から引き抜いて、



「っ、あっ!」



 そのまま地面に激突した。

 大地に突き立った矢をへし折り、転がって、



「んぅ……ッ」



 鼻を鳴らして、酷く打ち付けた左ではなく、引き裂かれた右肩を押さえる。



「ウルルッ!」



 マンディブラは鼻面を何度も振り、前肢で肉を抉る矢を掻いた。上顎を突き抜けたそれは抜けず、途中で折れる。舌を出して、歯を打ち鳴らし、拭い去れない違和感に後肢を跳ね上げる。尾を振り、身を捩る度に血が流れ、何度か首を振ると踏鞴を踏んだ。



「グー……グゥウ……」



 アウヴォはふらつき、流れる血をそのままに立ち上がる。垂れ下がった右腕は酷く重く、熱く、凹み裂けた鎧の間から肉が覗く。止まらない赤黒は腕を伝い、手甲に溜まり、平を護る革に滲んで、指先の隙間から零れ落ちた。それは大地に溜まりを作る程であったが、怒りに震える彼には、痛みなど最早あってない様な物だった。



「ググググ……」



 アウヴォは喉を鳴るままに、捨てた弓を、突き立った矢を拾う。その燃える金目に映すのは首を振り続ける獣。

 足を弓に掛け、左で矢を番える。そのまま右で立てば、ふらつくこともなく弦が撓った。弓に掛けた左を突き出し、弦を目一杯引き絞り、いつも通り解き放つと、



「ガッ!」



 獣の首の付け根に矢が深々と突き立った。



「ウルアアアッ!」



 マンディブラが吼え、狂う。跳ね回り、眼前に立つ黒の獣を見る。

 アウヴォは逃げない。それを見据え、挑む様に弓を握り直す。

 走る獣。

 足を広げ、重心を下げる羊。



「ルアッ!」



 マンディブラが跳ぶ。

 羊は動かない。

 迫る鎌。

 引き裂ける口。

 糸を引く涎。

 暗く覗く口内。



「……」



 アウヴォは右足を出す。

 上半身を捻り、背筋を引き絞って、



「ッ、ギッ!」



 力の限り、弓を振り抜いた。

 弾ける弦。

 へし折れる弓。



「ッ、アッ!」



 マンディブラが仰け反る。宙を掻く前肢。

 アウヴォは腰にぶら下げた鉄の棒を引き抜く。それを慣れない左で何度か振り回し、地面を蹴る。数歩で獣の胸の下へ。彼は後肢で立ち、がむしゃらに空を掻く獣の右を鉄棒で叩き、次いで左腕をかち上げる。そのまま振り下ろす勢いで首筋を打ち据え、今度は逆の肩口を打った。

 その度に鈍い音が響き、獣が悲痛な声を上げる。



「ヒンッ、ヒンッ」



 マンディブラは鼻を鳴らし、前肢を庇って痛めた肩を丸める。

 


「ヒーッ、ヒー……」



 本能が告げる通り身を後退させれば、黒い羊が上体を起こした。



「ヒー、ヒー……」



 穿たれた胸からは空気が漏れ、気管を伝う血が口から、鼻から溢れる。

 護らなければ。

 思うが力は入らず。

 せめて逃がさなくては。

 思うが体が重く。



「ヒー……、イー……」



 マンディブラは震えの酷くなった四肢で立つことが出来なくなり、前のめりに倒れた。巨体が地面に突き立った矢を砕き、頭は撓らせたそれの上に乗る。



「ヒーッ、ヒー……」



 彼は舌を出し、喘ぐ。なんとか立ち上がろうともがくが、突き立った矢さえ折ることが出来ず、前肢を縮めたまま血泡を吐いた。



「クククク……」



 アウヴォは鉄棒を引き摺って獣に歩み寄る。金目で見下ろせば、それは性懲りもなく足掻いて、彼の鉄靴を引っ掻いた。

 


「……」



 ここには大切な妹は居ない。

 ここには純真な少女は居ない。

 ここには心を痛めるモノは居ない。



「……」



 アウヴォは左腕を上げる。



「ヒー……」



 そうして息を詰め、



「……」



 背を、腕を撓らせ、振り下ろした。



「あぁ……」



 エリゼオは漸く歪みの取れ始めた視界に、声を漏らす。その耳に届くのは鈍い音。獣の咆哮。

 夢じゃなかった、ぼんやりとそんなことを考えて、身を起こす。

 途端に走る痛み。



「っ」



 エリゼオは息を詰め、脇を押さえる。一気に噴き出す脂汗に眉根を寄せ、硬く目を瞑れば幾らかは和らいだ。まだ揺れる思い頭を抱え、脇を見れば、先程まで支えてくれていた男が見えた。



「ヴィゴ……」



 痛む身体を、足を引き摺り、倒れ込む様に下官の背に縋りつく。



「ヴィゴ」



 何度か揺すると、



「……ぅ」



 彼が呻く。

 一先ず安堵したエリゼオが辺りを窺うと、一面、矢の絨毯だった。異様な光景に畏怖より呆れが先に来る。こんな状況で気を失っていたかと思うと、笑えた。



「ヴィゴ、起きろ」

「ぁ……、てぇ……」



 突っ伏した大きな男を仰向けにして、エリゼオは重い荷物でも運ぶ様に引き摺る。とにかく少しでも遠くへ。ここで流れ矢でも受ければ、流石に笑ってはいられない。

 折角起きた奇跡、ではないと願いたいが、それを無駄にしない様に、彼らは最前線より距離を取った。



「見えたな……」



 そこより少し南西の荒野を走る影があった。

 イェオリは少女を抱えたまま、眼前で黒々と影を作る獣の巨体に目を眇める。とにかく別れた群れが心配だった。先走る気持ち、騎獣なしのもどかしさに歯噛みするが、だからと言って足が早まる訳でもなく。



「クソッ」



 現場へ近づくにつれ、不安が押し寄せた。

 広がるのは大地に突き立つ矢の絨毯。その上を跳ね回るマンディブラ。よく見れば一頭きりで、縄で足止めされた小柄な雄の方はもう動いてはいない様だった。

 途切れ途切れに飛ぶ矢から、ヴィゴ下はまだ森の木々の上に陣取っているらしいことは分かった。

 それでは大きな獣の相手をするのは誰なのか。



「……」



 イェオリは足を止めず、目を凝らす。

 獣を誘い、揶揄い、紙一重で身を翻す黒騎士は一人。鳥の様に舞う姿、背格好から相方、勿論上官でない事も分かった。

 では彼らはどこに。

 イェオリは急速に頭を擡げ始めた不安に眉根を寄せ、無意識に辺りを探った。その眼に、座り込んだ状態で頭を振る羊が映る。



「……」

―――生きていた……。



 イェオリはあからさまに安堵した様子を見せ、少女を抱えたままその場に身を伏せた。訝る少女を地面に下ろし、小さな頭を押さえ、口元で指を立てる。

 口を閉じていろ、の指示に、フロミーは何度も頷いて、大きなバックを胸に、赤い大地の上で口を結び、身を縮めた。確かにこの場ならば獣の背面になるし、推測通りなら視界に入ることはないだろう。但し、それは仲間にとっても同じで、死角からでは合図を出しても伝わらない。

 少女が不安そうな顔で緑眼の黒騎士を見上げると、彼は兜の下で口端を緩めて、脛当の側面に仕込んであった短刀を抜いた。意図を理解できずにフロミーが小首を傾げれば、短い刃が日の光できらり、と光る。



―――黙ってろ。



 イェオリはもう一度指を立て、手甲を外して刃を握った。引けば血が溢れ、少女が慌てる。彼はそれを放って置いて、傷つけた手を強く握る。流れ出た血液が皺を伝い、大きな雫となる。


 吼える獣。

 流れる矢。


 そうして血雫はやがて地面に落ちた。



「っ」



 目線の先。前線より下がり、座り込んでいた雄羊の一頭が、弾かれる様に顔を上げた。

 イェオリは肩を揺らし、フロミーは驚いた様に大きな目を瞬かせる。



「……」



 エリゼオは黒銀を風に靡かせ、遠くを見ていた。視覚と言うより嗅覚に重きを置き、風を嗅いで、先程感じたニオイを探る。そうして耳を澄ませ、聞こえた筈の、血気が地面を叩く音に集中する。

 イェオリは獣より魔に近く見える歳若の上官を捉えながら、



「エリゼオ」



 静かに口を開いた。

 黒銀の飾り毛が風に流れる。光るのは黒の角。

 エリゼオは確かに聞こえた声に振り返った。弁柄に、眇めた緑眼が映る。



「……」



 エリゼオは上げた頭を下げ、傍らで未だにぼんやり、としている男の肩を掴む。



「ヴィゴ、腰を上げろ。イェオリが追いついた」



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