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黒の雄羊  作者: みお
第1章
28/64

第23話  イルシオンの森(5)

 イェオリが跳ぶ。



「ひっ!」



 フロミーは突如感じる浮遊感に、上官の身体に縋りついたまま悲鳴を上げた。

 彼は宙を舞って、音もなく倒木に足を着けるとまた走り出す。そして地面を踏み切り、長い跳躍。獣の様に前肢を伸ばし、



「っ、とっ」



 腕から着地すると、今度は転がる岩から飛び降りた。

 ベルンハルトが跳ぶ。

 舞う黒銀の飾り毛。

 エリゼオが跳ぶ。

 黒銀の長い捻じれた角が木漏れ日に輝く。



「よっ」



 上官が地面に手を突くと、



「……」



 エリゼオが足を着け、衝撃を逃がす為に身を屈める。

 ヴィゴが跳ぶ。

 橙の飾り毛が流れ、



「ルアッ!」



 真後ろに迫ったマンディブラが爪を剥き、それを掴もうと前肢を広げた。

 伸び上がる巨体。

 ヴィゴは身を縮め、地面に転がる。

 間一髪。

 獣の前肢が空を切る。



「っ、ぶねぇっ!」



 黒羊は兜を押さえ、また地面を蹴る。先を行く仲間に続き、倒木を蹴って、地面を蹴って、



「とっ」



 平衡を失いながらもなんとか岩へ足を着けた。

 マンディブラは大きく裂けた口を目一杯開き、地面を掻き、跳んで、何度も空を噛む。その度に歯が鳴って、黒羊達は罠にかかる鼠の気持ちを思い知らされる。



「クソッ! はえぇなっ!」



 ヴィゴは地面に手を突き、身体を撓らせながら歯噛みする。

 仲間の唸り声に、イェオリが腕を上げ、反応する。それに彼が橙を眇めると、相方は走りながら器用に手を振り、指を曲げ、



―――逃げるより戦った方が早くないか?



 振り向きもせず言うので、



「バカ言えっ! こっちの荷は重いんだよっ!」



 ヴィゴはその背に叫んだ。



「ルウゥウウウウッ!」



 一時は突き放した筈の巨体は、雄羊の尾に噛り付いたまま離れない。

 彼は痛みを与える羊より、巧みに素早く動く羊より、逃げ惑う雄羊をどうにか捕えてやろう、と考えていた。奴等は他に比べて足が遅いし、何より空を跳ね回る他のモノを操っているらしかったから。やっと見つけた安息の地を護る為には、先ずは数を減らさなくては、と害獣を追い立てる。



「フーッ! フーッ!」



 身を揺すり、岩を、木々を跳ね飛ばし、倒木を突き破って地面を引っ掻く。眼前を鬱陶しく跳ね回る黒羊目掛け嚙みかかり、歯を打ち鳴らし追い回せば、目前の小さな獣が平衡を失う。

 絶対に逃がすものか。



「……」



 アウヴォは猛り頭を振って全てを吹き飛ばす獣を見下ろし、木々の間を飛んでいた。仲間を引き連れ、枝を蹴る。垂れる蔓を掴み、反動で飛んで、次の枝へ。葉を落とし、苔を削ぎ、次を掴んで器用に一回転。翻った身体を木漏れ日に輝かせ、また先の巨木へ。

 眼下でマンディブラが岩を噛む。それは呆気ないほど簡単に砕け、下を走る群れを否応なしに追い立てた。



「……」



 決して心中穏やかではいられない。

 許されるなら直ぐにでも飛び出して、上官を護り、獣を捻じ伏せたい。それでもその衝動を押さえるのは、彼らの上官がそれを良し、とはしないから。頭が思う通りに動くのが手足の仕事。決して乱してはいけない。それが重大な誤りに繋がる、と理解している。

 その為、上空を行く四分隊は心を殺し、大人しく眼下を行く上官を、獣を追っていた。



「……」



 暫くそのまま口を閉じて走り続けていると、地上を走る上官が指を振った。その行く先には巨木が倒れ、頭上より日が差し込む少し開けた場所があった。アウヴォは彼の意思を読み、漸く与えられた令に肌を粟立たせる。



「……」



 興奮に震える身体を押さえ、枝を踏み切り、足を着いたところで指を立て、折り、また立てる。後方に続く黒騎士の一人はそれに従い、速度を上げ、命を出す上官を追い抜いた。そうして獣をも追い抜き、腰の短刀を引き抜く。鈍く光る刃に緑を乗せ、彼は両足で踏み切った。

 舞い、落ちる黒羊。

 走るマンディブラ。

 丁度重なるところで、



「ギャワッ!」



 獣が悲鳴を上げた。

 ヴィゴが頭を下げる。

 その上をマンディブラの鋭い爪が引き裂き、風が鳴った。



「ルォオオオッ!」



 マンディブラは黒騎士を背に乗せ、跳ね回る。後肢を振り上げ、背を丸め、前肢で地面を蹴って身を捻る。そのままわざと身体を木に打ち付け、また捻り、大きく伸び上がれば、



「っ、あっ!」



 獣の上に落ちた黒騎士は、突き立った短刀の柄を必死に掴んでいたが、呆気なく跳ね飛ばされた。



「ルアアアッ!」



 マンディブラは怒り、吼え、吹き飛ばした騎士ではなく、目の前を駆ける黒羊に飛び掛かった。



「しつこいっ、なっ」



 ヴィゴは間近に迫る気配に身体を翻す。間を置かず、地面を抉る獣の前肢が視界に入った。木漏れ日に巨体が陰る。それを確認し、彼は足を止める。

 突如、逃げることを諦めた黒羊に対応できなかった。マンディブラは前肢を踏ん張り、それでも止まれず後肢を広げた。下がった下肢に尾が引き摺られ、地面を掘って、草木を派手に巻き上げる。

 マンディブラが足を止めたのは目的地点。乱立する木々が少し途切れた広場。

 巨体を眼前に捉え、ヴィゴは拳を握り、地面を踏みしめる。



「シッ!」



 肉を叩く重い音。

 突き出した右は空いた脇腹に入り、獣の巨体を揺らがせる。



「シッ!」



 続いて追撃した左が臣子の打ち込んだ矢を的確に突き、更に深くに押し込んだ。

 同時に聞こえる不快音。



「ギアッ!」



 鋭い鏃に肺を抉られ、マンディブラは身を捩った。前肢を揚げ、右で跳ね、



「ウルルルルル……」



 口から血を流しながら、喉を鳴らす。それは水没する様に、液体に空気を漏らし、不自然な悲鳴となった。零れる日の光が、赤黒の体液を輝かせ、滑らかな体表を濡れた様に見せる。

 頭上で待機するアウヴォはマンディブラの隙を見逃さない。素早く後方の黒騎士に向け、腕を振る。令を受けた黒騎士達は上官を追い越し、腰袋から縄を引き摺り出す。そうしてそれを頭上で振り回し、



「ルゥ……」



 獣が首を上げたところで、投げ掛けた。

 二つは首へ。一つは上げた左の前肢に。

 それぞれの先を握った黒騎士は後方へ飛ぶ。その足を別の騎士が握り、共に地面へ向けて落下する。縄が枝を擦り、悲鳴を上げ引き絞られて、



「ルアッ!」



 マンディブラは首と足に重石をぶら下げられ、堪らず大きく仰け反った。



「よっ」



 黒騎士の足を握った騎士達はそれぞれに着地し、獣の脇を抜けて、上官を追い越し巨木へ足を掛ける。そのまま上へ飛び、樹表に爪を立て、身体を持ち上げ、更に上へ。そうして枝を掴むと、重い鎧など関係ない、と言わんばかりに振舞って、身体を木々の上へと持ち上げた。



「っ、しょっ」



 縄を握った黒騎士は足を振り、反動を利用して枝にそれを巻き付けて行く。短くなる毎に速度が上がり、手が滑ったが、そこは経験が物を言う。巧みに身を捻り、あと少しを残したところで手を離し、器用に枝の上に降り立った。

 眩む目に頭を振り、離した縄端を手繰って、巻き付けた部分に通して硬く縛る。

 そこまで来ると、



「ルオオォオオ……」



 獣は後肢で立ち、悲しい声を上げた。



「よしっ!」



 拘束された獣の姿を確認し、ヴィゴは掌を打って、また走り出す。巨木の上に陣取る黒騎士も上官に倣い、足に力を込めた。

 ところで、



「ルアアアアアアアッ!」



 マンディブラは怒りに吼え、締まる首を力の限りに振るい始めた。

 撓る枝、撓む木々。

 圧倒的な力の前に、巨木は軋んで葉を落とした。

 縄は引かれ、締まるが切れはしない。擦れ、樹皮を削り、耳障りな音を立てるばかり。それでも足掻き、もがき、身を揺すり、更に引けば、生木が先に音を上げた。



「うわっ!」

「あっ!」



 それは悲鳴を上げ、派手にへし折れる。足場にしていた黒騎士の幾人かは受け身も取れず、地面へ叩き付けられた。

 マンディブラは構わず地面を掴み、怒りのままに身体を震わせる。縄を結ばれた枝が獣の力で跳ね上がり、地面の上で踊り狂った。



「あぁ、マズイ……」



 ヴィゴは流石に青ざめ、速度を上げた。

 張り出した根を蹴り、跳んで地面に足を着ける。先に垂れる枝を掴み、撓るそれを利用し飛び上がって岩に着地し、また飛ぶ。覆い被さる木々に突っ込み、咄嗟に腕で顔面を護る。ぶつかる枝葉に鎧が鳴って、飾り毛が切れた。一瞬首が引かれて、堪らず目を眇める。

 エリゼオは後方を走る黒騎士を確認し、



「ピュイッ」



 短く唇を噛んだ。

 振り返るのは少女を抱えたイェオリ。

 エリゼオは彼に向けて顎を上げる。

 イェオリは首を逸らし、至極嫌そうな態度で返した。

 しかし、エリゼオは構わず足を緩め、後方へ下がる。



「ピーィッ」



 今度はイェオリが唇を噛み、吹く。

 それまで広がっていた彼の下官が間を詰め、走るイェオリを囲んだ。小さな群れは固まって、逸れた羊はそのままに先を急ぐ。



「ルアアアッ!」



 マンディブラは走った。

 首に、脚に縄をつけられたまま、太い枝を引き摺り、跳ね飛ばし、荒れ狂って森を飛び回る。首を振り、地面を掻き、標的を見定め、距離を詰め、



「ウアアアッ!」



 飛び掛かっては空を噛んだ。

 間近で鳴る歯に首を窄め、ヴィゴは駆けた。走って、走って、それでも距離は開かず、息を切らす。エリゼオは呼吸を乱した下官に溜息を零し、追いついて来た彼と並走した。

 ヴィゴは上官を抱える身で囮役を買って出た、歳若の騎士に非難めいた視線を送ったが、直ぐに止めた。きっと彼が来なければ、遅かれ早かれ、己の居場所はあの獣の胃袋の中だった。それは確かだ。

 無言で腕を上げれば、若い羊は生意気に顎を上げる。ヴィゴは兜の下で笑って、軽く腕を突き出した。エリゼオはそれに応え、彼の後ろへ入る。一時そうして走り、十二分に獣が尻に喰いついたところで突如、足を止めた。



「ルアッ!」



 構わず突っ込んできた獣を横に跳ぶことで躱し、空を噛んだ隙に後方へ。

 マンディブラは増えた黒羊に戸惑いながらも、腕を振り、誘う黒銀の尾を追って身を翻す。前肢に後肢を合わせ飛べば、目の前で羊が消えた。



「ルゥウ……」



 戸惑い、辺りを窺うと、木と木の間から黒銀の羊の尾が覗く。

 マンディブラはそれを追って鼻面を隙間に突っ込む。そのまま強引に頭を捻じ込んで、熱くなった身体を木々の間から引き摺り出したが、もうそこに黒い姿はなく。



「ウルル」



 太い尾を振ると背後で、



「ピィッ」



 黒羊が鳴いた。

 慌てて振り返り、巨木を回ってそれに飛び掛かかろうとした。

 が、



「ルアッ!」



 意図せず首を引かれ、堪らず悲鳴を上げた。締まる首に前肢を掻き、身を翻して身体を揺する。エリゼオは巨木の間で跳ね回る枝葉を見ながら、息を切らし合流したヴィゴに肩を竦めた。



「これで一先ず時間は稼げそうか?」

「んや、多分無理だな、コレ」



 引かれ、跳ね回る縄に、巨木の間に引っ掛かった太い枝は悲鳴を上げていた。獣が力を籠める度にそれは軋んで、縄を支点に撓っては、不気味な音を立てる。



「あぁ……。大人しくお留守番はできないヤツだな、ありゃ」

「ったく……。躾のなってない獣だ」



 零して二頭はまた走り出した。

 彼らに倣い、木々の上に陣取る黒騎士達もまた枝を蹴る。そうしてまた枝を蹴り、獣を後に残した。



「ルルル!」



 マンディブラは己を拘束する長い縄に牙を剥き、それを噛んで何度も首を振る。退けど、歯を鳴らそうと一向に自由にならず、怒りだけが身体を支配する。



「ウルルルッ!」



 彼が跳ね回る度に緑が赤く色付く。枯葉はやがて赤黒に染まり、下草が濡れる。



「ルルルルル……」



 マンディブラは舌を出し、荒く息を吐いた。呼吸する度に胸が痛み、立ち止まっていると自然と身体が傾いた。経験した事のない感覚に、急激に体温が下がる。彼は言い知れぬ恐怖を感じ、己を離さない巨木に身を寄せる。そうして頭で幹を叩いた。

 巨木が揺れる。

 マンディブラはもう一度頭で樹を揺らす。

 もう一度。

 もう一度。

 そしてもう一度。



「ルアアアッ!」



 猛った獣は裂けた口を大きく開き、吼え、傷ついた身体で巨木にぶち当たった。

 空気が揺れる。

 静かな森を低音が駆け抜け、それは先を行く黒羊の群れの鼓膜を易々と引っ掻いた。



「あぁ……、悪い子だ」



 項垂れたヴィゴに、エリゼオは何度目かも分からない溜息を零した。

 


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