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黒の雄羊  作者: みお
第1章
26/64

第21話  イルシオンの森(3)

「ホレ、見えるか? ここに足跡あるだろ?」



 ヴィゴはしゃがみ込んだまま地面を指差し、上官を見上げた。

 僅かに吹いた風に、褐色の長い髪が揺れる。



「どこ?」



 腰を折り、首を傾げるベルンハルト。

 エリゼオは黙ったままで、イェオリは欠伸を零した。



「あーもーっ」



 要領を得ない上官と関心のないらしい下官に、ヴィゴは兜の下で苦い顔をする。

 これだから素人は、と唸って、



「こうやって見れば、ホレ、見えるだろ?」



 上官の腕を引き座らせ、頭を掴み、地面に半身を押し付けた。



「痛いって」



 ベルンハルトは呻いて、地面に手を突く。そうして臣子が指す方を見た。



「……」



 落ちる沈黙。

 ヴィゴは死体の脇で項垂れる。



「あぁ、分かった。取り敢えず、ここに足跡あっから」



 上官の理解を得るのは無理だ、と判断し、立ち上がる。



「んで、ホレ。こんだけデカい」



 己の足を添えれば、



「かなり大物だな」



 エリゼオが唸った。

 それは鉄靴を履いたヴィゴの足の倍以上はある。



「だろ? こんなの見た事ねぇわ」

「お前が知らないだけじゃないのか?」

「ま、その可能性もある」

「いい加減だな」



 笑うヴィゴに、イェオリは呆れた様に返した。



「んー、よく分かんねぇけど、それが犯人か?」



 ベルンハルトは首を捻る。



「だろうな。他にそれらしい痕跡もないし。ホレ、これがヤツの毛だ。たぶん」



 ヴィゴは腰袋を漁り、先程下官より受け取った物を取り出す。エリゼオは革を咥え、手甲から腕を抜いて、彼に掌を差し出した。



「やっぱ見た事ねぇけど。この感じだと、相当装甲が厚そうだな」



 肩を竦めるヴィゴに、エリゼオは硬く、棘にも似たそれの感触を確かめる。指先で擦れば想像する毛皮のどれとも当て嵌まらず、濡れた質感を返して、困惑だけを生んだ。



「俺にも心当たりがないな。フロミー、何かわかるか?」



 幼い少女に差し出せば、



「キャンッ!」



 彼女の抱える幼獣が勇ましく吼えた。そうして鼻面に皺を寄せ、一丁前に牙を剥く。



「やっぱ犯人はコイツな」

「の、ようですね」



 指先を覗き込んだベルンハルトに、臣子は溜息を零した。そして惨状をもう一度見回して口を開く。



「子供も居たようですし、ハレムを作っているところを襲われたのでしょう」

「食ってねぇみたいだし、縄張り争いか?」

「どうでしょう。他の群れも、獣も追い回している様ですし、可能性はありますが……。荒らし回っている、と言った方が正確かもしれませんね。かなり気が立っているのか、元からそういうモノなのか。なんにしても厄介ですね」



 溜息をつくエリゼオに、ベルンハルトも肩を落とした。

 一方、フロミーは小さな獣を鞄に押し込みながら、上官の指に摘ままれた毛束を凝視していた。そうして首を捻り、何かを思案して、独り言の様に零す。



「歯がいっぱいあって……、濡れた灰毛……。これは皮膚でしょうか?」

「だろうな」



 適当に返すのはヴィゴ。

 フロミーは顎に手を当て、引き千切られたらしい赤黒の皮に目を落としたまま、珍しく唸る。



「私、なんとなくですけど、心当たりが……」



 そう言って、あからさまに顔を顰めて見せた。



「なんだよ?」

「あの……」



 眉根を寄せるフロミーの表情は優れない。



「まだ……。個体を確認するまでは推測に過ぎませんが……。中佐、一度本隊と合流した方がいいと思います」



 ベルンハルトはフロミーの傍にしゃがみ、揺れる瞳を覗き込む。



「それ、なんて言うヤツ?」

「多分……。多分なんですけど、マンディブラ……」



 俯く少女に、ベルンハルトは顔を上げ、内に居る臣子を見た。灰目に無言で尋ねられたエリゼオは首を振る。次いで視線を受けたヴィゴが肩を竦め、イェオリに至っては目も合わせなかった。

 それは誰も知らない獣の名。



「私も……。私も一度だけ、獣人都市から流れてきた、と言われていた書物の中で見ただけなんです。そこには挿絵もなくって、姿は想像するしかなかったんですが……。ただ“彼”の言っていたように沢山の歯があって、赤黒の皮膚に、濡れた灰毛を生やしてて、ここにある大きな足跡を残せるぐらいの巨体……。思い当たるのは、凶暴なその獣だけです」



 自身を抱いたフロミーに、顔だけ鞄から覗かせた幼獣がか細く鳴いた。



「合流すればその獣には勝てそうか?」

「分かりません……。書物には詳しい事は書かれていなくって。何処に住処があるのかも、生態も不明です。凶暴、とありましたが、それがどれ程かも想像するしか……」



 腕を組むエリゼオに、フロミーは不安を滲ませる。

 その語尾を、



「まぁ、それについては言うまでもないんじゃねぇの?」



 目の前に広がる惨状を指差すヴィゴが引き継いだ。

 苦虫を噛み潰すエリゼオに、イェオリはまた欠伸を噛む。



「どうせやるしかねぇんだし」



 そう言って最年長の雄羊は空を指す。


 流れる風。

 騒めく森。


 エリゼオが顔を上げる。


 細く、長く。

 微かに聞こえるのは鳥の鳴き声。



「お兄ちゃん」



 フロミーは声の流れる方向を見て呟いた。



「お、アウヴォのヤツなんか見つけたな」



 続いてヴィゴが空を見上げると、イェオリが肩を竦める。



「ま、どうせ考えたって分かんねぇんだし、取り敢えず動こうや」



 さも面倒だ、と言わんばかりの態度で、イェオリは歩き出した。

 ベルンハルトは仕方なく後に続き、ヴィゴは下官の黒騎士を手招き、数人を斥候に、残りを護衛と案内とした。

 エリゼオは少女の一時撤退すべき、の言葉を反芻しながら、それでも決断するまでには至らず、渋々イェオリの後に続いた。その途中、もたつく少女を抱え上げ、群れの真中へ陣取ったのは悲しい性のなせる業だった。

 一行は来た道を折り返し、鳴く黒騎士の許へ急ぐ。



「っ、はっ、はっ」



 揺れる木々に漏れる光が躍る。

 軋む枝葉に森が鳴く。

 そうして時折雫を落とし、黒騎士の鎧を濡らす。

 静まり返った森に響くのは彼らの吐息。

 落ち葉を踏み、枯れ枝を砕く。

 身を屈め、それでも早足で、彼らは森を駆ける獣の様に先へ、先へ。



「……」



 声を、ニオイを、彼が残した痕跡を頼りに、案内役の黒騎士は迷いもせず目的の地へと一団を導いた。彼が片腕を上げれば、群れが止まる。



「この辺りです」



 息を潜め、群れを導いた黒騎士が静かに零した。

 ヴィゴが上を振り仰げば、随分高い場所で何かが光った。それが何度か瞬いて、臣子の意思を伝える。



「この先、五馬身程度に怪しい巣穴があるってよ。主は居ないらしいが、気を付けろ」



 彼はそう言って案内役と護衛に回した黒騎士に手を振った。彼らはそれに無言で応え、各々森へ姿を消した。

 次いでイェオリが指を振ると、配下が位持ちを囲んだまま大きく距離を取った。そうして身を屈めたまま、辺りの警戒に当たる。



「さて、お宅訪問と参りますか」



 ヴィゴが笑うと、エリゼオが溜息を零した。

 小さな群れは地面を這い、できるだけ物音を立てずに目的地を目指した。たった数馬身を慎重に進み、倒れた木に身を寄せる。そうして息を殺し、そこから目だけを覗かせる。



―――あれか?



 ベルンハルトが指を動かすと、ヴィゴが頷く。

 それは丁度、窪地の様な、谷間と言うには浅い場所にあった。折り重なる様に倒れた巨木の樹洞に、白い物が見え隠れする。よくよく見ればそれらは放置された骨で、一部は変色していた。その周りを囲む木々には身体を擦ったのか、先ほど見た毛の様な物が付着し、踏み荒らされた場所は一目で獣道と分かる筋が残っている。



―――相変わらず臭い。



 ベルンハルトが無言で愚痴ると、イェオリが親指を立て、もう片方の掌で押し下げた。

 次いで、



―――俺らを見習え。



 と、己とエリゼオを指差す。

 ヴィゴは肩を揺らし、ベルンハルトは首を振って返した。



―――ヤツの巣か?



 エリゼオが問えば、ヴィゴが頷く。



―――周りに同じ足跡がある。



 彼は目の辺りから前方に指を振り、辺りの木々を指した。

 追えば幹に傷を作った巨木が映る。



―――ヤツの縄張りだ。ここに居るとかち合うぞ。



 ヴィゴが指先を合わせ、忠告した時、



「ピュイッ!」



 短く、小さく、それでも確かに、羊が鳴いた。

 黒騎士は一斉に身を伏せる。

 息を殺し、気配を探れば、



―――乾だ。



 イェオリが指を振る。

 ベルンハルトは這いずって、倒木の隙間から谷間を見下ろした。

 何かが地面を踏みしめ、乾いた枝を踏み抜く音がする。重い何かが地面を掻く度に乾いた音を立て、荒い息遣いが響き渡る。



「……」



 黒騎士達は息を殺し、気配を消す。

 彼らの双眸が谷間を凝視する中、それは下草を揺らし、



「ウルルルウゥウゥ……」



 喉を鳴らしながら姿を現した。

 それは確かに“彼”の言う通り、耳元まで裂けた口に不揃いの無数の歯を持っていた。

 それは確かに幼い彼女の言う通り、巨体で、ニンゲンの二倍程度の体高があった。

 それは確かに、赤黒の皮膚に濡れた灰毛を纏わせ、棘の様なそれで幹に傷を作った。



「……」



 フロミーの言うマンディブラに、誰もが息を呑み、冷や汗を流した。



「ゥルルルル……」



 緊張に震える黒騎士の前で、それは首を振り、身体を揺すり、尾を振った。舞飛ぶ毛は太い針の様に地面に突き立ち、短刀の様に苔生した巨木を容易く射る。それだけでも十二分に恐怖を与えるというのに、足りない、とマンディブラは鋭く長い鎌の様な爪で地面を抉って見せる。赤黒の液体で濡れ鈍く光るそれは、真白な獣を引き裂いたあの惨劇を想像するに易く、黒羊達の背筋を舐め上げてはざわつかせた。



「……」



 エリゼオは毛を逆立てながら、それでも注意深く獣を観察した。どんなに恐ろしくとも、命の危険であっても、結局は任務を遂行しなければ命を繋げない。苛立ちに舌を打ちたくなるが、必死に圧し留めた。

 彼が奥歯を噛むと、



―――見ろ。



 ヴィゴが指を振る。

 それはマンディブラの背で揺れる黒い棒。



―――矢か?



 イェオリが首を捻る。



―――うちのじゃないな。羽が違う。



 応えるのはヴィゴ。

 赤黒の獣は黒羊とは違い、まるで敵などどこにもいない、とでも言う様に振舞ってはいるが、よくよく見れば身体には無数の傷が見て取れた。特に首元、背中には複数の矢が刺さり、いくつかは折れたまま残っている。



―――アイツも何かに追われたのか。

―――ニンゲンではなさそうだな。

―――魔女か?

―――魔女が弓なんか使うのか?



 彼らは無言のままに会話し、首を捻った。



「……」



 とにかく偵察はここまで。これ以上は彼らに打つ手はない。当初の計画通り、本隊と合流し作戦を練る。

 その為に下がろう、とした時。



「キャンッ! キャンッ!」



 小さな獣がこれまでにない大きな声で吠えた。

 フロミーは鞄を抱え青ざめる。



「キャンッ! キャンッ!」



 それは、それは勇ましく。

 黒騎士達は一瞬固まり、小さな獣を見て、マンディブラを見る。



「ウルルルルル……」



 目は合わなかった。

 ただ、その鼻面が持ち上がり、黒騎士達が身を隠す倒木に向けられる。



「……」



 そこは風下。

 流れさえ変わらなければ決して見つかる筈もない場所。

 黒騎士達は目のない獣の前で動かず、早鐘を打つ心臓を押さえることに集中する。



「ゥウルルルル……」



 唸り、マンディブラが一歩、踏み出した。

 兜の下で冷や汗が流れる。



「……」



 地上の一団と距離を取る木の上の狩人達は息を呑み、ただ無事に過ぎ去る様に、と祈った。そして、もう鳴くな、と願う。

 ところが。



「あの……」



 あろうことか、フロミーが引き攣った声を上げた。

 身を伏せる黒騎士の身体がヒクリ、と跳ねる。



「あの……、もしかしたら……」



 誰もが口を閉じろ、と胸中で叫んだ。

 しかし動くことが出来ず、彼女の口を塞げない。

 木々の上で気配を消す狩人達はやり場のない怒りに震えるが、飛び出すこともできずに唇を噛んでいた。今はただ、上官の命を待つ他ない。



「いえ、きっと……」



 震える彼女の大きな目に映るのは、マンディブラの鼻面。そこに並ぶ無数の穴を見つめながら、フロミーは推測を確信に変える。



「み、見えてます……」



 止まらない腕を押さえ、鳴る歯のまま。

 警鐘を鳴らし続ける本能に反応した身体が、少女の意識とは別にその身体を持ち上げる。ゆっくりと。

 落ちる葉。

 鳴る枝葉。



「彼には見えてる!」



 フロミーは叫んだ。



「キャン! キャンッ!」



 甲高い悲鳴。

 マンディブラの巨体が、驚く程優雅に沈む。

 それが合図だった。



「跳べ!」



 ヴィゴが吼え、イェオリがフロミーの襟首を鷲掴む。エリゼオはベルンハルトが反応するより早く、伏せた身体を持ち上げ、地面を蹴っていた。


 同時だった。


 空を切る音。

 鳴り響く轟音。

 舞飛ぶ木片に、抉られた土が混じる。



「ぐっ!」



 吹き飛ばされた黒騎士達は呻き、それでも止まらず地面を掻く。



「走れ! 走れ!」



 ヴィゴは叫び、突いた手で地面を削る。

 イェオリは大きく後ろに飛んだ反動を利用し、少女を抱えたまま身体を捻る。そのまま宙でくるり、と身体を回し、衝撃を殺して手もつかずに立ち上がると、すぐさま踵を返し駆け出した。



「げほっ」



 遅れたのはエリゼオとベルンハルト。

 あと一歩間に合わず、衝撃に吹き飛ばされたエリゼオは、潰れた胸に咳き込んで、身体を支配したベルンハルトに唸った。



「立って……ください、准将……」



 呻き、再び彼を引き摺り立たせながら、ふらつく足に力を入れる。



「准将、走って!」



 耳元で叫ぶ臣子に、ベルンハルトは頭を振り、何とか足を動かす。積み重なる落ち葉に何度も鉄靴を滑らせ、苔生した石に何度も足を取られた。それでも必死に足掻く。

 前へ。

 少しでも前へ。



「ウルルルルル……」



 背後に猛獣の唸り声を聞き、思わずベルンハルトは振り返った。

 視線の先で揺れる影。

 そこに先程まで身を隠していた倒木は最早なく、立ち込める土煙の中に牙を剥いたマンディブラの鼻面を見た。



「ぼさっとしてんなっ!」



 ヴィゴは足を止め、遅れる上官の首元を引く。



「急げ、急げっ!」



 ベルンハルトは躓きながら、臣子に背中を押されながら、漸く駆け出した。

 それを確認し、



「アウヴォ、呼び戻せ!」



 ヴィゴが叫ぶ。



「クッ!」



 彼の臣子は短く答え、長く、強く鳴いた。それは森に木霊し、木々を揺らす風に乗って、散開する黒騎士達の許へ響く。



「ウゥウウ……」



 唸るマンディブラは神経質そうに爪を鳴らし、鼻面の皺を深くした。そうして砕けた倒木を踏み抜き、身を撓らせる。

 地面を蹴る音。

 それが空気を震わせ、黒騎士の耳に届くと同時に、彼らの背後で巨木が悲鳴を上げる。



「おいおい、冗談だろっ」



 ヴィゴは地面を抉り、巨木を引っ掻いて、木々の間を飛び、駆ける獣を見た。その爪が緑に染めた樹皮を剥ぎ取り、その巨体がニンゲン程もある蔦を容易く引き千切った。

 マンディブラは前肢で巨木を掴み、肢体を引き寄せ、後肢を掛けた。そうして身体を引き絞り、傷つき、血で汚れた体表に筋肉の陰影を作り出す。

 


「来るぞっ!」



 ヴィゴは振り仰ぎ、頭上に影を作る巨体を見た。

 その胴にある割れ目が裂ける様に開き、不揃いな歯列を覗かせる。瞬間、彼は流れた唾液に顔面を汚し、先を行く上官の襟首を引いていた。



「っ、あっ!」



 意思とは真逆の方向へ身体が跳ね、ベルンハルトが悲鳴を上げた。反動で浮き上がった身体に目を剥き、自然と開く口で息を呑む。

 視界を占めるのは獣の腹。そこに並ぶ凶悪な牙に、醜悪な口が痩せた己の身体を貪ろうと襲い来る。



「ひっ」



 締まった喉で空気が鳴った。

 エリゼオは瞬間、身体の支配を上官より奪い取った。そして現状を把握し、頭上を舞う獣を見る。



「チッ」



 下肢は完全に浮いていて、このままだと獣の腹に開いた大口に齧り取られる。

 エリゼオは頸甲を握った下官の腕を両手で掴み、思いっきり下肢を自身の半身へ引き寄せた。そうして宙で身体を縮め、



「っ」



 獣の過ぎ行く腹の口元を、思い切り蹴り飛ばした。

 同時に空を噛む捕食音。

 反動でヴィゴ共々弾き飛ばされるが、これで下半身を失わずに済んだ。

 ヴィゴは上官から手を離して、身を翻す。そうして何とか地面を引っ掻いて勢いを殺すと、片膝をついた。

 エリゼオは地面に手を突いて、転がり、立つと同時に剣を抜いた。木漏れ日に刀身を輝かせれば、



「……」



 呼応したイェオリが抱えた少女を放り出し、柄に手をかけた。



「ウルルルルル……」



 マンディブラは頭を低く下げ、散った黒羊を威嚇した。鋭く長い爪を打ち鳴らし、ゆったり、と肢体を撓らせ、柄に手を掛ける羊を、次いで震える子羊、地面に手を突いた羊を庇う、牙を剥いた雄羊に睨みを利かせた。



「……」



 明確な敵意を示す二頭の雄羊は、群れの中央に降り立った獣を挟み、間合いを図る。



「アホか、エリゼオ……。今は逃げるんだよっ!」

「っ」



 再び首根っこを掴まれ、彼は踏鞴を踏んだ。唸る上官にヴィゴが叫ぶ。



「さっきのムシまで相手にする気か!」



 言われて、先ほど見た大型の蜘蛛が脳裏を過る。



「チッ」



 エリゼオが舌打つと、マンディブラが子羊から目を離し、彼に向き直った。

 その隙を突いて、イェオリはまたフロミーを抱え、ヴィゴは、



「ピュイッ」



 指を吹く。

 間を置かず、風を切る音が鳴り、



「ガァアッ!」



 マンディブラが悲鳴を上げた。



「ルアアアアアアッ!」



 獣は腰に突き立てられた牙に身を捩り、跳ねて首を振った。

 


「走れ! 走れ!」



 ヴィゴは再び群れの尻を叩き、眼前で手を振る。

 それを待っていました、とばかりに、



「クー、カッカッカッカッ!」

「キーイッ!」

「クククク……」



 頭上で黒の鳥が鳴く。

 静まり返った森に響く歌声に、荒れ狂うマンディブラも空を仰ぎ見た。美しく長い首筋を滑らかに光らせ、身体を覆う毛針を震わせて辺りを探るが何も見えず。



「ギャウッ!」



 突如与えられる痛みに悲鳴を上げた。



「ルアアアアアアッ!」



 怒りに吼えれば、



「ギャッ」



 今度は口を射抜かれる。



「ガッ、アッ!」



 マンディブラは慌てて首を振り、その場から飛び退く。突き立つそれに爪を掛け、必死に身体を振れば、



「ルルルル……」



 漸く違和感から解放された。

 流れる血が長い舌を伝う。

 痺れる様な痛みに、毛が逆立つ。



「ウルルル……」



 マンディブラは幾本も並んだ歯を打ち鳴らした。そうして怒りに身体を震わせる。

 やっと見つけた安息の地を譲る訳にはいかない。何より己を傷つける獣を許してはおけなかった。



「ルアアアアアアッ!」



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