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黒の雄羊  作者: みお
第1章
23/64

第18話  荒れ地(6)

 アルゴの北西。草木も乏しい、荒れた赤い大地には、元来粗食に耐えうる生物のみが生息している。それは少ない植物を食むモノであったり、それを餌にする大型の、それでいて長期間飲まず食わずでも生きられる分厚い鱗を持つモノ、大地そのものを栄養とするモノ、または乱雑に転がる岩を砕き、土へと返す様な、ニンゲンとは程遠いモノ達であった。

 元より数は多くはない。

 それでも。

 ベルンハルトは動くモノの気配など一切ない荒野を見る。



「ホント、なんもいねぇな」



 指示を出す臣子を内より見れば、彼は確かに、と首を掻いた。そして少し頭を捻り、手元に視線を落とす。



「夜番に聞いた?」

「いえ、なにも」

「やっぱおかしいよなぁ」



 昨日獣の首を落とし、有難くその身体を頂いた後。流石に血の流れた土地に天幕を張ることはできず、黒騎士の一行は更に北上し、何の目隠しもない野原で一夜を明かした。通常なら獣の一匹や二匹、多い時はその比ではないが、ニオイに釣られ姿を現すのが常だった。

 しかし、その日に限って音沙汰なし。平穏に文句はないが、明らかな異変に皆が首を傾げたのは確かだ。



「やっぱおかしくね?」

「そうですね」



 遠くを見つめるベルンハルトに、エリゼオは端的に答え、手にした皮から視線を外す。



「問題ない。後はバルドメロに」



 書き付ける為に使用した羽軸のペンを咥え、皮を軽く巻き、傍らに立つ黒騎士にそれを手渡す。黒騎士は上官よりそれを恭しく受け取って背を向ける。



「あぁ、それと」



 僅かに顔を出したばかりの朝日が薄っすらと夜空を橙に染め、重い雲を映えさせる頃、黒騎士達は出立の準備に追われていた。皆が白い息を吐き、悴む手を擦り合わせて、黙々と作業に没頭する。

 その中にあって、ベルンハルトは元より薄い頬を、鼻先を赤に染め、灰目に好奇心の色を見せる。



「なぁ、なぁ……」

「それとリアムに気を付けろ、と伝えてくれ。気配はないが、ニオイを追って獣が出るかもしれん」

「了解ですっ!」



 優秀な臣子は手早く糧秣の確認を済ませ、じゃれる上官は放って置いて、次いで後ろに控える黒騎士の報告に耳を傾ける。



「分かった。ではそれは後回しに……」



 彼はとにかく忙しかった。隊の全てを把握し、何かあれば咀嚼、そして上官へ報告。頭の意思決定に従い、方向を定め、手足を動かして、群れを維持させる。それが彼の役割で、きっと彼が居なければ黒騎士は蜘蛛の子の様に散り散りになるのだろう。

 ベルンハルトは忙しない臣子の手元を見ながら、



「さっき、ちょろっと見てきたらさ……」



 寒さに鼻を啜り、腕を擦ると、眼前で垂れた灰髪が柔らかに揺れた。

 それは最早、独り言の様でもあったのだが。



「少し待て」



 それまでは視線を合わせもしなかった臣子が手を上げ、下官の報告を制し、ベルンハルトに向き直った。



「見てきた?」



 その目が凍える程冷たい。

 暗に、幕営地の外は危険だと分かっているのか、と言われた気がして、ベルンハルトは臣子の放つ圧に尻込みする。

 


「あ、いや、ほんのちょこっと……」

「お一人で?」

「んや、あの、イェオリと……」



 エリゼオはあからさまに顔を顰めるが、口元を引き攣らせるだけで怒鳴りはしなかった。起こった事を今更叱りつけても、相手には響かない、と理解している為であったのだが。

 それでも、纏う空気は夜風よりも冷たい。



「で? どうでした?」



 腕を組み、顎先を上げれば、内で上官が小さくなる。



「いや、ほら、問題なかった」

「そうですか」



 唸るエリゼオは冷えた弁柄を上官から下官の黒騎士へ向け、報告の続きを催促した。それを受ける黒騎士は堪ったものではないが、これも仕事だ、と平静を装う。



「でも、ほら、実はさ……」



 そんな彼の努力をぶち破るのは、自由奔放な上官。これには流石に黒騎士も慌てる。黙ってやり過ごせば済んだ話なのに、とも言えず、小さく足踏みする他、苛立ちを発散する術がなかった。



「いや、あの、イェオリってば、お前ほどじゃないけどさ……」



 ベルンハルトは挙動不審な黒騎士の心情など気づきもせず、叱られる子供の様に腹の前で手遊びをして、臣子を上目に見た。

 そうして脇に立たされたままの黒騎士はまた顔を青くする。



「なんです?」

「いや、ほら、鼻が利くだろ? そう、色々調べたんだ」

「それで?」

「あの、そしたらさ。でっかい、鱗がわぁっとある獣の死体にリコスが群がってて……」

「……」



 しどろもどろ口を開くベルンハルトに、エリゼオは眉間の皺を更に深くした。



「リコスが群がってた?」

「あ、いや、ホント、全然平気だったんだって。遠くから見ただけ」



 一体何をもって平気、とするのか。羊の群れは危うく頭を失いかけたというのに。

 余りの危機感のなさに、エリゼオは流石に鼻筋に皺を寄せる。



「准将、あなたが死にたがりなのは前から重々承知していますし、あの阿呆がそれに続く浅短モノだと言うことも分かっていますが、群れをこれ以上危険に晒すようでしたら、次はありませんよ?」



 目を眇める男に、ベルンハルトは青くなる。



「なにすんの?」

「身体を縛って城に放り込ませます。そうすれば危険もなく、隊も安泰でしょう? 余りに酷ければ今から取って返して、実行しますよ」

「んなことしたらお前だってっ」

「構いませんよ。指示だけなら口が動けばどうとでもなります」

「一晩中喚くぞ」

「どうぞ。俺はその間寝ていますから」



 その目が笑って居なくて、ベルンハルトは流石に視線を下げた。



「もうしません……」

「えぇ、次はありません」



 項垂れる上官に、エリゼオは舌を打って、頭を掻いた。スヴェンに言って薬を替えてもらったが、まさか自身だけが目を覚まさず、その間に上官だけで出歩くとは思いもしなかった。もし何かあった時、彼だけでは自身を護れない。

 最悪が過り、エリゼオは頭を抱える。



「それで? 夜目も利かないあなたがリコスの群れを見て、どうなりました?」

「あの……、ホントはヴィゴも居て……」

「あの男……」



 エリゼオが唸ると、彼の歯がギシリ、と重く鳴る。



「夜番をサボってうろついてたのか」

「あ、あの、俺、眠れなくて」

「でしょうね」

「そんで、ロロも歩きたいって言ってたし。ロロなら見えるからいっかなぁ、と思ってたら、イェオリが付いて来てくれるって。そんでヴィゴが……」

「面白がってついて来たんでしょう?」

「そう」

「ったく……」



 臣子の溜息は重い。

 ベルンハルトは少し申し訳なくなって、また謝った。



「それで? どうでした?」

「んと、イェオリはリコスが狩ったんじゃないって言ってた」

「どういう事です?」

「新しくないって言ってた。死んでから大分経ってるのを漁ってる感じだって。で、ヴィゴがもっと近くで……」

「近くで?」

「いや、俺は近づいてねぇよ」

「別行動を取ったと?」

「そう」

「ほぉ……」



 片眉を上げられれば、もう観念する他ない。ベルンハルトは己より片手分は若い男に渋い顔をする。


 

「嘘です。俺も行きました」

「で?」

「リコスは騎獣にビビって逃げてった」

「……」

「ホントだってっ!」

「ロロは追い回したがってでしょ?」

「……そ、そこはほら、俺もビシッと……」

「……」

「た、たまにはいいじゃん」



 エリゼオはまた深く、深く溜息をつき、頭を抱える。



「好きにさせたんですか?」

「ちょっとだけ」

「要らぬ獣を起こす可能性は考えましたか?」

「だってイェオリは大丈夫だって……」

「森にいる筈のリコスがこれだけ荒野に居るのに?」

「だってヴィゴが……」



 報告を上げたい黒騎士達は列をなし、彼らのやり取りを見ながら、これ以上は止めてくれ、と心の内で灰目の上官に願い続けた。誰も流れ弾に当たりたくなどないのだ。



「だって、だって、だって……。いつになったら真っ直ぐ一人で立てるんです?」

「もう立ってるっ!」

「どこが?」

「エリ! お前失礼だぞ!」



 ベルンハルトは唇を尖らせ、地団太を踏んだ。受けるエリゼオは顔色一つ変えず腕を組んだまま、指で己の腕を叩き、口を開く。



「で? その後は?」



 暗いそこから覗く長い牙に、報告を携えた黒騎士達は自然と後ろへ下がった。



「あの、よくは分かんなかったけど、食べたヤツみたいな傷があった」

「ラバーカですか?」

「そう」



 エリゼオは一時思案して、また上官を見る。



「やはり、何かが居るようですね」

「“歯がいっぱい”?」

「えぇ。リコスはそいつに森を追われ、餌を求め徘徊しているのでしょう。でなければ、腐肉など漁らない」

「あ、そういや、ほら、あの、地面から生えてるでっかい口の……」

「あぁ……」



 上官の言葉に、名前は分からないが、白い花に歯が生えた様な植物が浮かぶ。



「それが?」

「それまでリコスが齧ってた。一頭は返り討ちに合ってたけど」



 花の蕾の様なそれに、頭から齧られる獣の姿が浮かんで、エリゼオは苦く笑った。

 彼らがやり取りをしている一方で、



「……」



 急に黙り込んでしまった上官に、黒騎士達は狼狽えていた。先程までは確かに怒っていたのに、今は腕を組んだまま、明後日の方向を見て動かない。



「どうしよう……」



 報告待ちの列の先頭が小さな声で零せば、黒騎士の一人が、黙っていろ、と彼を制し、訳知り顔で、



「今お話し中だ」



 声を潜め、頭を指で叩いて見せた。

 確かに、上官の灰がいつもとは違い、淡く滲んで見える。



「なるほど……」



 誰とはなしに無言で頷き合い、黒騎士達は上官達のお話合いが終わるまで大人しく待つことにした。

 そんな気遣いなど知る由もない雄羊達は、内で意見を交わし続ける。



「そうとう飢えてるようですね」

「そりゃ、町に降りてくるわ。あそこなら楽に食いもん手に入るもんな」

「そうですね」

「酷くならないうちにその原因とやらをどうにかしないと」

「デカい獣に食らいつく程の猛獣ですよ。先ずは正体を探り、対処はそれからの方が」

「んじゃ、とにかく森に入るか。見た感じだとこの辺、ホントになんも居なかったし」

「そうですね。取り敢えず移動して、森の近くに拠点を張り、それからまた小隊を出しますか?」

「うん。その方がいい気がする。みんなで行ってもどうせ迷うだろ?」

「えぇ、シンの魔女に、荒野とは違い獣も多いでしょうから、少人数で動く方が効率もいいでしょう」

「んじゃ、そうしよう」


 

 ベルンハルトは大きく息を吐き、腕を組み直した。



「よかった……」



 意識を取り戻した様に身体を動かし始めた上官に、黒騎士の誰かが安堵を零す。気づいたエリゼオは、



「すまん」



 苦く笑って、列を作る黒騎士達を見た。そしてまだ幼さの残る上官を内に見て、顔を上げる。その目が見るのは森がある筈の場所。



「さて、何が出ますかね」



 彼の吐いた息は白く流れ、明け始めた空に線を引く。

 こうして目覚めた黒羊は漸く身を起こした。




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