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黒の雄羊  作者: みお
第1章
19/64

第14話  荒れ地(2)

 砂埃が舞い上がる。

 吹く風に幾分かは流されるが、その多くは隊を呑み込み、一団をまるで砂嵐の様に見せた。

 その直中で、



「ケホッ」



 小さな声は地面を噛む蹄の音に掻き消される。

 ベルンハルトは腕の中で震える少女が怪我をしない様、更に強くその身体を引き寄せ、衝撃を殺す為に持ち上げた。早駆けは慣れるまで相当堪える。身体の出来ていない彼女の事を考えると、そうすることが必然の様に思われた。

 片腕で少女を抱き、片手には手綱。背に座ることはできないので下肢で獣の胴を挟み、上手く衝撃を受け流し、乗りこなす。



―――あぁ、これ今夜しんどいな。



 兜についた黒銀の飾り毛を風に流して、どこかぼんやり、と考えた。

 蹄が地面を叩き、黒羊を震わせる。

 乾いた風は強く、尾を引いて流れた。



 グゥッ、ウッウッ



 主の油断を読んだのか。騎獣は喉を鳴らし、苛立ちを露わにした。それは低く、分厚い鱗に覆われた身体を伝い、確実に鼓膜を震わせて、



「ひぃ……」



 少女は怯え、また身を縮めた。

 気づいたベルンハルトは彼女を安心させる術を模索するが、粉塵が舞う中、口を開くこともできず困惑する。



「……」



 暫く思案した後、抱きしめられると安心したことを思いだした。時折スヴェンがそうする様に。幼い時分、母親がそうしてくれた様に。揺れる不安定な状態で上半身を丸め、腕に抱く少女の小さな身体を包み込む。

 一瞬、彼女の身体が跳ねた。

 僅かばかりの抵抗。

 それでも力強く抱き留め、離さない。頭も撫でてやりたかったが、今はどうする事もできない。とにかくこの場を乗り切れるように、抱き留め、大丈夫だ、と念じる。


 胸に響く心音。


 きっと甲冑がない方がよかった。体温が伝わればもっと安心する筈だ。

 思うが術がない。

 その間も、操る騎獣は何度も頭を振り、角を揺らして、早く手綱を緩めろ、と催促する。

 しかし、ベルンハルトはそれをよしとはせず、獣の脇腹を蹴り、落ち着け、と抑えた。

 黒羊の群れは僅かばかり生える雑草を踏みつけ、赤い大地に幾つもの跡を残す。地鳴りに驚いた幾匹かの獣が飛び上がり、または飛び立ち逃げ惑うが、彼らは足を止めない。目的の場所を目指して、ただ前へ。甲冑が幾ら喚き散らしても、黒羊達はひた走る。

 黒に輝く防具が鱗の様に光って、荒れ地を横断する群れは大地をのたうつ大蛇となった。



 グアッ! グアッ!



 暫くすると、騎獣が吼える。

 隊列は守りながらも後肢を振り上げ、角を揺すり、美しい尾を膨らませて、その興奮を黒騎士に伝えた。それに驚いた軍馬が身を捩り隊列を乱したので、軍は一時騒然となる。

 


「……」



 アウヴォは眼前に見え始めた影と、隊の状況を鑑みて、腕を振り上げた。号令を伝える黒騎士はそれに倣い、また後方のモノが続く。群れは告げられる意思に従い、後方より順に手綱を引いた。

 嘶く軍馬。

 あるモノは前肢を高く振り上げ、あるモノは身体を揺すりながら、その馬脚を緩める。そうして完全に止まった後、疾走に上がった息を荒く吐き、収まらない興奮に何度か地面を掻いた。



 グゥウウッ!

 アッ! アッ!



 その内で、騎獣は不満を体現する。

 決して軍馬の様に大人しくはない。獣と呼ばれる彼らは主を選び、己の矜持を重んじて、時折こうして主に歯向かった。何度も足を踏み鳴らし、鼻を鳴らしては周りを囲む軍馬を威嚇する。

 イェオリはその上で、



「あれか……」


 

 小さく呟いた。

 群れの先、微かに動く黒い点。風に乗って運ばれるそれは、嗅ぎ慣れた臭い。



「確かに酷いな」



 兜に隠され表情は読めない。それでもその物言いに不快感が滲んでいた。



「何が見えてる?」



 ベルンハルトは臣子の背を見ながら、首を傾げた。

 彼には彼らの様な特別な目も鼻もない。眼前には荒野が広がるばかりで、目的地には程遠い様に思えた。



「この先に獣が居ます。大きいのと……小さいのが数匹。襲ってるのか?」



 前半は上官に向けて。後半はあの光景が見えているだろう、目の前の下官に。エリゼオは口を開いて、騎獣の様に喉を鳴らす。

 受けるイェオリは、



「だろうなぁ。しかし、こんなところにあんなひょろ長いの居たか?」



 長い角を揺らした。



「あれ、見えるかフロミー?」

「あっ! えっ?」



 突如話を振られた少女は、上官の腕の中から戸惑いの声を上げる。



「あのっ」

「……大丈夫か?」



 真っ白だったほっかむりを砂埃で汚し、涙を浮かべる彼女に、イェオリは眉を顰めた。視線を上げ、上官を見る。



「だから待たせとけ、って言ったろ」



 騎獣の尻に手をつき溜息を零す騎士の兜は、大きく捻じれた角を持つ雄羊。それは国の守護神たる黄金の獣を模したものだが、凄むその姿は神とは程遠く見える。



「どうせ俺、護るんだからいいだろ」



 威圧的な臣子に怯むこともなく、少女を抱えるベルンハルトは不機嫌に返す。寛容になれ、と含ませた言葉には、彼女の成長を止めたくない親心があった。

 対するイェオリは、上官の思いを理解しながらも、どこか腑に落ちずにいたので、



「ミンツ、お前な……」



 溜息をつく。

 物言いはきついが、仲間を思ってこそ。彼には彼なりの心情があり、護り方があるだけ。

 ただ、群れを、頭を尊重する男は歪みを許さない。



「今更蒸し返すな」



 視線も合わせずに、エリゼオは喉を鳴らす。そうして彼は半歩、騎獣を前へ出し、下官の視界から少女を隠した。



「皆の同意は得た筈だ」



 淡々と口を開く雄羊に、



「口挟むんじゃねぇよ、めんどくせぇ」



 イェオリは標的を改め、唸った。

 空気が再び凍る。

 緑眼に滲んだ怒りを受け、エリゼオは眉根を寄せて、眉間に深い皺を刻む。



「物言いに気を付けろ」

「お前もな」

「なんだと?」

「じゃれつくなって言ってんだよ、犬コロが」

「あ?」

「んだよ?」



 互いに頭を振り、長い角を見せつけて、本来なら額を突き合わせぶつかるのだろうが、



「やめろ。うぜぇなお前ら」



 ヴィゴが間に入ったので、彼らは乗り出した半身を退かざるを得なかった。鼻を鳴らし、互いに視線を外す。それでも苛立ちを収められず、二頭は低く喉を鳴らし続けた。

 少し触れるだけでも弾けそうな空間で、



「ここまで来といてムダ事言うな、イェオリ」



 ヴィゴは猫の胸当てを叩き、



「フロミー、お前も。一人前に扱って欲しいんならシャキッとしろ」



 幼い少女を一喝する。次いで上官二人に目を向けたが、口は開かなかった。幾ら無作法な男でも時と場所は考える、と言うことか。世話が焼ける、とだけ零して、イェオリの肩当てを殴った。



「あのっ、すみませんっ!」



 フロミーは怒れる上官達に頭を下げる。

 己の我儘で隊を乱した事。覚悟に油断や揺らぎがあった事。それがどれほど隊に迷惑をかけるのか、考えも及ばなかった浅はかな自分。沢山の命がかかっているのに、その責務に無頓着過ぎた。

 上官達にしてみれば、甘えて見えたに違いない。



「改めますっ!」



 フロミーは必死に頭を下げ、浮かんだ涙をこらえる。ここで泣いてしまえば騎士ではいられない、とその幼心に考えた。



「ったくよぉ……」



 震える少女に、ヴィゴが珍しく溜息をつく。

 彼女の歳を考えれば、寧ろよくできている方だ、と理解はしている。

 しかし、外地では通用しない。いつ外敵に遭遇するかも分からず、そこがいつ戦場となるかもわからないのだから。気を抜けば容易く命を落とし、悪くすると仲間の命を道ずれにし兼ねない。

 その手で多くの命を奪うからこそ。命の呆気なさを、幸せな日々が容易く掻き消される怖さを知っている。



「分かったんならいい。で、見えるのか?」



 それ以上伝える言葉はない、と首を振り、ヴィゴは顔を上げ、未だに不機嫌そうなイェオリの肩越しに荒野を見た。彼の目では日光が眩しすぎて何も見えない。



「す、すみませんっ。わ、私には遠すぎて……」



 少女の知識があれば獣の種類が判別できるかと思えたのだが。目論みの外れたイェオリは、また喉を鳴らす。



「いいさ。コイツ等が化け物なだけだ」

「いてぇよ」



 ヴィゴに腰当を叩かれ、イェオリはまた鳴いた。



「さっさと機嫌直せ。いつまでもぶーたれてっと、立てなくするぞ」



 そう笑って、ヴィゴが指笛を吹く。



「俺も喜んで手伝おう」



 高い音色に合わせてエリゼオが口を開き、



「んじゃ、俺もっ!」



 ベルンハルトが同調して、



「ほら、フロミーも手、上げて」

「はいっ! それじゃぁ、私も頑張りますっ!」



 上官に促された少女は、彼の腕の中でこれでもか、と身を正して手を上げた。

 隊列を組む黒騎士が笑う。



「うるせぇよ」



 イェオリは苦く零して頭を振った。兜飾りの藤黄が乾いた風に流れる。その口端は僅かに緩んで。

 そこは外地だったが、確かに穏やかだった。

 砂埃が舞う。

 重なるのは重い足音。



 グルルル……



 騎獣が首を振る。

 そこへ、



「クゥ、クククク……」



 ヴィゴの指笛に従い、彼は砂埃と共に上官達の前に参上した。手綱を引かれた彼の騎獣はその場で数回足を踏み鳴らし、回る。それに怯えた馬の数頭が首を振り、蹄を鳴らしたが直ぐに収まった。

 猛獣を思わせるその頭が上官の騎獣と突き合うと、獣の上ではあったが、臣子は軽く腰を折った。



「おう、アウヴォ。お前、あれ見える?」



 礼を重んじる臣子に、ヴィゴは荒野を指差した。アウヴォはその意思を理解し、頷く。



「クゥ、カカカカ、クゥー、クゥー」



 雄羊面で鳥の様に囀って、上官を見る。



「……」

「……」



 流れる沈黙。



「分かるか」



 最初に口を開いたのはイェオリだった。

 ベルンハルトが笑う。



「人語で話せ、アホ」



 上官が気を許す男が唸るので、



「クククク……」



 アウヴォは少し困った声を出した。

 


「リコスだってさ」



 助け舟を出したのはヴィゴ。



「ラバーカを襲ってるらしい」

「チチチ、クァ、クァ」

「あははっ、そう言うなって」



 不満そうに囀る臣子に、彼の上官は笑って手を振る。それを横目に、



「仕方ない。猫人(ビト)でも成り損ないだ」



 エリゼオは腕を組んで、当然の様に口を挟んだ。



「ククク、チィワ、チィチィ」

「あぁ、俺もだ」

「あははっ、ひでぇ」



 笑い合う三人に、フロミーは苦笑いし、ベルンハルトは首を傾げる。



「お前ら、俺が鳥人語(トトゴ)分からんと思って好き勝手言ってるだろ」

「あははっ、お前が可愛いな、って話だよ」

「ふざけんな」



 目を眇めるイェオリに、ヴィゴは腹を抱えた。

 エリゼオはいつも通り淡々と、



「まぁ、おちょくるのはこれくらいにして」

「やっぱ馬鹿にしてんじゃねぇか」



 怒るイェオリは放って置いて、少女を見やる。



「ラバーカは? フロミー」

「はい、えと。森で木の葉を食べ、のんびりと暮らしている獣です。かなりの巨体ですから、住処に外敵は居ません。凄まじい量を消費することで木々を間引き、排出することで土壌を肥やし、森を上手に管理していると言えます。個体数は少ないので争うこともなく、性質は非常に穏やかです」



 しゃべる辞典の様な少女に、ベルンハルトは感嘆の声を上げた。ヴィゴも満足そうに頷き、妹を愛してやまないアウヴォは誇らしげに鳴いた。



「それでは荒れ野に居て、しかもリコスに襲われているのは……」

「かなり珍妙な状態です」



 研究者の様な物言いに、誰とはなしに笑顔が零れた。

 ベルンハルトは幼くとも優秀な臣子の頭を、敬意を持って撫でた。その光景に、エリゼオも珍しく兜の下で口端を上げたのだが、誰にも気づかれなかった。



「んじゃ、その珍妙な現場に行こうか」

「そうですね。数も多くありませんし、少数を出しますか?」

「そうな。どんな状況か知りたいし。静かに近づこう」

「それならヴィゴ下数名で」



 上官の意図を紡ぎ、エリゼオはその場で素早く計画を編み上げる。



「そんなら、アウヴォ連れてけ。コイツの方が狩りに向いてっし。代わりに俺が隊を預かるよ」



 上官のやり取りを前に、ヴィゴが臣子を指し、自身を指す。



「どうなさいます?」

「うん、そうな。そうしよう」

「畏まりました」



 エリゼオはアウヴォに優秀なモノを数人選ばせ、ヴィゴを手招く。



「フロミーはちょっとお留守番な」



 ベルンハルトは少女を軽々と抱え、歩み寄って来たヴィゴの騎獣へと少女を移す。



「お気をつけてっ!」


 

 身を正す彼女に、



「おお」



 ベルンハルトの答えは軽い。

 灰が弁柄に滲むと、それは少女からヴィゴへと向けられる。



「リコスが他に居る様子はないが、これだけの臭いだ。他のモノが寄ってくる可能性がある。警戒を怠るなよ」

「あいよ、中佐殿。お前もイェオリに背後取られない様に気を付けろよ?」

「なぜ?」

「え? 恨まれてるだろ」

「なぜだ?」

「そりゃ、お前。べ……」

「もういい、分かった」



 エリゼオはこの期に及んで茶けるヴィゴを制し、騎獣を回頭させる。背後で笑う臣子に、後で覚えていろ、と指を数回動かして伝えた。

 風は北西から東へ。

 小隊はアウヴォを先頭に、風下より目的の場所を目指す。




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