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黒の雄羊  作者: みお
第1章
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間 休  内輪(2)

「やめっ!」



 俺は自分の叫び声で目を覚ました。

 無意識に伸ばしたらしい腕を辿れば、見慣れた天井が目に映った。身体を震わせるほどの鼓動に、思わず胸を押さえ、ベッドから身を起こした。澱む視界に、柔らかく炎を揺らす汚れた炉が入る。

 どうやら俺は部屋で眠ったらしい。

 不意に痛んだ首元を触れば、何かが張り付けられていた。



「あぁ、駄目ですよ。剥がさないで」



 降って湧いた声に震え、俺は弾かれる様に顔を上げた。



「大丈夫ですよ」



 彼は相変わらずの笑顔で俺を見下ろし、あやす様な物言いをする。



「スヴェン……」



 俺は不快感の残る首元を擦りながら、退いた身体をベッドへ戻した。



「まったく、災難でしたね」



 彼はベッド脇に置かれた椅子に腰を下ろしながら、少し困った様に笑った。茶の髪も目も、一見すれば都の人間の様に見えるが、スヴェンは所謂雑じりで、黒騎士師団の優秀な医師だった。

 彼が居ると言うことは、俺はまた何かをやらかしたのだろう。これまでも意識のないところで色々やらかしていたから、凄く不安だった。




「酷かった?」



 上目に問えば、



「いいえ」



 彼は優しく応える。



「あれはヤルヴェライネン中尉の失態です」



 久しぶりに聞いたイェオリの家名に、思わず笑う。



「あれ程煽るな、と言い含めておいたのに」



 ふぅ、と溜息をつく仕草が、どことなく臣子を思わせた。



―――そう言えばエリはどこに行った?



「とにかく大事無くてよかった。腫れも直ぐに引きますよ?」



 彼が後頭部を指す様な仕草を見せたので、俺は反射的に頭を触った。



「いっ」



 走る痛みに、思わず目を瞑る。



「酷くぶつけたようですから、暫くは我慢してください」



 優秀な医師は口元に手を当て、楽しそうに笑う。その仕草は貴族の様に品があって、俺は意図せず口角を緩めた。



「イェオリと喧嘩でもした?」

「まぁ、そんなところです」

「そっか……」



 目を伏せると、スヴェンが口をへの字に曲げながら、



「ミンツ様は気に病む必要はありませんよ。その後、ヤルヴェライネン中尉にはきつく言っておきましたから」



 鼻を鳴らした。

 俺は曖昧に笑って、



「なぁ、エリは? エリゼオはどこ行った?」



 込み上げてくる不安を我慢できずに、視線を彷徨わせた。

 僅かに開いた窓の外に見える月は酷く明るい。



「お休みになっているのでは?」

「ホント?」



 いつもとは違う雰囲気に、俺は慌て、青ざめる。

 落ち着きなく胸元を掻けば、



「大丈夫ですよ」



 その腕を制された。



「お薬が効いているんでしょう」



 彼の微笑みに最悪が過り、背筋が粟立つ。



「エリが居なくなるんなら、薬はいらないってばっ!」



 つい口調が強くなって、俺は思わず自身の身体を強く抱く。不安感が酷くなって、息をするのも苦しかった。そうして急に体が震えだし、涙が溢れる。



「あぁっ! どうしよう! エリが居ない! エリ! エリゼオッ!」



 叫んでも誰も答えない。やっぱりこんなの変だ。



「エリッ! エリッ! なぁっ! エリゼオをどこにやったんだよっ!」



 俺は立ち上がって歩き回り、酷く混乱して、その場で蹲った。身体が震えて止まらない。

 怖い。

 こわい。

 コワイ。

 


「あぁっ! どうしようっ! エリが居ない! エリが居ないとっ、あぁっ! またっ!」



 俺は脳裏に過った黒い影に目を瞑る。頭を抱えても、振っても、それは消えない。



「やめてっ!」



 叫ぶと、



「大丈夫ですよ」



 目の前にスヴェンが居た。



「さぁ、お手を、ベルンハルト様。ほら、ここにはスヴェンが居ますよ? ね。大丈夫でしょう?」



 冷たくなった指先を何度も擦られ、強く握られた。震えは止まらないが、呼吸が少し楽になる。



「さぁ、こちらへ」



 そう言って手を引かれ、俺は彼の胸の内に抱かれた。その身体はとても暖かくて、柔らかな匂いがする。



「大丈夫ですよ。ほら、もう大丈夫」



 頭を撫でられ、我慢できなかった。

 俺は彼に縋りつき、泣きじゃくる。とにかく怖くて、心細くて堪らなかった。



「エリ……」



 そうして俺は気の済むまで泣いた。どれくらいそうして居たかなんて分からないが、スヴェンは何も言わず、ずっと傍に居て、頭を、背中を撫でていてくれた。

 漸く落ち着き、鼻を啜ると、



「あらあら」



 スヴェンが俺を見て笑う。



「そんなに擦ってはいけませんよ」



 また腕を取られた。俺は仕方なく彼に従う。

 泣いたせいか、酷く疲れた。



「ミンツ様、最近眠れていましたか?」



 問われ、俺は顔を上げる。スヴェンはそんな俺を見ながら、目元を撫でた。



「少しは食事を召し上がりましたか?」

「……」

「では、少しは吸気なさいましたか?」

「……」



 きっと答えなくても、彼は全てお見通しだ。



「原因はそれですよ、ミンツ様。お腹が空いているでしょう?」



 スヴェンは優しい顔で口を開く。



「エリゼオ様はミンツ様の様に、他者から生気を別けて貰う術を知らないんですよ。それに彼は肉を好むでしょう? でも空腹から事故を起こしてしまったから、お食事も躊躇ってらっしゃるんです。この意味がお分かりですか?」

「お腹がぺこぺこ?」

「そうです、ミンツ様。エリゼオ様はお腹がペコペコで、元気が出ないんです。これでは困りますよね?」

「うん」

「では、お食事を召し上がれないエリゼオ様を、ミンツ様が少しお手伝いして差し上げましょう」

「どうしたらいい?」

「先ずはそうですね。お好きな物を少しずつ召し上がってみませんか? それか……」



 スヴェンは立ち上がって、窓の近くに置かれたテーブルの上の水桶に手を浸ける。そして丁寧に手を洗って、綿布で水気を取りながら、また俺の脇に腰を下ろす。



「少し吸ってみますか?」



 彼は長くて白い人差し指を俺に突き出して、にっこり、と笑って見せた。俺が眉根を寄せると、



「エリゼオ様は少しお疲れの様子でしたから、たっぷり食べて、ぐっすり眠れば、またミンツ様を護ってくださいますよ。このスヴェンが言うのですから、ね?」



 また彼が笑う。

 俺は暫く視線を彷徨わせ、思案した後、



「……」



 優秀な医師の手首を取った。そうして差し出された指先に口をつける。気恥ずかしさに目を開けていられず、閉じて、呼吸する様に彼の血気を吸う。

 それはまるで温い液体。鼻孔を、喉元を擽って、身体の芯をじんわり、と熱くする。味があるとすれば、熟れた果物の様な、舌を痺れさせる甘さ。それは彼の優しい香りを運んで、胸を満たす。

 


「よろしいですか、ミンツ様」



 呼ばれて、俺はスヴェンの指を咥えたまま、上目に彼を見た。



「吸気のやり方をエリゼオ様にも教えて差し上げるんです。私には説明できませんでしたから、きっとエリゼオ様は凄く困っていらっしゃったのだと思うのです」



 俺は彼から口を離して、無言のままに頷く。



「エリゼオ様も吸気の方法を学ばれれば、直ぐに元気になって、今以上にお強くなりますよ」



 言いながら、スヴェンは細い腕に力こぶを作る様な仕草をして、腕を突き出し、見えない敵を殴って見せた。体術に疎い彼のそれはとても不格好で、俺は思わず笑う。

 


「そうなればミンツ様もお元気になって、敵知らずですね」



 彼が笑むので、俺もまた笑って、いつの間にか震えの消えた身体を強く抱きしめた。




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