第11話 要塞都市アルゴ(8)囲む
「遅かったな」
二人を出迎えた男は、相変わらず不遜な態度で笑った。そんな不躾な臣子を怒るでもなく、
「んー、寝過ごした」
ベルンハルトはそう言って、彼の向かいに座るイェオリの横に腰を下ろした。
「ふーん?」
頭布に隠された橙の目が、物言いたげに副官を見た。
しかし、エリゼオは腰を下ろしたまま華麗に視線を外し、平静を装った。彼にしてみれば、今は不毛な言い合いを極力避け、とにかく全てを早く終わらせたかっただけなのだが。その態度がより疑惑を深め、彼らの興味を引いたのは明らかだった。
「まぁ、良いけど」
ヴィゴはにやり、と厭らしく笑いはしたが、それ以上は何も言わなかった。その目端に客人の姿が入ったから。
しかし、
「お前はあっちな」
彼は違う。
ご立腹の様子で、向かいに座る男を指差し、真横に腰かけるエリゼオを睨む。
「……」
遊女の様に侍り、酒を注げとでもいうのか。
顔を顰めるエリゼオに、イェオリの緑眼が早くしろ、と促す。
「冗談だろ?」
唸ると、拒否された当人も至極嫌そうな顔をして、
「俺の方こそお断りだ」
臣子に無言で指示を出した。
ヴィゴの部下は慌てて椅子を運ぶ。
「ったく……」
エリゼオは目を眇め、己の意思とは別のところで動いた身体を動かし、立ち上がって、彼と距離を取った。
すると、
「相変わらずつまんねぇーヤツだな」
イェオリが不満そうに喉を鳴らす。
別段折り合いが悪いわけではないのだが、こうして二人は時折ぶつかる事がある。それはきっと互いの胸の内に巣食う苛立ちが原因なのだろうが。
ベルンハルトはいつもの事だ、とテーブルに乗った料理を吟味し、
「止めろ」
代わりにヴィゴが間に入った。
「……」
「……」
黒騎士に囲まれた一角は、一瞬で剣呑な雰囲気に包まれる。
「……」
ひりつく空気に、突如黒騎士の群れに放り込まれる形となったアラヤは、生唾を飲んでいた。最早生きた心地などしない。
誰も彼もが都のニンゲンとは違う雑じりで、誰も彼もが獲物でも見るかの様な目を向けてくるのだ。それだけでも耐えられないというのに、今度は仲間内で牙を剥き合っている。黒騎士のたむろする広間ではなく、己の執務室にでも通せば少しはましだったのかもしれない。そう心底後悔したが、後の祭りだ、と言うことも分かっていた。
――――とにかくこの場を乗り切らなくては。
流れる冷や汗をこっそり拭い、アラヤは息を殺す。
「……」
しかし、その中にあって、肝を冷やしていたのは町長だけではなかった。
位持ちを囲む黒騎士達もアラヤと同様、一様に顔を強張らせ、目を泳がせていた。互いに顔を見合わせ、どうする、と目配せする始末。
上官に指示を受けたモノは動ける分まだいい方で、その場から離れることも、動くこともできずにただ立ち尽くすモノ達は、なるべく彼らの気を引かない様に気配を消すしかなかった。
黒騎士の恐ろしさを一番理解しているのもまた、黒騎士、と言うことだろう。
「どうぞ……」
静まり返る一角で、命を受けた黒騎士がおずおず、と声を出した。彼は可哀想なくらい青い顔で、テーブル脇に運ばれてきた椅子を引く。
エリゼオは、怯える犬の様に己を上目に見る黒騎士を見下ろし、
「あぁ」
喉を鳴らした。
唸る猛獣に、黒騎士は弾かれる様に飛び上がり、微かに身体を震わせる。
「おい、うちの苛めんな」
ヴィゴが猛禽の様な大きな目を向けると、
「エリ」
ベルンハルトが口を開く。
「めっ」
エリゼオは上官の言葉に、溜息をついた。疲れや苛立ちを無関係なモノにぶつけてしまった。自覚はある。
怒気を納め、
「すまん」
素直に謝罪する。
「あ、いえっ」
上官の言葉を受け、黒騎士は慌てた。戸惑いが隠し切れず、辺りを見回して、視線を彷徨わせ、
「あの、えっと……」
口籠る。
「ほら、もういいから下がれ」
「は、はい」
ヴィゴが手を振って、漸く黒騎士はその場から退場できた。
エリゼオはもう一度深く溜息を吐いて、向かい側に置かれた椅子を指し、
「何度もお待たせして申し訳ない、町長殿。そちらへどうぞ」
息を呑み、立ち尽くすアラヤへ勧めた。
「あっ」
アラヤは不意に現実に引き戻され、慌てる。
「あ、し、失礼します……」
周囲を警戒しながら、それでも内心を気取られない様に、努めて平静を装って椅子に腰を下ろした。これで黒騎士の群れから救われる様な気がしたのだが。
「……」
甘かった。
信じられない数の双眸に見つめられ、冷や汗が冗談の様に吹き出す。
そんな町長の胸中など知る由もなく。
「お待たせいたしました」
黒騎士は膝を折り、町長に、そして上官に酒の入った杯を差し出す。
「あ、すみません……」
アラヤは足を閉じ、きっちりと座って頭を下げる。もてなすのはアルゴの筈だったのだが、と思ったが、口は開かない。
「こちらは町長のアラヤ殿。今回の件を話すから邪魔するなよ」
物珍しさもあって、町長に好奇な目を向ける粗野な男達に対し、エリゼオは警告を発した。それに周りを囲む下官達は身を正したが、一番気がかりな二人は、
「うぇい、うぇい」
「了解、了解、中佐殿」
適当に返す。
「ったく……」
いつもの事なのでエリゼオはそれ以上何も言わない。無駄な労力だ。
「町長殿、何かご希望があればなんなりと」
招かれた身で言うことではないが、給仕は黒騎士が行う、と伝えたかった。軽く頭を下げるエリゼオに、アラヤは両手を振り、
「あ、いやいや、お気遣いなくっ」
少し上ずった声を出す。
そのやり取りを、指を咥え見ていたベルンハルトは、
「なぁ、なぁっ! 俺も飲みたいっ!」
手を上げて催促した。
ヴィゴは瓶に口をつけたまま、臣子を手招く。そして新しい物を受け取り、きつく締められた蓋を開け、
「ホレ」
「やったぁ」
無邪気な上官へ差し出した。
「おい、ヴィゴ」
「んー?」
「あっ!」
エリゼオは唸り、慌てて上官から瓶を取り上げる。ベルンハルトは待ちに待った酒を奪い取られ、宙を掻いた。
「何だよぉっ! 今夜くらいいいだろっ!」
「さっき薬を飲んだばかりでしょう?」
「言いつけは守ってるっ!」
「ではそのまま良い子でいて下さい」
「うぅ」
口で勝てる筈もなく。ベルンハルトは指を咥えるしかできない。
「何だよ。またお預けか?」
「そうだ」
「偶にはいいだろ?」
「よくない」
ヴィゴとイェオリは慕うべき上官の援護に回るが、顰め面の副官は頑なに首を振り続けた。
「何だよ、可哀想にな」
「ほれ、これ食え」
頬杖をつくヴィゴはむくれる上官に同情の目を向け、イェオリは臣子の運んできた料理から彼好物を選んで差し出す。
エリゼオの気持ちなどお構いなしに、彼らは上官を甘やかすだけ甘やかした。
「ったく……」
エリゼオは深い溜息を吐き、取り上げた酒瓶片手に、漸く腰を下ろす。
「……」
悲壮感の漂う副官を見て、アラヤはご苦労様です、と胸の内で労い、憐みの目を向けた。




