9 反省、謝罪、仲直り
「随分とやつれたんじゃない?」
舞踏会から一週間振りに復帰したイヴンリッドは、騎士服ではなく侍女服を着て、髪も頭頂部で毛先も巻き込んで丸めてまとめ、服と同じ紺色の横に長い帽子を付けている。
今日は娘仕様なのでお化粧もちゃんとしているのに、何処かいつもの覇気が感じられない。
先輩侍女に習って、テーブルに朝食後のお茶を淹れて、本人が一仕事を終えてから、ソファの側に呼び寄せた。
「基本の基本も出来てない身ですから」
つい愚痴りそうになって、イヴンリッドは二の句を飲み込んだ。
ここで愚痴ったら、アニッシュがまたぞろ自分が侍女としてついて行くと主張し兼ねない。
国王の裁可とあってアニッシュも渋々引き下がったと父から聞いていた。
「お茶を淹れるのがこれほど大変なことだったとは知りませんでした」
人数分のカップとポットを予めお湯を入れて温めてくとか、茶葉についても新しく仕入れた物以外は、主人の好みに合わせたブレンドがされているとか、尚且つその時の主人の気分によっても幾つかのブレンドがされているとか、また菓子も主の好みの物を取り寄せておくとか、他にはカップの柄もあった。
イヴンリッドは自分が無頓着でいたから気付かなかったのだ。
出された物をなんでも口にしていた。
母や妹がお茶やお菓子について話をしていたが、それは社交で必要な情報としてしか捉えたことがなかった。
それを二人に言ったら。
「昔からお好みが無いのがイヴさまでしたから」
ジュディエーヌにローゼリッテが生まれた頃から仕えている侍女ラグノアに言われてしまった。
ジュディエーヌはそんなことではいけないと、様々な茶葉をストレートで淹れさせて、それぞれの味の評価をさせたのだった。お陰でその夜の食事は水でお腹が一杯で取れなかった。
イヴンリッドの侍女修行はほんとうに基本からの出だしだったのだ。
イヴンリッドは一口含んだ、アルマーシェをおずおずと見つめた。
「普通ね」
ここで甘い点を出さないのがアルマーシェであり、イヴンリッドとの信頼の厚さを物語っている。
「侍女の仕事は奥深いですね」
イヴンリッドは尊敬の眼差しを傍らにいる二人の侍女に向けた。
アニッシュもマター二も驚いたように目を丸くした。大貴族の令嬢にそんな風に評価して貰えるなど思わなかった。イヴンリッドは常日頃自分たちの仕事を褒め、労ってくれているが、上辺だけ程度にしか受け止めていなかったのだ。
それを二人は申し訳なく思って身を縮める。
「侍女というのは名目上で、本気で侍女の仕事をして貰うつもりはなかったんだけれど。だって、向こうでも侍女の用意はあるでしょう」
「それは承知しておりますが、わたしもそこそこは身に付けておくべきかと。それに母としても結婚……いえ」
「結婚が決まったの?」
アルマーシェと共に、侍女二人が一緒になって真剣な眼差しを、イヴンリッドに向けた。
「違います、違います」
イヴンリッドは冷や汗を掻きながらぶんぶんと両手を振る。
「向こうでもし結婚となった場合の話です。側にいて教えてやることが出来ないから、母として今のうちに出来ることは教えておきたいと言うのです」
「あの舞踏会の方とはどうなったの」
イヴンリッドは溜め息をついた。避けては通れない道のようだった。しかしながら、隠すほどのことでもなく、結局周りが期待するような進展もないのだから、話してしまってスッキリさせてた方が得だとも思う。
「あの方は領地で祖父や兄を手伝っている従兄弟です」
「でも、わざわざ一番最初に紹介したでしょう。しかも、わたしたちのダンスが終わったら、あなたが居ないって大騒ぎになったのよ。そうしたら、ベランダから二人仲良く戻って来たと思ったら、渋っていたダンスを踊っているじゃない」
ちゃんと説明しなさいと、アルマーシェは厳しい顔でイヴンリッドに詰め寄った。
「従兄弟ですから気兼ねがないじゃないですか。それにあれっきりですし」
「あれっきり……て、会ってないの?」
「はい。舞踏会でダンスを踊ってから」
ここまで言えば脈無しと諦めて貰えるだろうと期待して、イヴンリッドは三つの表情を窺う。
「とても素敵な方だったと、それはもう城中の噂だったのですよ」
「最初にご紹介された方だから有力候補間違い無しと」
アニッシュとマター二は期待していた分ため息は大きい。
「宰相の牽制だったわけね」
「牽制……ですか」
珍しく、イヴンリッドが小首を傾げた。
「お父さまが要らぬことを言ったせいで、あなたを物にしたい者たちが競い合うように群がったじゃない」
「牽制にもなにもなっていないですわ」
「あれはあなたとやっと踊れる最初で最後かもしれないチャンスだったんだもの。それは必死になるわよ」
まったくその通りで、イシュトラルドと踊った後は、我も我もと何人の手を取ったか、思い出せないぐらいの人数だった。両手は軽く超えて、両足を足しても足りなかったように思う。
もちろんダンスだけで終わりではない。
今夜が最後かもしれないと話をさせてくれと言われては断れなかった。
なにしろ、イシュトラルドとは話していたのだから、彼だけを贔屓したように見られては、後々厄介だ。
翌日の昼近くまで爆睡してしまったのは、知らない相手との会話に神経が磨り減ったせいだろう。
愛想笑いを続けたせいで、途中顔全体が麻痺しそうで怖かった。
つい、イヴンリッドは頬に手を当てがう。
「それにあの翌日から、あなたは屋敷に戻って、暫く侍女の勉強をすべく近衛の仕事を休むと言うし。侍女の勉強ならここでも出来るもの。だから、きっと結婚の話が進んでいるんだろうと、専らの噂だったのよ」
「それはまったくの誤解です」
今朝はパトリスが予め侍女服を用意してくれたので、馬車で裏の使用人たちの出入りする門に横付けしてて貰えば、人目に付かずに城に入れるとあって家で着替えて来た。その足でここアルマーシェの部屋にやって来たのだが、予想に反して、城内でもひそひそと噂れているのが気になっていた。
自分しかあり得ないだろうと思いつつ、いや、自意識過剰なだけだと現実逃避していた。
それも侍女服に違和感を抱かれたのではなく、まったく見当違いの話で盛り上がっていたとは。
イヴンリッドは噂を放置している父とすぐ上の兄に心の中でありったけの罵詈雑言を浴びせ掛ける。特にこんな時だけ何の手も打たないアズウェルに対しては、辛辣な言葉になるのはしようのないことだろう。
「屋敷に戻ったのは母や妹のためです。向こうに行ったらいつ帰って来るか知れないので、特に妹には側にいてやりたくて。休みにもろくに付き合ってあげたこともないので。少しは姉らしいことをしておきたいんです。なにしろ、休みといえば、兄たちに引っ張り回されてばかりで、思えば自分も女らしい、甘いものを食べに行ったりだとか、洋服やら小物やら見に行ったりしたことなかったんですよ」
黄昏た表情で告白するイヴンリッドを、アルマーシェも侍女たちもまじまじと見つめた。
「えーと、でも、お店のオープンや新作の話や、今はこれが流行だとか、いやに詳しかったじゃない」
侍女たちの仕入れて来る話題に、イヴンリッドが興味なさそうに乗って来ないことはなかった。近衛として仕えているが、アルマーシェが部屋の隅で生真面目に黙々とただ座っているだけの存在は鬱陶しいと訴えたのだった。おしゃべりに加わっていたからと言って、仕事に支障が出るわけではない。だから、主のおしゃべりにも付き合えと。
「妹や上の兄に情報を貰っていたんです」
「情報……て」
アルマーシェは眉間を寄せて、痛み出すこめかみを片手で抑えた。
「今になって自分でも気付いたんです。十八の娘として終わってるな、と」
「ちょ、なにを言ってるのよ、イヴ。一体全体どうしたって言うの、あなたらしくもない」
「父に幼い頃から近衛騎士になるのだと育てられて来たので、その道を真っしぐらに突き進んで来たわけです。そうしたら、友人もいないし、自分から街に遊びに出掛けたこともないですし、家族に対しても、なんだか違っていたんじゃないかって」
「そうよ。お父さまがお許しになっているんだから、着飾って舞踏会を楽しんで良かったのよ」
「アルマーシェさまにも申し訳ないことをしたと反省しています」
「なにがよ」
アルマーシェはいつもと違う調子に狼狽えまくる。
「近衛騎士としてお側に仕える以上、遊び相手としてお側にはいられないと、勝手に思い込んでしまって」
「それなら、わたしも反省してるわよ」
頭を下げるイヴンリッドを目にして、アルマーシェも自分も今言わなければと覚悟を決めた。目は恥ずかしくて、明後日の方向に向けてしまったが。
「友達ではなくなっても、貴女がわたしの側にいてくれることに変わりはないんだって気付かなかったんだから」
侍女二人から『成長なさいましたね』と暖かな眼差しを横顔に受けて、アルマーシェは居た堪れない気分を爆発させた。
「もう、なんなのよ。しゃきっとしなさい、しゃきっと」
活を入れるつもりで、ばんと強くはないが、テーブルに両手を打ち付ける。
「自分の中で何かが欠けてるような気がして」
どこまでも沈んで行きそうな気分を、仕事中であることを思い出したイヴンリッドは、はたと思い出して切り替えた。
常ならここで仕事の顔に戻るところだが。
「自分のことで一杯一杯で、アルマーシェさまは如何だったんですか?」
「え」
アルマーシェは切り返されて、そそとティーカップを口元に運んだ。
「わたしにも聞かせてくださいな」
随分と久方ぶりに見るイヴンリッドの無邪気な微笑みに、アルマーシェはお茶を飲むのも忘れて固まった。
それから思い付いたようにティーカップをソーサーに戻して、身を乗り出すようにして、イヴンリッドの額に手を当てがう。
「え、と、どうなさったんですか」
こちらも戸惑いながらも、久方ぶりの王女の柔らかな手の感触を懐かしく感じ入る。
気さくな友人関係が破綻してから、まだ三年の年月も経ってはいないのだが。
心が離れていた期間というのは意外に長く感じるものかもしれない。
などと、イヴンリッドが感傷に浸っていると。
「熱でもあるんじゃないかと思って」
「まさか」
イヴンリッドは自分でも額の温度を測ってしまう。
「至って元気ですよ」
「確かにいつものあなたらしくないのよね」
アルマーシェは眉をひそめて、イヴンリッドを見つめる。
「服のせいもあると思いますわ。近衛の時には気を引き締めてますし、言葉遣いも多少固くなっていたと思いますわ」
「成り立ての頃はほんとうにそうだったわね。ニコリともしないし、砕けた話にも乗って来ないし」
「でも仕事ですから。行き過ぎだったのは認めますが」
「向こうに行ったら、あなただけが頼りなんだから。仕事は建前で、私の友人として側にいて欲しいのよ」
「はい。心得ております」
イヴンリッドが力強く請け負えば、アルマーシェは安堵の息を零した。
「あなたを『侍女』にして正解だったわ」
ありがとうございました