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7 過去を知る男たち



まるで人目に付かないよう、ホール側の柱の陰に身をひそめるように、壁に寄り掛かっていてすぐに気付かなかった。気配もない。

「警戒しないで。ここに来る前にも大騒ぎになったもんだから、ここで待ち合わせていたんだ」

「さすが、イヴンリッドお嬢さま。驚かせようと完全に気配を消したつもりでいたんだがな」

化粧をすれば女性映えもしそうなほど綺麗な顔立ちの男だった。

凛とした眉と少しばかり垂れ目がちな目は切れ長。

月明かりに照らされた肌は男の物と思えないほど艶やかで、癖のない真っ直ぐ伸びた白金の髪は短く、油で前髪も後ろへと撫でつけている。

「養子なんだが、一応弟でイシュトラルドと言う」

優雅にお辞儀して、イヴンリッドの手の甲に口付けた。

思わず見惚れていたイヴンリッドは、我に返って、疑問に思ったことを口にした。

「『お嬢さま』って、もしかしてお会いしたことがあります?」

そう呼ばれるのは王都の屋敷と領地においてぐらいだ。

「ご領地の方でね。お屋敷にも何度も顔を出させて貰っているよ」

デューイがどこまで話が通っているのかと、弟に目で問われて、代わりに説明することにした。

「え、じゃ、じゃあ。わたしが剣を振り回しているところも……」

領地には祖父ダルヤヌスが息子パトリスに宰相の座を譲った後、あちらで暮らしている。王都から馬で二日と掛からない距離にある。

イヴンリッドはアルマーシェの遊び相手もしていたから、簡単には行けず、休暇を貰えた時ぐらいしか帰っていない。主に祖父母の誕生日だ。

なのにお祝いどころか、ダルヤヌスまでもが剣の腕を見たいとせがむので、訓練は休めたことがない。一方祖母イザルデも、自分も孫娘を独り占めしたいと、刺繍や作法やダンスのチェックをした。

それを見られていたのだろう。

「有名だからね」

「それじゃあ、こんな格好は滑稽でしかないわね」

「なに言ってるの。ダンスにも作法にも、勉強にも手を抜かない立派なお嬢さまだと評判だよ」

「ひょ、評判って、どれだけ?」

「子供にお嬢さまを見習えと、母親たちの口癖になる程度には」

「恥かしい」

もう二度と領地には帰れないとイヴンリッドは悲しくなった。

「何故、恥ずかしがる。公爵家の娘として頑張っている姿を領民たちが認めているってことだろう。胸を張っていいところじゃないのか」

「……」

イヴンリッドが眉を寄せて、うーんと考え込む様子を見て、デューイは。

「ダンスが終わったらしいから、飲み物を貰って来るよ」

いきなりイシュトラルドと二人っきりにされて、イヴンリッドは困惑してさっさとホールに戻って行くデューイを見送った。

「手袋外して貰えるか?」

なにを考えているのだろうと、怪しげに警戒して見れば、イシュトラルドは苦笑する。

「右手だけでいいから」

手を差し伸べられて、イヴンリッドは領地の屋敷に出入りしていて、シュワルツのお墨付もあることから、言われた通りにした。

イシュトラルドは両手にイヴンリッドの手を受け取ると、手のひらを返して、月明かりにかざすように、そして自らの指で剣だこに触れる。

「イ、イシュトラルド殿」

「『殿』は要らない。それに『イシュト』だけで結構だ」

「もういいでしょうか」

イヴンリッドは手を引こうとしたが、 およそ令嬢らしくないだろう手を、イシュトラルドは感心した目で見つめている。

「城でも毎朝アズウェルにしごかれているんだろう。相変わらず、負けん気の強さで腕を上げていると、シュワルツが自慢していた」

「そんなことまで兄が話しているって、あなたと兄たちはどういう関係なの?」

「俺は血が違うが、デューイは縁続きの従兄弟だ。もちろん、お嬢さまにとっても」

「その『お嬢さま』も止めて。血が繋がってなくても、形でも従兄弟なら、呼び捨てでいいわ」

「俺は孤児だ。難民で流れて来て拾われた。髪の色がこんななのも、この国の人間じゃないからだ。なのに、宰相家だって言うのに、構うことないのな」

イシュトラルドは倦厭され、門前で追い払われてもおかしくないのに、不思議だと笑った。

イヴンリッドはそのような過去を持ちながら、人に認めて貰えるような人物に育ったこと自体、不思議だと思った。彼の言うように周りから冷たい目で見られれば、心が挫けてひん曲がっても仕方がないように思えるのだ。

アルマーシェについて、孤児院の慰問にも同行する。イシュトラルドと同じ境遇の子供たちを多く見てからかこそ、イヴンリッドはそう感じずにはいられなかった。

「人としての在り方を見たからじゃないの」

「だったら、自分もなにを恥じ入ることがある?」

イヴンリッドはそれを気付かせるための行動だったのだと、ようやく納得した。

「令嬢なのにこんなになるまで頑張る必要性はないだろう。放り出しても良かったんじゃないのか」

「近衛騎士になることがわたしの役目だと思っていたから」

イヴンリッドはイシュトラルドの手から、ようやく自分の手を取り戻して、いそいそと手袋を嵌める。

「一心不乱だったもんな。なんでそこまで頑張るのか不思議だったんだ」

「屋敷に来てて、鍛えられているところを見てたんでしょう。わたし、記憶がないのよね。あなたの容姿だったら忘れないと思うんだけど」

「髪は染めてたからな」

イシュトラルドは横髪を指に掛けて意外なことを言った。

「え、どうして。もったいない」

「宰相家だけだ。そんなことを言ってくれるのは」

「うちに来てもひそひそしてたの?」

「まさか」イシュトラルドは肩を竦めて、寂しげに笑う。

「血筋を問題視されたのは、お嬢さまたちに対してだけだ」

最後の一言に、イシュトラルドは噴き出すように声を立てて笑った。

「ローゼ嬢にも鉄壁のガード食らったもんだ。何処までシスコンなんだ。あいつら」

「うんざりしてるのよ、こちらとしては」

イヴンリッドは背を丸めるようにしてぐたりと全身から力を抜く。

「今朝の今朝まで、剣を振り回すような人間には興味がないんだと落ち込んでたのよ。そしたら、縁談の申し込みは来てて、だけどこっちが断ってるって言うじゃない。見合いの席を設けるつもりがないから、わたしには話が来なかったのは分かるけど、聞かなかったわたしも悪いけど」

「聞いてたら、違ったか?」

「どのみち、結婚は父任せだったし、なにか変わることでもないんだけど。もてないって思ってるのと、ちょっとは興味を持てられてるっていうのとでは違うでしょ、やっぱり」

「ちやほやされたら気分は良いからな」

その一言は鋭い棘となって、イヴンリッドの心に突き刺さった。

そんなつもりはなかった。

だが、傍から聞けば、そう受け取られるのだ。

「嫌な女ね」

自分は相手に興味を抱かれても応えるつもりはさらさらないのに。遊びでも付き合うつもりはないのに。けれど、好意を寄せて貰えるのは嬉しいと舞い上がるなんて最低だ。相手に失礼だ。

「イヴンリッド嬢。こちらにいらしたんですか」

声を掛けられ、イヴンリッドはすぐに振り返れなくて、イシュトラルドの袖を掴む。

ぎゅっと掴んで、気持ちを鎮めようとしていると。

「今はわたしが話をしている」

「見ない顔だな」

「シュワルツ殿の許可は得ている。アルガハラム男爵イシュトラルドだ。お見知り置きを」

「聞かない名だな」

剣呑な雰囲気に気付いて、恐れ戦いて震えていた体が、対戦モードに切り替わって、イヴンリッドはきりりと、ホールから出て来た男に目をやった。

「兄のシュワルツから直接紹介を受けたわ。お疑いなら、ホールにいる兄なり父なりに確認してみてください」

「我々の縁談の申し込みを蹴って、何故男爵などと」

「縁談を断ったのは父です。父に真意を問うてください。ただ、まだわたしはアルマーシェさま付きの任を、陛下から解かれてはおりませんので、いつ帰国することになるかも不明です。五年先でもお待ちいただけるのでしょうか」

五年と聞いて間に割って入って来た男も、こちらの様子を窺っている男たちも一様に顔を強張らせた。

五年後、イヴンリッドは二十三歳。

社交界では行き遅れと判断される。

「婚約して頂ければ、いつまでも待ちますよ」

一人の男が進み出た。

「ですが、まだ、この方と話しております。もう少し、付き合ってくださいますか?」

イヴンリッドは相手に失礼のないよう断り、順序が逆だがイシュトラルドに尋ねた。自分のことはどう思っていようともシュワルツから預かり、従兄妹であるなら、否とは言わないだろうと、願う。

「もちろん」

「踊っていただけますか?」

「喜んで」

差し出した手にイシュトラルドが恭しく口付けてくれる。

イシュトラルドはイヴンリッドの腰に手を回すと、邪魔だと冷たい一瞥を与えて、男たちを退けた。

男たちから守られるように、イヴンリッドはホールに導かれた。

視線が集まっていた。

男たちとの騒動が注目されていたらしい。

構わず、進んで行くと、視線は自分たちについて来る。

「どなた?」

「ご存知?」

などと言う、女性の声が耳に届いた。

イシュトラルドの髪の色とその容姿が女性の目を惹き付けているのだ。

「次の曲まで待たないといけないわね」

ちょうど給仕の手元のトレイに液体に入ったグラスを見付けて、喉を潤しながら待つことにした。

飲み物を取りに行くと言ったデューイのその後のことは話題に出ない。

イヴンリッドもイシュトラルドを紹介するのが目的で、あれは二人にするための口実だと理解していた。

「こういうことは男がリードするものらしいが、こういう舞台は始めてだし、ダンスも踊るのがじつは始めてだ」

「あら。わたしも二年ぶりよ。誘われないと思っていたから、練習すらしてなかったのよね」

「体が覚えているものじゃないのか」

「どうかしら。自信がないわ」

「筋がいいと言われていたんだ」

「何処まで見て知ってるの」

剣ではどんなに頑張ったところで祖父にさえ、軽くいなされるのは仕方がない。

ダンスも小さい頃は足がもつれて転ぶこともしばしば。ステップを間違えて、練習相手のシュワルツの足に消えない痣を残している。デビュー間近には自分では完璧と思っても、ちょっとの腕の角度、笑顔が引きつっている、などなど祖母には駄目出しばかり貰っていた。

女性としては隠しておきたい過去だ。

「シュワルツの受け売りだ」

今のは見て来たような口振りだ。

忘れろと言ったところで、記憶が消せるわけではないので、泣く泣く諦めるしかない。恥ずかしいが悪いことばかりではない。知られているなら、飾らなくてもいい。失敗しても落ち込む必要もない。

「足を踏んだらごめんなさい」

「声が謝っていない」

気さくにそう返すイシュトラルドのお陰で、イヴンリッドは悪戯っぽい笑みを自然に口に浮かべる自分に驚く。

不思議な男だ。

孤児と言うが捻くれた物の考えは持っていない。裕福な貴族に反感があるようにも見えない。貴族社会に無理して溶け込もうとしている様子もない。

なのに、グラスを持つ姿勢は、元から貴族のようだ。

難民として流れて来ていたとしても、貴族ではないとは限らないのだ。住んでいた屋敷が壊され、略奪され、そこに、街に住めなくなったら、難民と共に避難するしかなかったのではないか。

貴族だらけのホールにいて、目を惹くのは、場違いなせいでは絶対ない。

彼の容姿だけだはなく、醸し出す品の良さだ。

「どうした」

「え」

「終わったようだ」

踊っていた男女が休憩にホールの中央から離れて行く。中には続けて踊るカップルもいる。その周りに、次の演奏に参加しようと、歩んで行くカップルの姿があった。

見ていたようで、隣の男を分析していたため、目に入っていなかった。

「行きましょう」

グラスを回収して回っている給仕に彼らも渡して、輪の中にイシュトラルドとイヴンリッドも加わった。

参加者が集まったところで演奏が始まった。

いきなりのスローな曲に、イシュトラルドとイヴンリッドは顔を見合わせた。

イヴンリッドがおずおずとイシュトラルドの腕に手を添えると、イシュトラルドもそれに応じて、ドレスの腰を引き寄せた。

「これだけは踊らせないと言ってたのに」

「アズお兄さまの焦った顔が目に浮かぶわ」

イシュトラルドも堪え切れない様子で喉の奥で笑い声を必死で殺している。

「さっきのアレは悪かった」

唐突な真剣な声音に、イヴンリッドは首を捻る。

イシュトラルドとの出会いは遠くない過去。

「あなたの言う通りだから。相手にしてみたら失礼な話だもの。今日は自分がどれだけ周りに目を向けてなかったかを思い知らされたわ。母にも人間的に欠落してるって言われてしまったし」

「人間的に欠落……」

「アルマーシェさまの近衛という立場を優先してきたから、自分自身のことにおざなりになってたのよね。自分のためになにかしたことってないのに、今更ながら愕然としちゃったわ。自分から友人を作ることもなかったのよ」

「それはあいつらのせいだ。落ち込む必要なんてないさ。そういうことに目を向けさせる時間も必要性も教えなかった奴らの責任だ」

「母も同じことを言ってたわ」

「奴らから離れてフェルデニウムに行くんだ。今からでも十分、自分のことに時間かけてもいいんじゃないのか」

「……」

「あいつらに育てられて、なんでそう生真面目な性格になったんだろうな」

「何でもかんでも、そつなくこなせるお兄さまたちとは出来が違うもの」

「まじで言ってる?」

「今朝もこんな腕じゃ、近衛として付いて行かせられないって言われちゃったのに、フラフラ出来るわけないじゃない」

「シュワルツだってご領主にしごかれてる最中だって忘れてないか」

「知ってるわよ。でも」

「なるほど。じゃあ、ちゃんと見てなかったんだな」

「……そうね」

やはりそこに落ち着くのかと、イヴンリッドはため息をついた。

イシュトラルドに言われた『今からでも十分』という言葉が心を軽くしてくれた。

「ねえ、もう一曲付き合ってくれないかしら」

曲が終わって挨拶を交わしてから、イヴンリッドはすぐにまたお願いした。

「喜んで」

「あなたと最初に話せて良かったわ。そういうところ、お兄さま抜け目ないんだもの。尊敬しちゃうわ。うざったいこともあるけど、ちゃんと見ていてくれているっていうのはありがたいと思うもの」

イシュトラルドの複雑な表情の動きには、イヴンリッドは顔を合わせているのに気付かない。

次の曲のために男女が集まったのを確認して、演奏が始まった。

軽いテンポの曲だ。

その代わりステップが多く、ターンもある。

「懐かしい」

イシュトラルドは片手を自分の腰に置いて、片手だけでパートナーを操る。

「完璧じゃない」

「シュワルツに『妹に恥を掛かせたら出入り禁止だ』と言われてしまったからな」

「仲がいいのね」

「仲がいいと言うのか」

イシュトラルドは頬を引き攣らせた。

「男の人の友情は好きよ。女同士でそれが成り立つならいいんだけど」

「『類は友を呼ぶ』。そう望めばそういう者だけが側に残るもんだ」

「早くにあなたに会ってたら、わたしの人生ももう少しましになってたはずだわ」

「ああ。外部の人間の声は大事だな」

『外部』という言葉に引っ掛かりを覚えながらも、それが何故か理由が見付けられず、結局肯定も否定も出来なかった。

「周りにも目を向けるよう心掛けるわ」

そうイヴンリッドはダンスのお礼の代わりに言った。

「今夜は付き合ってくれ……くださって、ありがとう。楽しかったわ」

「こちらこそ」

そんなやり取りを聞いていたらしいイシュトラルドの側に、次は自分と踊って欲しいと、令嬢たちがわっと取り囲んだ。

「すまない。シュワルツ殿に挨拶がある」

イシュトラルドがやんわりと断る様子を横目に、イヴンリッドは自分の前にも差し出された手に意識を集中させた。



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