6 令嬢として出るべきでした
ウィンストール家の女性陣が紹介されると、ホール中の視線が集まった。
個々に談笑していた者たちが、出迎えるように一斉にわっと集まって来て、ヴィエラが尻込みして後退った。
ローゼリッテは足が固まってしまったようで、ジュディエーヌにこそりと叱咤されていた。
「やはりシュワッツお兄さまをお待ちしてた方が良かったですね」
この場でヴィエラと別れて解放してあげたかったが、既婚者でも一人にさせるわけにはいかないと、近衛騎士の心がイヴンリッドに囁く。
代わりになり得そうな保護者はと目を巡らせても、任せられる者は見付からなかった。
「二手に分かれましょう」
ヴィエラは頷いて、イヴンリッドに引かれるように、母たちとは別の集団の挨拶に答える。
「近衛の任務を優先していたため、ご挨拶することもなく大変失礼をしました」
イヴンリッドが裾を持ち上げて頭を下げると、ちょうど目の前にいた紳士や夫人が互いに窺いつつ応じた。
「いやいや。近衛の仕事も大事だからね」
「騎士服も凛々しくていらしたけれど、ドレス姿はまたとてもお綺麗ねえ」
「ありがとうございます」
「イヴンリッドさまが一人抜けても、警備に穴が空くわけではないでしょう」
「わたしたちはイヴンリッドさまに舞踏会に出て貰いたいのですわ。もちろん、近衛としてのお力を軽んじているわけではありませんのよ」
別の夫人がすぐにフォローし、いつの間にか自分たちの夫を押しやって、夫人たちがイヴンリッドを囲っていた。
ヴィエラは圧倒されながらも義理の妹を半身前に出て庇う。
「それはまた陛下の許可を得ないと答えられませんので」
「ええ、ええ」
「早くまた舞踏会を開いて頂きましょう」
『国王陛下の許可を得られたら』と言ったはずなのに、夫人たちはもう得られたことを前提に話を進めている。またぞろ、王妃に泣き付くつもりなのだろう。
さすが女は強しだ。
集団の外に追いやられた夫とその子息たちは、一様に顔を引きつらせて立ち尽くしているといった状態だ。
「それで、是非、我が息子と踊ってやって貰えないかしら」
夫人方と話している分には安全かと思いきや、イヴンリッドは彼女たちの思惑をすっかり失念していた。
子息たちの誘いより、夫人方の誘いを断る方が遥かに困難だ。
「うちの息子も二十三になるのですよ。ちょうど良い年の差だと思うのですよ」
「わたくしどもの方は」
イヴンリッドが口を挟む間も無く、夫人方の息子自慢が始まった。そのために訪れたと言っていい夫人方の猛攻は、アズウェルの剣の攻撃より凄まじかった。
淑女の嗜みが揉みくちゃにはさせなかったが、誰かの子息と踊らないことには開放して貰えそうもなく、イヴンリッドはヴィエラと身を寄せ合って、泣きそうな目で見つめ合った。
こんなことなら頑なに近衛として来るのだった。
いや、違うか。
令嬢として顔を出していれば良かったのか。
それなら、公爵家の中も安泰だった。
まさか、こんな事態になるとは思わなかったイヴンリッドは、猛反省するばかりなり。
「皆さん、その辺にしてやってください。令嬢としてもう出たくないなどと言われたら、皆さんも元も子もないでしょう。お手柔らかにお願いします」
穏やかな声に、イヴンリッドは救われた。
「あなた、申し訳ありません。お待ちしているお約束でしたのに」
「ええ。玄関ホールにいないので探したよ」
衿や袖口にトーン違いの生地を合わせてお洒落に決めたシュワルツが、妻と妹を両手を広げて迎える。
「シュワルツさま。ご挨拶しようとお探ししていたのです」
気を取り直して、改めてシュワルツと交渉しようと、伯爵夫人が代表して声を掛ける。
「カミエラ夫人。今夜も一段とお美しくていらっしゃる。私用で遅れましてね。挨拶もそこそこに申し訳ないのですが、妹に用事がありまして。しばらくお借りしますね」
シュワルツは貴公子然とした柔らかな微笑みを向けて、一礼すると妻と妹をエスコートして、夫人の集団から離れた。
「お義姉さまを怒らないでくださいね。わたしが誤魔化しきれなかったせいですから」
「そんなことで怒ると思ったかい?」
「それにお母さまがお冠ですから、すみません。帰ったら覚悟しておいてください」
「え、どういうことだい」
「あなた方があんまりイヴンリッドを大事になさるから、いざという時になって、殿方とどう接して良いか戸惑っているのですよ。ですから、そういう女の手練手管を教育させてくれなかったあなた方の責任だと怒っておいでなのですわ」
母の魂が乗り憑ったが如くの義姉の様子に、イヴンリッドもシュワルツも目を瞬いた。
「ごめんね、お兄さま。わたしも悪かったんだけど」
「いいえ。そういうことは母親が躾けることですから、あなたの責任は大きいですわよ。お義父さまにもご忠告申し上げておいてください。お母さまは本気で家出覚悟で怒ってらっしゃると」
「うわ」
常日頃、父の決めたことには口答え一つしなかった者が怒っていると聞けば、天地がひっくり返るほどの大事だ。
シュワルツはいつになく狼狽えた様子で、口に手を当てがいながら、挙動不審な動きを見せている。
ウィンストール家の内乱に参戦しないものと思っていたイヴンリッドは、すこぶる機嫌の良いヴィエラを未だに呆然と見つめていた。
「わたしも娘を持つ母よ。お母さまのお怒りはごもっともだと思うわ」
これで本格的な全面対決だ。
イヴンリッドも兄と同様に冷や汗を掻いているところに、諸悪の根源の声が響いた。
「国王陛下、王妃陛下のご入場である」
ホールの奥の数段高くなったフロアに、ルファスとアマンダが煌びやかな衣装を纏って、中央に進み出た。
宰相の案内で次に第一王子ウォルレッド、第二王子クロヴィス、第二王女アルマーシェが続く。
横一列に並んだ家族を見て、ルファスが一歩前に出た。
「本日はフェルデニウム王国との同盟が無事滞りなく整ったことを報告する」
王族の入場の時以上の歓声と拍手が沸き起こり、ベランダに面する窓ガラスをも震わせた。
宰相の合図で一人の男がルファスの傍に立ち、次いでそこにアルマーシェが寄り添う形で進み出た。
「フェルデニウム王国第二王子クストディオ殿だ」
クストディオが深々と一礼する。
「我が娘アルマーシェとの婚約も正式に整った」
もう一度クストディオはアルマーシェと息を合わせて礼をとる。
「この良き日を皆で祝ってくれ」
「おめでとうございます」
臣下が一斉に紳士淑女の礼をとって、舞踏会が幕を開いた。
ホールにルファスとアマンダ、アルマーシェをエスコートしたクストディオが下りて来る。
中央に作られた道を歩む足がふと止まる。
「おお。これは見違えたぞ、イヴンリッド」
イヴンリッドは思わず『げ』と言いそうになった言葉を、深々と頭を下げることで、相手から隠した、が。
「こらこら。令嬢が騎士の礼をするでない」
言われて、イヴンリッドは胸に手を当てていることに気付いた。
「申し訳ありません」
イヴンリッドは顔を真っ赤にして裾を持ち直して膝を折る。
「日頃の習慣ね」
アマンダが優しく微笑んでくれて、イヴンリッドは助けられた。
「クストディオ殿。先ほど紹介した、アルマーシェの近衛のイヴンリッドだ。このように何処に出しても問題ない娘だ。娘共々よろしく頼む」
「心得ました」
クストディオはルファスに大きく頷いて見せると、イヴンリッドにも笑顔を向けるのを忘れなかった。
そのやり取りにホールに小さなさざ波のようなざわめきが広がる。
「イヴンリッドにはアルマーシェの側付きとして、フェルデニウムに行って貰うことになっている。帰りは本人次第ということだ」
最後の一言をルファスは茶目っ気たっぷりに言い、暗に今夜中にも頑張って縁を取り持っておけとせっついた。
イヴンリッドは国王の爆弾発言に冷や汗たらたらだ。
「国王陛下もお人が悪い」
「楽しむが良い」
シュワルツの言葉を右へ流して、ルファスは妻を伴って歩を進めた。
「存分に楽しむのよ」
アルマーシェもこそりとイヴンリッドに耳打ちするのを忘れなかった。
国王夫妻と未来の娘夫妻のダンスの邪魔をしないよう、大きく距離を取ろうと動く人の波に、シュワルツは敢えて逆らうように、ゆっくりと妹を連れて輪の外に出る。
「初めまして。ウィンストール家の秘宝殿」
突然声を掛けられて、イヴンリッドはびくっとそちらへ目をやる。
妹が足を止めたので怪訝に振り返ったシュワルツは表情を途端に和らげた。
「よく分かったな」
「国王陛下が場所を教えてくださったからな」
男はにやりと微笑んだ。
「わたしはシュワルツ殿と仕事をさせて貰っている、アルガハラム男爵デューイと申します。以後お見知りおきを」
芝居掛かった素振りで男はお辞儀をする。金茶の髪はくせなのか短いのにウェーブが掛かっていて、甘い顔立ちに似合っている。クラヴァットをスーツの襟から出しているのも彼らしい。
手を取られて、手袋越しに口づけされて、イヴンリッドは内心の動揺を皮一枚に隠して微笑んで受ける。
「今宵はお借りして構いませんね」
「奪われないように気を付けることだ」
「シュワルツ殿のお許しを得られたところで、まずはゆっくりお話でも如何でしょう」
「ええ」
いきなりダンスを申し込まれなくて助かったとイヴンリッドはほっとして、デューイの申し出に頷く。
一曲目の演奏が終わっていないため、使用人たちは壁際で待機している。
「まだ早そうだね」
「ええ」
「せっかちだと思ったでしょう」
「いいえ、そんな」
「演奏が終わったら厄介だと思ったんだ。すでに君を僕が奪っていると知られたら大騒ぎだ。ベランダに逃げよう」
デューイは悪戯を思い付いた子供のように笑んで、集団の周りを覗き見る隙間が無いか、探す風にしながら、イヴンリッドをベランダに連れ出した。
そこには先客がいた。
ありがとうございました