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1公爵家の兄妹

朝陽が闇夜を追い払ってまだ間もない。

空には淡い色彩しか現れていないような早朝。

まだ闇の気配が残っているような冷気を孕んでいる風が、そよと吹けば、肌がぶるりと震える。

「おはよう」

挨拶をしつつ歩み寄った二人は、寒さも忘れた勢いで手にした訓練用の剣を振るう。

それぞれにシャツとズボンに上に着た鎧や、肘や膝当ての付いた手袋やブーツといった防具は薄く、動きを邪魔することはなかった。

剣を鋭く弾き合う二人は、色味の濃い金髪と青味がかった灰色の瞳、目鼻立ちの整った顔の作りは血筋を感じる。男は髪を短く揃え、動く表情は二十歳を過ぎているというのに、まだやんちゃな性格を滲ませたままだ。娘は腰まで伸ばした髪を三つ編みにしてきっちりまとめ、早朝に関わらず凛とした面持ちで気合いを漲らせている。

まともにやり合って十数年にもなるのに未だに勝てない。

相手は両刃の中剣一本。娘ーーイヴンリッドの方は細身で短めの中剣が二本。片刃で斬るのに適しているから、女の身でも扱いやすい。

上段から振り下ろされる兄アズウェルの剣を、左右に持った剣を交差させて止めておいて、無防備な脇腹を狙って足技を繰り出す。そうして逃げた体を追って、右、左と容赦なく攻撃を加える。

攻めても引いても兄から隙を見出すことも出来ず、また隙を作らせることも出来ない。

アズウェルは第一王子の近衛騎士隊隊長に任じられ、実戦の経験もあり、場数も踏んでいる。

その経験の差が問題なら、こうして兄に実戦まがいの訓練を望むしかなく、まだ体に覚えさせている段階にあるのが、イヴンリッドを焦らせる。

「腕が上がったじゃないか」

そこへ、もう一人男が乱入して来た。

「シュ、シュワッツ兄さま!!」

アズウェルは驚きも見せなかったが、妹は思わず大きく距離を取っている。

「幽霊でも見るような顔をして、傷つくじゃないか」

言葉と違い、悪戯が決まったとにんまりと笑んでいる。

彼らの長兄で、下に四人の妹弟を抱えているせいか、あるいはすでに結婚して子供もいるせいか、まだ三十にも手が届かない年齢であるのに貫禄を感じさせる。

「いや、だって、まさか、訓練にまで顔を出すなんて」

アズウェル相手にまだ四苦八苦しているのを知られたくないイヴンリッドは、動揺のあまり兄からずりずりと距離を置く。

「アルマーシェさま付き近衛騎士として、行かせられるのかどうか心配になったに決まっている」

さすが妹のことをよく見ている。

「それはもう決まってることでしょう」

「それでもだ。役立たずを行かせるわけにも行かんだろう」

公爵家の男はこういう面では妹にも容赦がない。

「こいつのドレス姿を楽しみに出て来たんじゃないのかよ」

アズウェルが助け舟を出してやったが。

「それはそれ、これはこれだ」

「シュワッツ兄さままでいい加減、妹離れしてください」

イヴンリッドは懸命に話題を反らそうと努める。

「なにを言うか」

二人の兄は、その発言内容にはいたくご立腹だ。

兄弟仲が良いのは嬉しいことだ。王侯貴族にあっては長兄だけが跡を継げ、二人目からは自分で将来を決めなくてはいけない。男子の場合厄介なのは、下が才覚に溢れていれば、後継争いに発展し兼ねない問題を抱えることになる。

娘に至っては家に益となる未来の夫を、自分の意思とは関係なく決められる。姉妹のどちらかがちょっとでも格下なら、そこに嫉妬が生まれ諍いの種になるなどと聞く。

もちろん、そういう噂話は世間に好まれ、止まることを知らず広まるから、尾ひれはひれがついて、話を大きくしているのかもしれないが。

「今日は何故近衛ではなく、娘として参加せねばならないのです?」

「そりゃ、おまえだって独身というわけにはいかないだろう」

「フェルデニウムに行くのに、縁談をまとめるつもりですか」

イヴンリッドは眉をしかめ、アズウェルはぎょっとなる。

「帰って来ないつもりか」

「もちろんですとも。私はアルマーシェさまに一生お仕えするつもりでいるのですから」

「向こうが落ち着いたら、呼び戻すつもりでいるとばかり思ってたんだが」

と、後で親父殿に問い詰めなければと、長兄は口に手を当てがってブツブツと考えを垂れ流している。

「父上がこちらで縁談を勧めたらどうする」

アズウェルが聞いた。

「それはもちろん、国王陛下のご許可が出たのと同じですので従いますよ、もちろん」

その言葉に兄たちはほっと安堵の息を吐く。

「じゃあ、兄上。イヴンの腕が未熟だからだと」

「アズ兄さま!」イヴンリッドは轟々と背中から炎を立ち昇らせる。

「これまで何のために、こんな訓練を続けてきたと思っているんですか。物心つかない頃から実地訓練とか言って、人を森に連れて行っては、動物や魚のさばき方まで教えこまれたのは、なんだったんです?」

「や、でも、嫁いだって必要ではあるぞ」

「あるわけないでしょう!」

だだっ広い訓練場に日々渡るぐらいの大音量でイヴンリッドは雷を落とした。

「剣を振るう令嬢なんて誰が嫁に欲しいなんて思うんですか」

ついイヴンリッドは胸にしまって来た乙女心を吐露してしまう。

「なにを言ってる。おまえが欲しいなんて男は」

「取って付けたような慰めなど必要ありません」

イヴンリッドはつい俯いてしまう。

近衛騎士として城に上がった当初は、兄たちに一撃も加えられず、このような自分で勤めが果たせるのかと自信がなかった。

訓練に初めて参加した日も、先輩たちからも女の分際でと、さすがに宰相の娘にあけすけとは口に出さなかったが目が語っていた。

第一王子付き近衛騎士隊隊長であるアズウェルの指示で、第二王女付き近衛騎士隊隊長に二十名全員と手合わせをさせられた。

兄たちには敵わなかった剣だが、両刀使いに慣れていない騎士たちは呆気なく剣を落としていった。

「元第一近衛騎士隊隊長の兄と現隊長の俺とで幼い頃から鍛えて来たんだ。舐めんじゃねえぞ」

誇らしらげに胸を張るアズウェルの言葉に、イヴンリッドはそれまで近衛騎士として生きるために根性で兄たちに食らいついて来たことが実を結んだと心底喜んだ。しかし、兄の最後の一言はイヴンリッドに女としての未来は終わったと思い込ませたのだった。

「なにを言ってる」

「うちにどれだけ縁組を求める手紙が来てると思う」

「それは『宰相の娘』目当てでしょう」

地位や権力を欲する者には、イヴンリッドがどういう娘であれ欲しいに決まっている。

「舞踏会に出るなと言ったのは兄さんたちでしょう」

「俺がいつ」

シュワルツがはたと弟を見れば、案の定、アズウェルはしれっと応える。

「出たって、こいつが嫌な思いするだけじゃん。それより、アルマーシェさまの後ろで男らが何を考えているのかじっくり見ている方がいい勉強じゃね?」

それは至極ごもっともで、シュワルツもさすがに反論の言葉を見つけ出せなかった。

「それにその申し込みだって、こいつの言う通り、親父の権力目当てじゃん」

「全部が全部そうだと言い切るな」

「お父さまがきちんとした方を選んでくれると思うから、別に悲観はしてないのよ」

『結婚』に関しては。

「お父さまが相手を見付けたってこと?」

「その辺ははっきり知らない。俺も知らないんだから、違うだろ。そもそも、こいつの言葉を信用して、国王陛下からのご命令でも、特別な日だけと断っただろう」

「近衛としてはそうあるべきじゃない?」

十六歳で初めて王家の主催する舞踏会で社交界デビューを果たした後は、国王陛下から第二王女付き近衛騎士に任命されたため、公爵令嬢としてお茶会やら舞踏会やらの出席は差し控えたのだ。

ただし娘として着飾れなくなったわけではない。

王女の側に控えるために必要なら侍女服でもドレスでも、臨機応変に着てもいいと言われていたが、そこはやはり任務なのだからと、舞踏会の場では控えめで動きやすい意匠のドレスにしていた。

そんなイヴンリッドを見兼ねて、恐らく母に泣きつかれた父が、宰相という立場を使って国王におねだりしたのだろう。職権乱用だとお叱りがなかったことに、後で話を聞いたイヴンリッドは胸を撫で下ろしたのだが。

「今回もお母さまに泣きつかれて、お父さまが国王陛下に頼まれたのですよね」

「ご婦人方が王妃殿下に泣きつかれたのだ」

シュワルツが言った。

「おまえを令嬢として出席させるには娘を持つ王妃殿下に頼むしかないとな」

兄の横でアズウェルが肩を竦めて補足する。

「自分で蒔いた種だ、今夜あたり体力の限界まで踊らされても文句は言うなよ」

「なんでそうなるんですか」

「騎士の時には騎士として、ドレス姿の時には令嬢としてちゃんと振舞う。さすが宰相の娘だと評判だ」

「ええええ」

イヴンリッドはそれを時間を掛けてしっかりと理解すると、三百六十度認識が違ったことが分かって、両手で頭を抱えて絶叫する。

『宰相の』はつくだろうが、ちゃんと令嬢として見て貰えていて、その自分とダンスを踊りたいと、申し込みが殺到する?

ないないないないない

有り得ない。

無理。

「わ、私、今日は近衛服で」

「ちょ、ちょっと冷静になろうな」

アズウェルが余計なことを口走ってしまったと悔いて、神妙な面持ちで妹の肩に手を置く。

「母上が泣くぞ。今日の日をどれだけ待っていたか」

ふた月程前に母に呼び出されて帰宅すれば、待ってましたとにこやかに出迎えられ、ドレスの意匠の相談や、首や耳に付ける宝石などなど、本人より楽しんで選んでいたことを思い出す。

「だって、今更、どうしろって言うんですか。今まで知らなかったから、近衛の任務中だってお断りしていたのに」

「父上と相談して最小限にするから」

シュワルツが断言する。

「出来るの?」

縋るように見つめられたら、兄だって奮起する。

「もちろんだ。ウィンスレット家の娘と問題なく踊れると思うなかれだ」

つまりは自分たちの目に敵わない男になど、妹の手を取らせるものかという邪な感情が見え隠れするも、イヴンリッドは当然気付かない。

この兄がほんとうの事実を押し隠していることさえも、未だに気付いていない哀れなイヴンリッドだった。




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