反駁ですが、なにか?
「おはなしは、理解できたと思います」
ユエミュレム姫がいった。
「確かに、わたくしたちにもそれなりの利益がありそうな提案ですね。
ですが、いくら嘘ではないといっても、通行も通信もできない故国をだしにして保身を図る行為は、心苦しいものでございます」
「この国には、嘘も方便といういい回しがありましてな」
村越氏が、そう答えた。
「そもそも、今後もお国との交渉が再開する目途がたっていないのであれば、気にかける必要もないのではないでしょうか?
故国への義理立てよりも、今現在のご自身とご家族の身の安全を重視する方が、建設的な思考だと思います」
「……そうでしょうか?」
ユエミュレム姫は、上目遣いで村越氏の目をまともに見据えた。
……あ。
はじまった……と、完爾は思った。
「ボウメイセイケンとやらは、わたくしの意の沿いませんので論外なのですが……。
ニホン政府としては、わたくしの故国のタイシカンというものがあった方が、都合がよろしいのですよね?」
「無論です」
村越は、頷く。
「わが国に在住する無国籍者と、国交を結んでいる国から派遣されてきた大使とでは扱いがまるで違います。
それに、諸外国からの干渉も、わが国一国で受けるよりは、ええと、エリリスタル王家、でしたか、そちらのお国との二国間の協定に基づいて、という体裁で対応した方が、ずっと強硬な態度で挑めます。
いざとなれば、両国の協議不調、意見が合わず、ということで、時間稼ぎもできる」
「もう一度、確認します。
ニホン政府は、わたくしを大使として扱いたいのでしょうか?」
「はい。
是非、お願いしたい」
「それでは、ひとつ条件を出させていただきます」
ユエミュレム姫は、背筋を伸ばした。
「これまでわたくしたちに説明してきた内容を、公文書として発行してください。
その中に、日本国内におけるエリリスタル王家大使館の設置はニホン政府の意向によるものであること、この時点でわたくしが本国と通信も交通も不可能であった事実をニホン政府が知っていたこと。
この二点を、必ず明記してください」
「……それは……」
村越氏が、腰を浮かしかける。
「皆様は先ほど、嘘と事実の隠蔽は違うとおっしゃいました。
もう一度、要求します。
わたくしには、その違いはあまり明白であるとは思えませんが……とにかく、その嘘を発案し、わたくしたちに強要していきたのが他ならぬニホン政府であると明記した公文書の発行を、大使館設置の条件とさせていただきます」
その場にいた政府官僚たちは、横にいる他の官僚たちと顔を見合わせた。
「……少し、時間をいただいてよろしいでしょうか?」
しばらくして、村越氏がユエミュレム姫に提案してきた。
「はい。
それでは、ここで休憩といたしましょう」
ユエミュレム姫は、見事な笑顔を見せた。
「……考えましたね」
官僚たちが会議室を出ていってから、間際弁護士がユエミュレム姫に話しかける。
「ああいう形で、このペテンのいい出しっぺが誰であるのか、明瞭な証拠として残しておけば、後でなにか問題が起きたとしても、こちらの責任は回避できる」
「ユエだって、王家の人間としてそれなりの教育を受けてきているんだ。
こういう交渉は、むしろ得意な方なんだが……」
完爾は、そう呟いた。
「……外見だけで判断して、甘くみてたかな?」
「この場のやり取りも、すべて録音されていますしね」
間際弁護士は、事実を指摘した。
実をいうと録音どころか完爾のスマホで某所に実況中継もしているのだが、もちろんこの場ではその事実を口にする者はいない。
「カンジの事業が成功しつつある今となっては、いざとなったらこの国から出ることも選択肢として考慮できますし、別にいいなりになる必要はないですよね」
ユエミュレム姫に至っては、そんなことさえ口にする。
「まあ、そうだよな」
完爾も、わざとらしく頷いた。
「おれも、生まれ育ったこの国に未練がないってわけでもないけど、一方的に利用されてもなあ。
幸い、取引先に業務提携とか海外進出をしてくれ、みたいなことをいってくる人はいくらでもいるし、本当にどうしようなかったら、国外に出てやり直すのもいいと思うけど……」
「でも、なんといってもこの国は住みやすいですから、なるべくこのまま住み続けたいものですね」
「そうだね。
今の平穏な生活を脅かされない限りは、出て行く必要もないんだけど……」
そんなことを適当に話し合っているうちに、会議室を出ていた官僚たちがまた戻ってきた。
「えー……」
村越氏が、会談を再開する。
「先ほどの、公式な文書を発行するという件については、もう少し時間をいただいて関係省庁と意見調整をさせていただいた上で、結論をださせていただきます」
「それは、保留と解釈してよろしいのでしょうか?」
すかさず、ユエミュレム姫が確認してくる。
「結論が出るまで、タイシカンについての話し合いは一時棚上げになりますね?」
「残念ながら、そうなります」
渋々、といった感じで、村越氏は頷いた。
「ですが、門脇さん一家の安全を保障するためには、これが最善の策であることには変わりなく……」
「そのおはなしは、すでに一度聞きました」
ユエミュレム姫は、村越氏の口説をきっぱりと遮った。
「わたくしどもの安全について真っ先に考えなければならないのいのは、わたくしたち自身でございます。
それよりも皆様は、自国民の安全のことを考える必要があるのではないでしょうか?
例えば、わたくしたちの存在が引き金となって周囲の無辜の民に何らかの危害が及ぶことを、わたくしどもは望んでおりません。
カンジとわたくしとでは、せいぜい家族の身の安全を守るのが精一杯なのですが、人質を取ることなどを目的に何者かがわたくしたちの周囲の人々に危害を加えようとすることを、皆様の権限が及ぶ限り全力で防止してください。
自国民の安全を守るのは、わたくしのような外部からの来訪者ではなく、皆様方、この国の官僚のお仕事であると思います」
「……まったくもって、正論ですな。
いや、いわれるまでもなく、テロや犯罪行為に対しては、われわれも全力で対抗します。
その相手が誰であろうとも、です」
「それを聞いて安心しました」
ユエミュレム姫は、艶やかに微笑んだ。
「カンジは強力無比な戦士ですが、その目と耳だけでは、どこまでも遠くまで見通すことはできません。
カンジが腕を伸ばせる範囲は、自ずと定まっています。
カンジの腕が届かないところは、皆様方のほうでよろしく対処のほどをお願いします」
「わ……わかりました」
そういわれた村越氏は、とても微妙な表情になった。
「微力を、尽くします」
「それから、わたくしの国籍に関してですが……」
ユエミュレム姫は、続けてこういった。
「……マギワ先生のおはなしによりますと、この国では、五年間良民として国内に在住し続けるだけで取得の条件を満たすということですが、それは、本当でございましょうか?」
「もちろん、嘘ではありません」
外務省所属の村越氏は、即座に答えた。
「条文により、そのように定められております」
「タイシカンの件が今後どのように推移するのか、予測ができません。
しかし、このままなにもせずとも五年経過すればわたくしはこのニホンの国籍を取得できます。
ならば……別にこのままでも、よろしいのではありませんか?」
「え……いや、それは!
なかったら困るでしょう、普通。
国籍ですよ、国籍!」
「わたくしはこれまで、その国籍がなくて困ったことはありません。
最初はカンジの家族に助けられ、そのあとはカンジの会社で働くことによって日々の糧を稼ぎ、必要なものを買っております。
それに、会社から、税金も支払われているはずです。
それとも……わたくしは、国籍がないというだけで良民の資格を失うのでありましょうか?」
「いや……それは……。
ですが、国籍がないと、国外に出るときにも……」
「わたくしがこの国を離れるときがあるとすれば、それはこの国から別の国へ移住することを決意したときです」
ユエミュレム姫は、再び、微笑む。
「あなた方は……いえ、ニホンは、わたくしに、この国にとどまって欲しいのですか?
それとも、退去して欲しいのですか?」




