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予習開始ですが、なにか?

 他の家族が日曜の朝を満喫している間にも完爾は食器洗いや洗濯、お茶くみなど、細々とした家事を片づけていく。洗い物については、昨日見学して手順を理解していたので、ユエミュレム姫も手伝ってくれる。

「題名のない音楽会」が始まる頃、千種は立ち上がって軽く伸びをし、

「今日は翔汰を連れて、ちょっと買い物いってくる」

 と宣言した。

「昼はいらない」

「おう。わかった」

 掃除機を出しながら、完爾が答える。

「おれも、もう少ししたらちょっと出かけるつもりだけど……」

「日曜朝市だろ?」

 近所のスーパーで、毎週日曜午前中限定のセールがあるのだ。

「そんな何時間もかかるわけじゃないし、少しくらいなら義妹ちゃんに留守番して貰っても構わないだろ」

「ま、大丈夫だとは思うけどね」

 昨日一日かけて部屋の中にある日常的に使う道具類の解説をしてきている。

「今日、少し、暁と姫だけで留守番をして貰おうと思うのだが……」

 念のため、ユエミュレム姫にも確認をしておく。

「はい。

 特に問題はないと思いますが」

 ユエミュレム姫は、テレビの画面から目線をはずさないまま頷いた。

「すまんな。

 しばらく閉じこめるような形になってしまって」

「いえ。

 どのみち、この子が育つまでにはあまり遠出も出来ませんし」

 ユエミュレム姫にしてみれば、ここは兄の城にいるときよりもよっぽど快適な環境なのだ。

 文句があろうはずもない。


 洗濯物を干し、掃除が一通り終わる頃、外出の支度をしていた千種と翔汰が出て行った。車で三十分ほどのところにある、大型ショッピングセンターにいくのだといっていた。

 完爾はほうじ茶を啜りながらテレビのリモコン操作をユエミュレム姫に教え、後は好きにさせておく。

 ユエミュレム姫は好奇心旺盛で、物覚えもいい。順応性はかなり高い方だろう。

 この分でいくと、予想以上に早くこちらの生活に馴染むかもしれないな、と完爾は思った。


 スーパーで安売りの食材と少々の雑貨を買い込んで帰宅すると、小一時間ほどの時間が経過していた。

 食材を冷蔵庫に納めてから米を研いで炊飯器に、タイマーで正午に炊きあがるようにセットする。

 それから、買ってきたキャンパスノートをユエミュレム姫に渡した。

「カンジ、これは?」

「あげる。

 学習帳ね」

 簡単な読み書きくらいは出来るようになってもらわないと、こちらでの日常生活でも支障を来すだろう。

「はい、ありがとうございます」

 ユエミュレム姫は安物のノートを胸に抱いて畏まり、謝意を表明した。

 どうも、紙が貴重品だった向こうの価値観に引きずられているらしい。

「いやそれ、三冊百円の安物なんだけど……」

 こちらの物価についても、おいおい教えていかなければな、と、完爾は苦笑いする。

「……まあ、まず最初は……数字からでいいか」

 文字から教えはじめてもいいのだが、ひらがな、カタカナ、漢字、場合によってはアルファベッド……といった具合に、日本語を表記する文字種は多い。

 こちらの事情に明るくないユエミュレム姫が最初に学ぶのには、適当とも思えない。

「はい。

 是非」

 ユエミュレム姫のやる気は、結構高いようだ。

 完爾は普段使っているボールペンとシャーペンを持ってきて、そのうち一本をユエミュレム姫に渡す。

「カンジ、これは?」

「こちらの筆記用具」

 百聞は一見にしかずとばかりに、完爾はノートのページに零から九までの数字を書いていく。

 ユエミュレム姫は、その手元をまじまじと見つめた。

「……インクをつけずに書けるのですか?」

 数字の説明の前に、ボールペンの原理を図解で説明する羽目になった。


「……ということで、こちらの世界では、十進数で数を数えるんだ。

 むこうは、十二進数だったけどな」

「はあ、不思議ですねえ。

 十二の方が割り切れる数が多くて、便利だと思うのですが……」

「……おそらく、両手の指の数から来ているんだろうな」

「あっ! そういえば!

 指で数えるときは便利ですねっ!」

 完爾が知る限り、むこうでは数の勘定をするとき、十二進数が標準だった。それが「当たり前」な環境にいると、確かに便利だったりするのだ。半分が六、四分の一が三……と、きれいに整数で割り切れ、キリがいい。

 完爾は十進数が当然という環境で育ったからそのことに疑念を持たないで来たが、むこうで十二進数に慣れるとそっちの方が合理的なのではないか、とか思わないでもなかった。

 幸いなことに、むこうでも零という概念は周知のものであったから、慣れれば計算なども無難にこなせたものだが……。


 途中、何度か暁の世話で中断することもあったが、昨夜の残り物である餃子を焼いたものでの昼食や昼食を挟み、夕方に千種と翔汰が帰宅するまで、二人の学習は続いた。数字だけではなく、ひらがなとカタカナまで五十音順に完爾が読みあげながらノートに書いて見せて、次いでユエミュレム姫にも同じことをさせる。

 まずはこの三種類を体がおぼえるまで、反復させることにした。

 単調といえば単調な作業だったが、元々意欲が高いことあり、ユエミュレム姫は意外に楽しげな様子でこなしていた。

 千種は帰宅すると、やはり荷物があるからと完爾を車まで呼び出した。

「今度はなにを買ってきたんだ?」

「ベビーベッドとベビーウェアとか、必需品。

 必要でしょ?」

「……ああ。それはどうも」

「こんなことになるんだったら、翔汰の処分しなけりゃよかったな」

「いや、こうなるとは誰も予測できないし」

 室内に運び込んだベビーベッドを完爾が組み立てている間に、千種はユエミュレム姫に向かって抱っこ紐の使い方をレクチャーしたりベビーウェアを見せたりしている。ユエミュレム姫は意外に恐縮しているようだった。自分たちが予期せぬ居候であるというこは、自覚しているらしい。

「いいの、いいの。

 どうせ後でまとめて完爾に払わせるから」

「……いや、いいけど」

 組み立てたベビーベッドは、キッチンからも目が届くリビングの隅に置くことにした。

 翔汰もなにやらおもちゃを買ってもらったようで、ご機嫌だった。

「へー。

 文字、おぼえはじめてるのか」

「読み書きが出来るようになると、かなり違うからな。

 会話は、普通に生活していてもそれなりにおぼえていくだろうし」

「なんとなく、ねー。

 義妹ちゃん、もう挨拶も出来るようになっているし。

 暁ちゃんに手が掛かるうちにある程度こちらの状況に馴染んで貰えれば、いろいろとやりやすくなるんだけど……」

 またまた片言で発音こそ拙いものの、ユエミュレム姫の物覚えはかなり早い。言葉だけではなく、昼食のときも箸を使いたがったので持たせてみたら、ぎこちないながらもそれなりに使えていたくらいだ。

 そこことを千種に説明すると、

「ほー。

 そりゃ、たいしたもんだ」

 と素直に感心してくれた。

 千種は、ユエミュレム姫と直接はなしあいが出来るようになるといいな、といった意味のことを呟いた。女同士の気安さということもあるのだろう。

 そうなればなったで、かなり騒がしいことになりそうではあるが……。

 むこうにいたときからそれなりに聡明だとは思っていたものだが、テレビなどから情報を吸収し続ければ、予想外に早くこちらの言葉を習得できるのではないかと完爾は予想する。


 翔汰が千種に絵本を持ってきて、ユエミュレム姫もそれを覗きこんで一緒に読み始めたのを期に、完爾はスーパーのレジ横から持ってきたフリーペーパーの求人誌を開きはじめる。

 これまで正社員になることを目標としていたためバイト関係はスルーしていたのだが、今の状況だと背に腹をかえられないというか、いつまでも勤務形態にこだわりを持っていてもいられない。

 日銭を稼ぎつつ、最終的には自分とユエミュレム姫と暁、三人分の生活費を稼げるようにならなくてはならないのだ。


 かなりの長期戦になるはずだし、ある意味では、むこうで世界を救ってきたときよりも難易度の高い戦いになりそうだった。


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