お店の状況ですが、なにか?
完爾が店舗の場所をその駅前に定めた第一の要件は、家から比較的近いこと、でしかなかった。
もともと、創業前の腹案では、店などを構えずにネット通販や問屋との取引だけからスタート、というはなしさえあったわけだが、姉の千種に「実際に商品を手に取って見ることができる場所を最初から確保しておいた方が長い目でみるといい商売ができるのではないか?」と指摘され、開店することになった形だ。
いわば、店舗を構えることで初期コストをあえて掛け、その分、世間的なピーアールや信用度を得ようと試みたわけだが、その試みがどこまで成功したのかを判断することは、今の時点ではなかなか判断が難しい。
まだ夏休み中ということもあって、中学生や高校生くらいの年頃の少女たちを一番多く店で見かけるわけだが、高額な商品を目当てにした中高年男女もお客さんも、ぼちぼち入店してくるようになっている。それ以外に日に何組か、明らかに転売目的であるらしい外国人が来て在庫を大量に引き取っていってくれる。
そもそも完爾たちの店は価格帯も想定している客層も無闇に広すぎるし、最近では顧客から出された要望に応えた新製品も続々と出しているので、店内はなかなか混沌としたことになっている。
ファンシーショップと雑貨屋とジュエリーショップを一軒の店でまかなっているというか、さして広いわけでもない店内に所狭しと多種多様な商品が展示されている状態であった。
普段から常駐する店員たち人数を多めに設定しているのと、店員たちの対応自体がうまくいっていることとで今のところ大きな混乱は起きていない。そもそも、一度に大勢のお客さんが詰めかけてくるような店でもない。
午前十時から午後の八時までの開店時間中、客足はほとんど途絶えることはないのだが、逆に、一度に十人以上のお客さんが詰めかけることもほとんどない。
店のキャパシティを鑑みれば、実にありがたい状況であった。
先述の通り、今のところメインのお客さんは低価格商品目当てに時間を潰しにきた十代の少女たちで、はっきりいってしまえばほとんど金を落とさない人種であるわけだが、店と周辺の雰囲気を明るくする役割は十分に果たしていた。
完爾は朝晩の他に日々の業務が煮詰まったとき、気散じのため気まぐれに店周辺の掃除をはじめたりするのだが、そうしたときにご近所さんであるコンビニやファーストフード店の店員などに妙に愛想良く挨拶をされたりしている。
完爾が店を開いてからこっち、明らかに客足が増えているからか、特にそうした店の経営者筋に、完爾の店はかなり評価されているようだった。
完爾にしてみれば、駅前でありさえすれば最低限の人通りは見込めるであろうと、ただそれだけの理由で選んだ場所である。別に感謝されるいわれもないのだが、健在な店よりもシャッターを閉め切った店の方が多いこの商店街において、新しい人の流れを作り出したという点が過剰に評価されているらしかった。
人の流れを作った、とはいっても、完爾の店を目当てにこの駅を降りるのは一日あたり千人以下、せいぜい数百人くらいでしかないはずなのだが、その程度の微細な人出でさえこの寂れた商店街では大きな変化であるらしい。
「ピンクフィッシュさん、ピンクフィッシュさん」
そうして店の周辺を掃除しているとき、顔見知りである中華屋のおばさんに声をかけられた。
ちなみに、「ピンクフィッシュ」とは、完爾が構えた店の屋号であり、門脇インダストリィ発の製品を売り出す際のブランド名でもある。
「おはようございます、大勝軒さん。
なんでしょうか?」
近所とのつき合いを軽視していない完爾は、愛想良く聞き返す。
「暑い中いつもご苦労さんねー。
それよりも聞きました?
播磨屋の並びにある角地に、今度コーヒー屋さんができるって?」
「コーヒー屋……喫茶店、ですか?」
「喫茶店、っていうのかねえ。
もっと若い人向けの……」
大勝軒のおばさんは、全国にチェーン展開をしているシアトル系のコーヒーショップの名を出した。
「ははぁ。
ここにも、あそこが出店をしてきますか」
完爾は、感心した。
なにせ、ここは、通りにある店の半分以上がシャッターを降ろしたままの寂れた商店街である。
一番賑わっているのがパチンコ屋の周辺という、ある意味日本の片田舎ならどこででも見受けられる光景なのであった。
「ピンクフィッシュさんが若い人をいっぱい連れてきてくれるから」
「いえいえ。
うちなんか、そんなにたいした影響はないと思いますが」
謙遜でもなんでもなく、完爾はそう答える。
一日あたり数百人レベルでは、実際、たいした影響とは呼べない。
「なにいってるんだい。
こんなところ、みんなすぐに通り過ぎるばかりで誰も足を止めないんだから。
駅前に人を止めるようになったというだけでも、あんたのところの店は大したもんだよ」
「はぁ。
どうも」
完爾としては、そんな気の抜けた返答をするしかない。
『店長、今いいですか?
五番のカメラですが……』
極端に繁盛している店ではないものの、ほぼ一日中お客さんが出入りしていれば中には不届きなお客も存在する。
「……またか。
さりげなくマークしておいて。
おれは出口に待機しているから」
内線でかかってきた電話を切ると、完爾は倉庫兼発送所を出て店の入り口に回る。
ちょうど完爾が店の入り口に到着したとき、五番のカメラに挙動不審な様子が写っていた三人組のお客さんが出てきた。
まだ中学生くらいの、あどけなさが残る少女たちだった。
「……お客様」
店員が、その少女たちに声をかける。
すると、その少女たちは駆け出そうとして……両手を広げた完爾に、行く手を阻まれた。
「お客様。
未精算の商品をお持ちではありませんか?」
身長が百八十に届かない完爾は、今の日本ではせいぜい中肉中背といったところであろう。
顔つきだって、そんなに怖くはない……はずだ。と、完爾自身は思っている。
しかし、少女たちは、
「……ひっ!」
と、息を詰めてすくみあがった。
完爾自身の風貌というよりは修羅場を潜ってきた完爾が自然と発している殺気のようなものにあてられているわけだが、たいていは完爾が声をかけた時点で足がすくんで動かなくなる。
「……警察呼んで。
それから、ビデオ再生の準備も……」
硬直している少女たちには構わず、完爾は後を追ってきた店員にそう指示をする。
万引きは、意外に多かった。
未成年者もいたが、いい年齢の主婦もいる。店で扱っている商品の種類のせいか、男性よりも女性が多かった。
いずれにせよ、経済的に困っている風にも見えない人々が何故こんなつまらない真似をするのか、完爾にはまるで理解ができなかった。
理解はできないまでも、被害が拡大しても困るのはこっちなので、万引きをみつけたら淡々と処理することにしている。
相手が泣こうが喚こうが確保して、即、警察に通報。
未成年の場合でも、学校とか保護者への通報は、店からは直接しない……という方針を、採用していた。
完爾たちの店は、教育機関ではないからである。
完爾は、引き留めた少女たちに、店のバックヤードへ入るようにお願いをする。
「この場で荷物を改めさせて貰っても構わないのですが……」
というと、しぶしぶ、といった態で、少女たちもその指示に従った。
ビデオ、という単語を聞いて、こちらが完全に証拠を押さえているということを理解していたからだろう。
……これでまた、しばらく時間が取られるな……と、完爾は思った。
こうした形で非生産的な時間を持つことを強要されるのは不本意なのだが、完爾が不在のおりにはすべて店員に任せてきているわけで、完爾が居るときくらいは責任者らしいこともしておかなければならない。
その後、少女たちから聞き出して家族へ通報したり、駆けつけてきた警察や家族への対応、調書作成への協力……などで、完爾はしばらく一文の得にもならない不毛な時間を過ごすことになった。




