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ニチアサですが、なにか?


 翌朝、完爾は浅い眠りの中から定刻通り、六時前に目覚めた。そしてすぐに左腕がしびれて感覚がなくなっていることに気づく。薄目を開けて確認すると、ユエミュレム姫が完爾の左腕の上に頭を乗せて熟睡していた。そのユエミュレム姫は腕の中に暁の小さな体を抱いていた。

 ……なぜこのような体勢になったのか、まるで記憶にない。

 いい加減、左腕が鬱血したので、ユエミュレム姫を起こさないようにと祈りつつ、血流が促進することを期待してゆっくりと手指を開閉させる。

 可能な限り静かにそうしたつもりだったが、ユエミュレム姫も眠りが浅かったのか、すぐに目をさまして瞼を開く。

 ごく至近距離で、完爾とまともに視線を合わせた。

「……おはようございます」

「ああ。おはよ」

「夢ではなかったのですね」

「ん。夢ではないな」

 暁を抱き、寝そべった姿勢のままユエミュレム姫はずりずりと完爾の方ににじり寄ってくる。

「まだ実感が沸きません」

 ユエミュレム姫は完爾の左肩のつけ根に頭を乗せて横臥した姿勢になった。

「暁が、この子がいるのですから、完爾は……もう、勝手にどこかにいってはいけません。

 どこかに去っても、絶対に捜し出して追いついて見せます」

「あー……すまん。

 覚悟しておく」


 しばらくいちゃついてから起き上がり、洗顔。その後お湯を沸かして二人分のほうじ茶をいれ、残りのお湯を保温ポッドに入れる。あえてほうじ茶にしたのは、昨夜千種から、授乳中はカフェインも控えておいた方がいい、とのアドバイスを貰ったからだった。

 ソファに腰掛けてタブレット端末で巡回サイトの情報をチャックをしていると、

「昨夜も使っていましたが、なんですか、その板?」

 とユエミュレム姫が手元をのぞき込み、次いで、完爾の腿の上に腰掛けた。

「どう説明すればいいのやら……。

 多機能で一口に説明しきれないけど……これで、世界中の情報を閲覧できるんだ」

「……文字が読めないと、あまり意味はなさそうですね」

 ユエミュレム姫は、少し難しい表情になった。

 当然のことながら、ユエミュレム姫は日本語をはじめとするこちらの世界の言語について、いっさい知識を持たない。

 そういえば、言葉についてはおれも苦労しておぼえたんだよな、と、完爾は向こうでの苦労を思い返す。どうした加減か、向こうに到着すると同時にしゃべったり話したりすることには不自由しない体質になっていたのだが、書き言葉に関しては一からおぼえる必要があった。誰のどういう意志に基づいて完爾があの世界に送られたのかはいまだに判然としないわけだが、どうせやるのならもっと遺漏なく、ちゃんとした仕事をして欲しかった。

 今回のユエミュレム姫は、聞いたりしゃべったりする部分も含めて、こちらで生活するために不可欠な知識をまるで持たされていない。

 知識の習得という点においては、以前の完爾よりもずっと苦労することになるのだろう。

「そうでもないぞ。

 こいつは多機能だから、それ以外にも……」

 完爾はカメラアプリを起動する。

「……え? 鏡、ですか?」

 いきなり画面に映し出された完爾、ユエミュレム姫、暁の姿を観て、ユエミュレム姫は端末の画面と完爾の顔を見比べる。

「いいや、カメラ機能。

 ほい。

 シャッターを押すと……」

 カシャ、というシャッター音とともに、画面がほんの一瞬静止する。

「今ので、写真が撮れた」

 完爾は撮影したばかりの静止画を端末の画面に表示させ、ユエミュレム姫に提示してみせる。

「これ……は、見えるままの情景を記録する道具なのですか?」

「そういう機能もある、ということ。静止画の他にも動画も撮れるし……。

 他にもいろいろ、使いきれないほどの使い道がある」

 完爾はもっともらしい顔をしていった。そういう完爾自身、お世辞にもタブレット端末の機能を十全に使いこなせているとは言い難いのだが……。

 そのままカメラアプリの使用法をユエミュレム姫に教えてから完爾は外出着に着替え、「散歩がてら、ちょっと朝飯買ってくる」とユエミュレム姫に声をかけた。

 もうすぐ千種や翔汰も起きてくるはずだった。


 十分ほど歩いて近所のベーカリーで顔見知りの店員から焼きたての食パンを購入し、とんぼ返りですぐに帰宅する形となる。千種と翔汰の弁当を詰めている関係上、平日は朝から米食であることが多く、朝からまとなパンを食べる機会は休日に限られてしまう。そしてこの行きつけのパン屋は近隣でも評判がよく、特に休日の朝などは早めに買いにいかないとすぐに売り切れてしまう。朝に買い逃してしまうと、次のパンが焼きあがるのは十一時以降になってしまう。

 開店直後のまだ人が少ない時間帯に買い逃げをするのが、休日の完爾のパターンだった。

 コンビニ売りのものでも良さそうなものだが、千種と翔汰がこの店の味を気に入っているのだから仕方がない。


 帰宅すると、千種と翔汰はすでに起きていて、ティーパックの紅茶と牛乳を片手に寝ぼけ眼でテレビを視ていた。テレビからは、完爾が向こうに行く前から聞きおぼえのある千葉繁の声が歓声をあげている。今やっているのはなにレンジャーというだったっけか? とにかく、昔っからある「戦隊物」の番組を観ていた。

 ほうじ茶のマグカップを手にしながら、ユエミュレム姫もテレビ釘付けになっている。

「テレビ、驚かなかったか?」

「動画、というものの一種なのでございましょう」

 ユエミュレム姫は、タブレット端末の画面をコツコツと指で叩く。

 どうやら、先にカメラアプリに触れたことが、期せずして緩衝材として作用したようだった。

「少々目まぐるしい気もしますが、正邪善悪がはっきり色分けされた見世物の一種だと思いました」

 戦隊物は基本一話完結だし、はなしの作りも単純、言葉が解らなくても内容はなんとなく理解できるのか。


 冷凍食品のフライドポテトを電子レンジに放り込んでからフライパンに火をかけてベーコンを敷く。レタスを千切って冷水にさらして、ベーコンの上にいくつか玉子を割り落とし、少量の水を入れて蓋をし、蒸し焼きにする。レタスの水をよく切ってボールにいれ、その上に切ったトマトを並べ、ドレッシングをかける。出来上がったフライドポテトとベーコンエッグを皿に盛る。

 フライドポテトと入れ違いに食パンを電子レンジに二枚入れ、トースターモードで加熱スタート。

 サラダとベーコンエッグなどが出揃った時点で、食事がはじまる。焼きあがったばかりの食パンはそのままでも十分においしい。トーストするかしないかは、もはや嗜好の領域だ。

 千種はバター、翔汰はジャムをたっぷりとつけて食べる。ユエミュレム姫は両方を試して、どうやらジャムをつけて食べることにしたらしい。案外、甘党なのかもしれない。

 食べはじめたといっても、全員テレビを視ながら、しゃべりながらの食事だったから、食べる早さは実にゆっくりとしたものだった。意外に躾には厳しい千種は、この日曜の朝くらいしか食事中のテレビ視聴を翔汰に許していなかった。しゃべるのは主に千種と翔汰の親子で、保育園であった出来事や視ている番組のことなど、昨日とは打って変わってごくごく日常的な話題に限られている。仕方がないこととはいえ、昨日は翔汰をひとりを置き去りにして大人同士の会話にかまけていたという事情もあったから、ひょっとしたらその埋め合わせという意味もあるのかも知れなかった。

 最初に焼きあがったトースト二枚は千種とユエミュレム姫で一枚づつ分け合うことになった。翔汰は四つ切りの食パン一枚で十分に満腹したらしい。今は小鉢に取り分けたサラダをフォークでつついている。

 テレビはといえば、いつの間にか戦隊物が終わってライダーに変わっていた。

「どうだ? 初テレビの感想は?」

 次のトースト二枚をテーブルの上に乗せながら、完爾はユエミュレム姫に尋ねてみる。

「奇妙な見せ物でした。でも、言葉が理解できればわが王国の民にも受けがいいかと思います」

 翻訳すれば向こうでも通用する、と、ユエミュレム姫は保証してくれた。

「ですが……奇妙な格好をした方々が光ったり大きさを変えたりするのは、一体どういう魔法によるものなのですか?」

 インスタントコーヒーをお湯で溶きながら、完爾は、つっかえつっかえ、特撮とかCGについてユエミュレム姫に説明する。

 千種はどちらかというとコーヒー党だが職場でいやというほど飲むとか、自宅にはコーヒーメーカーを置いていなかった。


 後で確認してみたところ、ユエミュレム姫がニチアサの中で一番お気に召したのは「プリキュア」だったそうだ。

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